「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー



 第97号 犯罪も心の病も救いが見えた


  
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        いいとき生まれた!昭和30年代  第97号     


                    2008. 7. 15     


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  ただでさえ、月1.2回の発行なのに、
  1ヶ月以上も開いてしまって申し訳ありません。
  これまで、ご心配をおかけするので触れなかったのですが、
  実は、父が二ヶ月弱ほど危篤状態で一進一退を続けておりました。
  残念ながら6月26日に亡くなりまして、
  まだ、いろいろやることが多く、
  メルマガ作成の時間もなかなかとれません。
  
  
  でも、悪いことのある裏には、
  いいこともあるようで、
  その間に、まぐまぐで、
  再びこのメルマガを紹介していただいておりました。
  なかなかパソコンに向かう時間もなかったので、
  まぐまぐさんから、
  メルマガを紹介する旨のメールをいただいているのに気がついたのも、
  10日近く後という始末。
  まぐまぐさんには、遅ればせながらのお礼は申し上げましたが、
  それから発行までに、さらに時間がかかり、
  せっかく新しく登録してくださった皆様には、
  お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
  しかも、いきなりこんな話から始まりまして恐縮です。
  
  
  発行回数が少ない分、
  1回の量が長めでサービスしている
  (誰もそんなことは望んでないって?)
  メルマガです。
  
  
  もちろん、
  これまで支えて下さっている既存読者さんたちにも
  申し訳ありませんでした。
  
  
  それでは、さっそくまいりましょう。
  と思ったのですが、
  今回は考えている暇もなかったので、
  前号に対していただいたメールから、
  思ったことを書きたいと思います。
  
  
  お忘れの方も多いと思いますが、
  前号は質屋さんの話から、
  当時と今の借金感覚の差についてとりあげました。
  
  
  この件に関しても、
  思い出話や感想メールをいただいております。
  ありがとうございます。
  が、今回の特徴として、
  後記に書いた秋葉原の通り魔事件に関して、
  思いをしたためてくださる方が多かったのです。

  
  あまりにも突飛な事件が増え、
  何が起きても不思議はない時代でも、
  やはり衝撃的な事件ですからね。
 
  
  もちろん、こんな事件は、
  我らが昭和30年代にはありえませんでしたね。
  このような事件が、当時起きてたら、
  今の衝撃度とは比べ物にならないと思います。


  とはいえ、調べてみると、
  昭和30年代でも、
  家族を殺す事件、猟奇的殺人などむごい事件は、
  数は少ないながらも、
  すでに起きています。
  しかし今のように、子供が家族や友人を殺してしまう犯罪を犯したり、
  無差別に人を襲う通り魔事件は、
  調べた限りではありません。
  死体を損壊する不届きなバラバラ事件も、
  当時は本当にまれです。
  
 
  動機も軽くなりました。
  たとえば、お金目当ての犯罪でも、
  昔は「生活に困って」と言うのが、
  定番と言ってもいいようなものでした。
  生活に困ってなら致し方ない、
  というわけでは決してありませんが、
  今の時代に多い、
  「遊ぶ金欲しさ」みたいな安易な動機は、
  聞いたことがありません。
  

  ふられたからとか、
  気に入らないからとか、
  それだけのことで?という自分勝手な理屈で、
  簡単に人を殺してしまうことも、
  今は珍しくなくなりました。
 
  
  それだけ、心がゆがみ、
  命が軽視されてしまう時代になったということでしょう。
  こういった現象は、
  想像力、忍耐力が欠如し、
  短絡的になっている面もありますが、
  心自体ももろくなってることがあると思うのです。  


  昔なら、そういう場合は、
  「もっと心を鍛えろ!」
  という方向にいくところですが、
  今のゆがんだ心は、
  鍛える以前に、
  まず、人の心に育てるところから始めないといけない場合が増えてます。
  
  
  昔、取調室でカツ丼をおごられて、
  涙して改心するなんて話もありましたけど、
  呼び覚ます人の心があってこそ、
  こういう救いもあるわけです。
  でも、昨今はそれを感じる心すら、
  育っていないのではと思える人も多いですよね。
  
  
  親の愛情を手玉にとるような犯罪ができるのは、
  親の愛情を知らない人間だそうです。
  それでいけば、
  心無い犯罪ができるのも、
  心が無いからと言えるのではないでしょうか。
  昔は、本来ある心を見失ってしまってるだけだったのが、
  今は、最初から心を育ててもらえなかった人が出てきて、
  昔にはいなかったタイプの犯人が散見されるようになりました。
  

  逮捕されて笑っている、
  反省どころか開き直る、
  自分のしたことを棚にあげて、人のせいにする、
  または反省しているふりをするなど、
  人の心を逆なでするような行為を平然とする犯人が、
  登場してきているのも現代です。
  これが、強がりだったら、
  むしろまだ心もあると思えますが、
  あまりの異常さに、
  精神鑑定にかけられることも珍しくありません。
  
  
  それだけ、
  心が未成熟のまま成長している人が、
  増えているのだと思います。
  それは、心をきちんと育てない親が、
  増えているということにもなります。
  
  
  問題なのは、犯罪者ばかりではありません。
  衝撃的な事件があると、
  今の時代、必ず出てくるのが、
  犯人をネットで賞賛する人間たち。
  こういうゆがんだ心を隠した人たちが、
  社会では普通の顔をして暮らしている。
  考えようによっては、
  そっちのほうが、かなり怖くないですか〜。
  
  
  掲示板など見ていても、
  ここまで言う必要があるのかと思うほど、
  感情的な攻撃をしている文などもあります。
  匿名性がなくなったら困るような文を書き込んで憂さ晴らし、
  というのも、
  心が病んでいるシグナルには変わりありません。
  
  
  私は、常々思うのですが、
  やったのが誰だかわからなければ、
  何をやってもかまわない的なことをする人が増えたのは、
  それだけ、人の目を基準に、
  自分という人間を生きている人が
  増えているということだと思うのです。
  
  
  自分だとわかってしまうならばしない、
  わからないならしてしまえ、
  という発想は、
  基準が人の目を意識したものですよね。
  
  
  もし、自分の目で、
  自分という人間に向き合っているとしたら、
  そんな行為をする自分は嫌だ、
  という考え方になるはずです。
  
  
  仮に昭和30年代にインターネットがあったら、
  どうだったと思いますか。
  当時は、こういうものがなかったから、
  鬱積した心が表面化しなかっただけで、
  あればやはり、同じような声があがってきたのでしょうか。
  
  
  私は、そうは思えません。
  全くないとは言い切ることはできませんが、
  犯罪も少なく、
  公共マナーも良い社会を維持できていたのは、
  やはり、
  人との触れ合いや心のつながりが、
  しっかりしていて、
  自分を見失う人が少なかったからだと思うのです。
  
  
  自分を大切に、
  ということが、
  自己中心的な考え方にいってしまい、
  自分勝手な行為、人のせいにする行為に走って、
  結果的に自分を傷つけてしまう人、
  他人との関係をうまく結べない人が増えているのも、
  自分を見失っているからだと思います。
    

  子供の頃、アメリカの小説などを読んでいると、
  登場人物が、
  かかりつけの精神科医にカウンセリングを受けに行く場面というのが
  よくあって、
  「アメリカ人って、かかりつけの精神科医を持っている人が多いんだ、
  どんな国?」
  と思ってました。


  その頃の日本は、
  精神科にかかるということは特別なことで、
  あまり大っぴらにできることでもありませんでしたからね。


  そういう風潮は、患者や家族ににとっては、
  つらいことだったでしょう。
  その点では、むしろ今のように、
  決して恥ずべきことでない社会になったことは、
  とてもいいことだと思います。
  
  
  でも、そうなった要因が、
  心を病む人の増加にあることを思うと、
  喜んでばかりはいられません。
   

  心がおかしくなる人が増えれば、 
  困った問題が問題視されることすら、
  危うくなりかねません。


  たとえば、心がゆがんだ種族として、 
  昨今、モンスターなんとかと言われる種族が続々と出てきて、
  新種を増やしながら、
  生息範囲を広げてきてますね。
  時に犯罪ともなるこうした人たちの行為が、
  まともではないと問題視されているうちは、
  まだいいのです。


  そのうち、ごね得ではありませんが、
  「自分も、そのくらいしてもいいだろう」
  という人が増えてきたらどうでしょう。
  自分を見失って、他人の目で自分を作る人間が増えたら、
  そういうことだって、充分ありえます。
  そうしてそれが、あたりまえの社会になっていったら…。


  そして、そういった片鱗は、
  すでに出ていることも、
  忘れてはいけないと思います。


  

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    あれこれ後記
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  今日は、いただいたメールから、
  秋葉原の件に触れた
  お二人のメールの一部をご紹介します。
  
  
  まずは、Noboruさんから。
  
  
  『本当に、凄惨な事件で、
   何処に怒りをぶつけてよいのかわからない事件が多く、
   何ともやるせなくなります。
  
   あの惨劇が起きた場所は、僕もよく歩く交差点なので、恐ろしくなりました。
  
   事件を起こしてしまった青年は、確実に心が病んでいるんですが、
   周囲がそれに気づいていなかったようですね。
   あれほどの大事件を起こしてしまう厭世観というのが、
   僕にはどうしても理解できません。
  
   ただ、仕事で人事に携わったことのある経験で言うと、
   最近は本当に心を病む人が増えています。
   鬱や気分障害といった精神科に繋がる病気にかかる人は後を絶ちません。
   僕の仕事場では、年齢も男女の別もなく、
   誰がそういった病気にかかっても不思議ではない状況です。
   みんな風邪を引くかのようにかかってしまいます。
   この原因は何処にあるのか、
   真剣に悩んだことがあるのですが、世の中全体の仕組みの中に、
   歪みが出来上がってしまっているのかもしれません。
  
   丁度、ひとみさんのこのメルマガで取り上げている
   昭和30年代の社会では、
   お互いに助け合うということが、
   今よりも遥かに自然に行われていた気がします。
   勿論、そんなに生易しい社会ではなかったですが、
   隣で何をしているかわからないといったことは少なかったと思います。
   人と人とのつながりが、今よりも暖かかったですよね。
   今では、そういった関係がなかなか持てないんですよね。』
  
  
  次は、千葉のKさんからのメールをご覧ください。
  

  『個人の心の屈折等の問題はしかりとして、
   気になった事が一つあります。
   職場で制服がないと騒いで帰宅した際、
   派遣社員だからでしょうか、
   それに対してのフォローが職場でなかったのでしょうか。
   今、いろいろな職場で病んでいる会社員も多いの事実です。
   そんな時、同僚含め、上司がフォローできないほど
   会社もぎりぎりなのでしょうか? 派遣だからかな?
   普通はその様な状況や無断欠勤の際の対応って何かあるし、
   そこで連絡含め、会話ができていればと残念に思いました。。。』
  
  
  偶然にも、お二人ともが、
  心を病む人の増加、人間関係の希薄さに触れています。
  

  心がゆがむまではいかない人でも、
  ゆとりがなくなり、
  人を思いやる余裕がなくなってきているということではないでしょうか。
  

  ブータンでは、国民総生産より、
  国民総幸福指数を重視している話を聞いたことがありませんか。
  民族衣装が着物と似ていたり、
  顔も日本人と似ている国ですが、
  たどる道はかなり違っています。
  物は豊か、生活は便利だが、
  自殺者は3万人、心を病む人も増える一方という道を行く日本、
  自分は幸せだという国民が90%以上を占める道を歩くブータン。
  
  
  どちらがいいか悪いかはわかりませんが、
  心が病んでしまったら、
  どんなに幸せでも、
  幸せを感じることができなくなることだけは確かです。 

  
  道と言えば、昨今の日本、道路財源でもめてます。
  利権優先で、
  本当に必要な道路だけを最優先してこなかったから、
  「無駄な道路はあっても、
   必要な道路がまだ充分できていない現実」
  があるわけです。
  狭い日本なのに、
  これだけ長い間お金を取り続けながら、いまだに、
  「必要な道路が作れないから金を出せ」というのは、
  己の無能さを露呈しているだけだと思います。
  そんな理由を平然と掲げて主張する政府は、
  救いようがない気がしますが、
  一番大切な道は、
  日本という国の歩く道です。

  
  日本が今進んでいる道は、高速道路のようなもの。
  まわりは壁で囲まれ、景色をゆっくり見ることもできず、
  せかされるように看板に沿って走るだけ。
  走り心地はいいけれど、歩くことは許されない。
  だからついてこれないものは、そこで見捨てられる。
   
  
  それを思うと、
  昭和30年代の日本は、
  あの頃よくあった土の道を
  歩いていたのではないでしょうか。
  時にぬかるんでも、
  土の優しさを感じながら歩くことには変わりなく、
  だから頑張って歩ける。
  道端の草花を愛でる心の余裕もあり、
  希望を持って、目指す先まではるか見通せた道。
  

  そこには、日本なりの幸せの道が、
  確かに伸びていました。
  いつから、それが迷路になってしまったのでしょうね。
   
  
  うーむ、やっぱりちょっと今回は、
  テンション低い?
  

    (あ、そうだ、ウケを狙うメルマガじゃなかった…ひとみ)
  


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