「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー



 第98号 真夏の妊婦さん


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        いいとき生まれた!昭和30年代  第98号     


                    2008. 8. 17     

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  まだ早春の頃、
  早くも素足にサンダルで歩いている女性を見て、
  憤慨したことがあります。
  素足とサンダルなんて、絶対に許せん!


  こう書くと、
  なんでそこまで?
  と思う方がほとんどだと思います。
  でもね、その人は妊婦さんだったのですよ。
  おなかが大きいのに、
  不安定な履物というのは論外ですが、
  妊婦さんには冷えも大敵。
  いくら早春だとはいえ、
  普通の人でさえ、
  まだ素足はほとんどいない時期です。
  母となる自覚はあるのか?
  と思ってしまったわけです。
 

  こう感じてしまうのも、
  昭和30年代の妊婦さんと比べてしまうからでしょう。
  当時の妊婦さんは、
  母としての自覚の固まりでした。
  かかとの低い、安定した履物なんてのは、
  当然クリアしてますが、
  たとえ夏となっても足は出しません。
  どんなに暑くても、
  ハイソックスを履くのが定番スタイルでした。

 
  夏のハイソックス姿自体は、
  若い女性中心に今でもありますが、
  制服だからとか、
  ファッションに合わせてだとかの理由で、
  誰かのために履くわけではありません。


  最大の違いは、今と違って、
  クーラーなんて、ほとんど普及していない時代だったということです。
  だから、よけい大変だったと思います。
  それでも、お腹の子供のために、
  そこまで徹底して冷やさない配慮をしていたのです。

  
  医学が発達していない時代ほど、
  「お産は命がけ」という危険度の認識は高かったと思いますが、
  そういう時代の意識が、
  当時はまだ色濃く残っていたのかもしれません。
  創刊号で、昭和30年代生まれの中には、
  自宅でお産婆さんにとりあげてもらった人も、
  少数派ながらまだいたということに触れました。
  そんな昔ながらのお産スタイルもまだあった時代です。
  病院出産が一般的となってはいっても、
  お産を甘く見ることはなく、
  自分とおなかの子供を守るという意識は、
  今よりずっと高かったでしょう。
 

  今思えば、クーラーが普及してなかったのだから、
  むしろ、それほど冷えに神経質にならなくても良かったのでは、
  とも思えるのですが、
  それがすでに甘いのでしょうね。
  着物で保護されてきた時代からしたら、
  スカートは、充分冷えを呼ぶ格好。
  やはり、昔の意識が生きていたようです。

  
  しかし、元気な子供を無事に産むためのそういった配慮は、
  母親となる自覚の育ち方にも、
  少なからず影響を与えていたと思います。


  その姿は、
  子供の私にも
  学びを与えてくれました。
  当時の私は、そういう妊婦さんを見かけると、
  子供心に、暑くて大変だろうなと思ったものでした。
  そこで、母に聞きました。
  「どうして、赤ちゃんがおなかにいる人は、
   暑いのにハイソックスをはいているの?」
  「妊婦さんは、冷やしたらだめだからだよ。」


  それを聞いて、思いました。
  「赤ちゃんを産むのって、大変なことなんだなあ。」
  って。
  私も夏に生まれたから、
  母も、暑い時期のハイソックスを経験しています。
  「そうして、自分を生んでくれたんだなあ。」
  って。


  ついでに、
  「自分はおなかが大きい時が、
   夏にぶつからないといいなあ」って。
  あれ?学んでないか?

  
  神様がこの願いを聞いてくれたのか、
  不届きものめと思われたのか、
  妊婦になることはなかったもので、
  これは無用の心配に終わりましたが、
  ともかくも大変なことなんだということは、
  しっかりわかりました。
    

  今、私が子供だったとして、
  クーラーがビンビンきいている中、
  足をさらしている妊婦さんからは、
  そういう気づきは得られません。
  冷えに気をつけなければいけないことも、
  自分がおなかにいたときの母親の大変さに気がつくことも
  できないのです。
  
 
  真夏のハイソックスが減ってきたのが原因、
  とは言いませんが、
  子育てに対する親としての自覚も、
  明らかに昔のほうが高かったですね。
 

  子供が寝ていたからと外出し、
  火事や転落事故になったり、
  車の中に置き去りにして、
  熱中症で死亡させてしまう悲劇は、
  当時はほとんど聞いたことがありません。
  いくら自分が飲みたいからといっても、
  居酒屋に小さな子供を連れて来てまで飲む親もいません。  
         
  
  「子供のために親はどうすべきか」という形が、
  常識として生きていましたから、
  多少自覚が足りなくても、
  自然と修正が期待できました。
  

  ところが、いつからか、
  子供のためと言いながら、
  実際は自分の意向を優先させてるだけの親が増えてきて、
  その常識をねじ曲げだしました。
  やっかいなのは、
  こういう親たちにしてみれば、
  子供をないがしろにしている気は、
  さらさらないのです。
  

  子供が寝ていたので、起こすのが可哀想だと思った、
  子供だけを家に残しているほうが心配だから連れてきた、
  それが親心だと勘違いしています。
  子供のことより、自分の都合が優先していることには、
  気がついていません。
  だから、「行かない」という選択肢が出てこないのです。


  そこのところを自覚している親御さんでも、
  「子育て中は我慢しなくては」という意識でいる人もいます。
  でも、昔はそんな犠牲的な言い方が目立つような
  社会ではありませんでした。  


  昔の母親は、
  子育ての苦労は、
  子供がいるからこそできることと、
  前向きに考えられていた人が多かったように思います。
  だから、「子供のために我慢している」のではなく、
  「子供のためにしたくない」と考えられたのではないでしょうか。 
  

  もっとも、
  自分のことを考える余裕も持てなかったという面はあるでしょう。
  当時は、かなり便利になってきたとはいえ、
  まだまだ家事も育児も、
  今とは比べ物にならないほど手がかかります。


  食事だけ見ても、    
  コンビニも冷凍食品もレンジもない時代となれば、
  食事やお弁当は、しっかり作らざるを得ません。
  その分、母親は忙しくて大変です。
  でも、そのおかげで子供は、
  3度3度、母親手作りの食事がとれたことも確かです。


  そして、それは前に書いたように、
  私たちはそれだけ手間をかけてもらえたという見方もできるわけです。
  

  今だって、前向きに子育てに取り組んでいる親だったら、
  家事や育児の手間を省いたとしても、
  きちんと子供と向き合うことで、
  別の形で、手間ひまかけた子育てができると思います。
  

  問題なのは、
  家事や子育てのための手間が効率化できるようになったことで、
  子供の体と心を作るという、
  手抜きしてはいけない部分まで、
  手をかけなくなってしまった親が出てきてしまったことです。
  躾は学校で教えるものと思っている親の増加や、
  昔はありえなかった食育問題が浮上してきたのも、
  そういう結果でしょうね。 
   

  とはいえ、手抜き子育てのツケは、
  やはり親子の絆形成に表れるようです。


  将来、親が自宅介護が必要になったとき、
  「ヘルパーにまかせて、家族は補佐程度」
  と答える人の割合は、
  年代が若くなるほど、高くなるとか。
  つまり、若い人ほど、
  他人まかせにと考える傾向があるわけですね。


  でも、親子の情としては、
  家族が中心となり、ヘルパーは補佐的に、
  となるのが普通ではないでしょうか。
  様々な事情でできない場合もあるでしょうが、
  育ててもらった親を他人まかせにする発想が、
  当たり前のこととして先行しているというのは、
  どうなんでしょう。


  人に任せてしまうのは簡単です。
  ですが、自分の親が、
  その親に対してしていることを見る
  子供の立場から考えてみてください。
  おじいちゃん、おばあちゃんを親身に介護しているのを見て育つ子供と、
  ヘルパーまかせにしているのを見て育つ子供とでは、
  将来の考え方に、同様の差が出たとしても、
  別に不思議はありません。


  昔は、老人ホーム(養老院って言われていましたけど)
  に入る老人だって、
  身寄りや子供のいない人が主流。
  子供がいながら、そんなところへ親を入れた日には、
  白い目で見られたもの。
  だからといって、
  世間体が悪いから我慢して面倒をみていた人よりは、
  当然のこととして、面倒をみていた人のほうが、
  ずっと多かったと思います。
  もし当時すでに介護制度があったとしても、
  最初からいきなり、ヘルパーにまかせてしまえ、
  と考える人はわずかだったでしょう。


  そんな社会だったから、
  自分が親になるときも、
  健全な親の自覚が芽生えて、
  夏のハイソックスも当然のごとく、
  履き通せたのかもしれません。


  現在は、生活スタイルも変わり、
  子供がいても、施設やヘルパーに頼らざるを得ないパターンも、
  確かに増えていますので、
  昔みたいに、一概に非難はできません。
  でも、中には、
  それをいいことに、
  親の介護はまかせっきりで、
  自分たちは好き勝手をしているような人もいるのです。


  いつか、自分が介護を受ける立場になるかもしれないことは、
  まったく考えていないのでしょうが、  
  子に手抜き育児をしても、
  親に手抜き介護しても、
  結果的には、自分のところに帰ってくる可能性は大きいです。
  
 
  子育ては、別に老後の面倒を見てもらうために
  するわけではないですが、
  人間関係の基本となる親子間の関係で、
  そんな希薄な感情しか持てないとしたら、
  人間として不幸なことが問題なのです。
  他人との関わり方にも影響が出てくると思いますし。
  

  とかなんとか言って、
  もし私に子供がいたとしたら、
  果たしてどれほど立派な教育ができたかは疑問ですけど。
  なにしろ、夏のハイソックスは避けられるといいなあ、
  と思ったクチですから。
  
  
  けれど、妊婦さんが一番素敵に見えるのは、
  通常の時と同じつもりのおしゃれをした姿ではなく、
  妊婦の時しかできない母としての姿だ、
  と思うので、
  いざとなったら、自覚の表れとしてできたと思うのです。
  (思うのは勝手)
   

  将来の介護保険料が、
  無駄に上がらないために、
  いや、違う、 
  健全な親の自覚と親子の絆の第一歩のために、
  そして、今の子供たちのためにも、
  妊婦さんの夏のハイソックスが
  再び定番となる社会に戻ってほしいものです。
 
  

  
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  
    

  ◇またまた一ヶ月もあいてしまって、
   すみません。
   まだまだ忙しく、
   細切れ時間しかとれないもので、
   なかなか進まなくて。  


   このたびの父の逝去に関しては、
   読者の皆様からも、
   温かいお悔やみの言葉をいただきました。
   「このメルマガを出していて良かったなあ」
   とつくづく思いました。
   メールをくださった皆さま、
   本当にありがとうございました。
        


  
  ◇東京23区限定の話で申し訳ありません。
   ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、
   gooの地図検索で、その場所の
   昭和38年当時の航空写真を見ることができます。


   以前、Google Earthで、
   このメルマガで登場する都営住宅があった場所の、
   現在の航空写真を見て、
   あまりの変わりように、
   行く気が失せた話をしたことがありますが、
   こちらの昭和38年の写真で広がる光景は、
   紛れもなく、あの当時の街。
   嬉しくなってしまいます。


   自分の住んでいた家を見つけて、
   この時、中にいたかもと考えてみたり、
   生まれた病院を見つけて、
   ここから我が人生が始まったと感慨にふけったり、
   このとき、通っていた幼稚園の場所や、
   引っ越しで転校してしまったためか、
   途中から記憶が消えている小学校への通学路を探索してみたりと、
   懐かしい街並みに、時々タイムスリップしています。
   

   東京以外の方も、当時の日本の雰囲気を味わうということでは、
   楽しめるかも。
   昭和22年の写真や、江戸切絵図(当時の江戸の範囲のみ)
   などもありますので、変遷を見るのもおもしろいです。


   米軍が撮影していた写真だそうで、
   そのおかげで、
   懐かしい街並みが見られるのは嬉しいですが、
   ここまでくまなく撮っていたのは
   なんのため?
  
 
   住所や場所からなど普通に地図検索をして、
   上にある昭和38年という文字をクリックすれば、
   そこは昭和30年代の世界。
   最大限に拡大して、自由に散策してください。   

   http://map.goo.ne.jp/index.html

                             (ひとみ)





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