「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第93号 子供らしさの力



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第93号     


                    2008. 4. 5      


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  この間のこと、地下鉄の改札を出ると、
  人を迎えにきたとおぼしき奥さんが、
  2、3歳の男の子を連れて立ってました。
  待ち人は、
  私の後ろにいた年配の女性。
  エスカレーターに乗っても、
  そのまま、私の後ろにいたので、
  会話が聞こえてきました。
  どうやら、遠方からやって来たお姑さんのようですが、
  お互いがおとなしい雰囲気で、
  どちらも会話が遠慮がちです。
  
  
  それでも、沈黙はいけないと思ったか、
  奥さんが、良き嫁口調で尋ねました。
  「迷わずに来られましたか?」
  「ええ、すぐわかったわ。」
  「そりゃあよかった!」
  
  
  嫁さん、いくら親しみを出そうたって、
  人格変わるの早くないかって?
  いや、最後の「そりゃあよかった」は、
  連れていた男の子が言ったセリフでござんす。
  
  
  思わぬ合いの手が入って、
  ぎこちなかった場も和みましたが、
  それにしても、
  「そりゃあよかった」って
  子供が言うセリフ?
  
  
  そんなことがあった数日後、
  私はスーパーで買い物をしてました。
  お菓子売り場を通ると、
  4、5歳くらいの女の子と、
  これまた2、3歳くらいの男の子の、
  幼い姉弟がいました。
  
  
  弟が、なかなかそこを離れようとしないのを、
  感心することに、
  お姉ちゃんが一生懸命、なだめてます。
  
  
  「○○ちゃん、今日はね、
   売り出しのチョコレートは、
   もう売り切れになっちゃったんだって」
  
  
  親が、きっといつもこう言ってるんだな、
  とおかしく思った次の瞬間です。
  お姉ちゃんにそう言われた弟、
  頭の後ろに手をやって後頭部をかきながら、
  こうのたまいました。
  「まいったな〜!」
  
  
  おまえは親父かあ。
  そうつっこみたかった私の気持ちを察してください。
  
  
  しかし、親父口調の子供って、
  増えているのでしょうか。
  そういえば、前号の「あー、ぢがれたー」の女の子も
  ばばくさい言い方だったし。
  
  
  言葉は大人の話す言葉を聞いて覚えるのですから、
  大人口調そっくりになっても不思議ではないですが、
  でも、昭和30年代に、
  こういう親父口調の子供って、
  こんなにたくさんいましたか。
  
  
  そういえば、最近の子供は、
  5,6歳でも自分の赤ちゃん時代を、
  「私が小さかった頃」
  と表現する子が多いです。
  
  
  これも、大人と子供の世界の違いが、
  あやふやになってる影響なのでしょうか。
  80号でも触れたように、
  今は大人は子供化し、
  子供は大人と同じつもりになってしまって、
  その境界がなくなってきています。
  
  
  しかし、昭和3、40年代までの日本では、
  子供は子供らしく、
  大人は大人らしくの意識は、
  もっとはっきりしていました。
  

  ですから、
  私たちが親しんだシガレットチョコでさえ、
  子供がたばこを吸う真似をするってだけで、
  問題になりました。
  ましてや、今の子供向け化粧品なんてことになったら、
  発売なんてできたものではなかったでしょうし、
  発売したことろで売れなかったでしょう。
  
  
  言葉にしても、
  赤ちゃん言葉から幼児言葉、
  そして成長と共に、だんだん大人の話す言葉に近づいていく段階が、
  もっと鮮明だったように思います。
  親父言葉の子供なんて出ようがありません。
  
  
  子供の言葉が消えていったのは、
  子供が言葉を覚える過程で混乱するため、
  使わないほうがいいと言われるようになってからでしょう。
  今では死語化する言葉も出てきました。

  
  全国共通語ではないでしょうが、
  座るを意味する「えんちょする」なんて、
  すっかり聞かなくなりました。
  今の子供に、
  「はい、えんちょして。」とか言っても、
  わかってくれないだろうな。
  

  よだれかけを、
  「あぶちゃん」と言うこともありました。
  ちなみに、このあぶちゃんというのは、
  昔の油屋さんが胸にかけていた前掛けに似ているから、
  あぶちゃんになったらしいです。
  (まんまは、めでたく「飯」に変換までされました。)
 
    
  でも、本当に赤ちゃん言葉は悪影響なのか、
  私は疑問なのです。
  だって、それまでの子供に、
  言葉の発達の影響が出てたでしょうか。
  
  
  子供が混乱するなんていうのは、
  子供を過少評価しすぎだと思います。
  むしろ、そういう過程を踏んだ昔の子供のほうが、
  それだけ頭を使っていたと思うのです。
  
  
  最初は、親が自分に向けて言う言葉を覚えて、
  言葉が理解できるようになっていく。
  そのうち、同じことでも、
  親が自分に言う言葉と、
  大きい子供や大人に言う言葉が違うことに気がつく。
  そうか、大きくなったら、
  そういう言葉を使うんだ、
  人によって言葉が変わるんだ、
  と理解することも大事なことです。
  混乱ではなく、学びとなってると思うのですが。
  
  
  ハーフの子供は、
  両親がそれぞれの母国語で話しかければ、
  ちゃんと両方の言葉を覚えます。 
  同じ物に対する言い方が違っても、
  ちゃんと受け入れます。
  赤ちゃん言葉は子供が混乱するなんて、
  子供の言語習得力を馬鹿にしてると思います。
  犬に「おすわり」を教える時と同じように考えてる気がします。
 

  敬語をうまく使えない人が増えているのも、
  初期の段階で、
  そういう認識を学ぶところが弱くなっているから、
  っていうのは考えすぎでしょうか。
  
  
  時代が遡るほど、
  赤ちゃん言葉が使われる頻度も高かったはずですが
  昔の人ほど、
  きれいで正しい日本語を身につけているのも確かなことす。
 
  
  言葉が変わる段階を踏むことが、
  成長の自覚ともなる。
  そういう側面だってあるのではないでしょうか。
  
  
  もっとも、昔はもう一つ、
  子供言葉から段階的にスムーズに抜けていくことができる、
  力強い仕組みもありました。
  大人社会と明確に分けられた子供社会です。
  これがきちんと機能していました。
  
  
  昔の子供社会は、
  大人社会と厳然と分けられていた代わりに、
  大人も口を出してくるようなことはしません。
  だから子供社会で、トラブルが起きても、
  よほどのことがない限り、
  大人は出ていきませんでしたね。
  親がしゃしゃり出ていけば、
  「子供のけんかに親が出る」
  って、馬鹿にされたくらいです。
  
  
  だからこそ、
  子供たちは、自分達で解決していくことができたのです。
  そして、逆にそれが普通だったから、
  大人が出てくるまでになったら、
  よっぽど重大なことという認識も持てました。
  それも、ある意味、大人の威厳だったと思います。
  
  
  そんな子供社会では、
  大きな子供が小さな子供の面倒をみながら、
  遊ぶのは普通のこと。
  だから、子供ながらに、
  成長の度合いを考慮して、
  皆が楽しめるように遊び方を工夫したものです。
  
  
  小さい子は捕まえても鬼にしないとか、
  アウトしてもOKとか、
  小さい子だけに適用するルールを決めて、
  保護しながら遊びましたね。
  
  
  私のところでは、
  確か、そういう特別扱いする小さな子のことを、
  おまめだか、おみそだか(両方言ってたかも)
  言ってました。
  「○○ちゃんは、おまめでいいね。」
  というように。
 
  
  そこから卒業させるときも、
  子供の判断です。
  だから、子供ながらに、
  無意識にその子の成長ぶりを見ていたわけです。
  
  
  一方、見られるほうも、
  楽だからって、
  いつまでもその地位にあまんじていたいという
  子供はいません。
  やはり、特別扱いから卒業した時のほうが、
  嬉しいもの。
  
  
  だから、時期がくれば、
  赤ちゃんっぽいことからは、
  わりと抜けやすかったのではないでしょうか。
  かなり大きくなってきたのに、
  いつまでも、赤ちゃん言葉を使ってたり、
  小さな子に配慮できないようであれば、
  子供社会で笑われてしまいますから、自然に治ります。
  仮に、家庭での学びがうまくいかなくても、
  自分はもうそれだけ大きいことを、
  自然に自覚できたのです。
  
  
  親に言われるよりも、
  子供社会の中でのほうが、社会性がすんなり身につくことは、
  たくさんあります。
  自立した子供社会は、言葉と自覚の発達にも、
  かなり貢献していたと思います。
  

  偶然かもしれないし、
  他の原因もあるとは思いますが、
  そういう子供社会の秩序が怪しくなった頃から、
  敬語が使えないというばかりでなく、
  年齢に合わせた言葉の切り替えがうまくできない人が、
  増えてきたように思えてなりません。
 

  幼児期を過ぎても、
  自分のことを名前で言う人、
  20才超えても、
  「父、母」が使えず、
  「お父さんが、お母さんが…」と話す人、
  もっとひどいと
  「パパが、ママが…」なんてのもあります。
  下手したら、30超えてもそのままの人もいます。
  昔ならいい笑いものです
  
  
  困ったことに、
  テレビでもこういう人や、
  ドラマのセリフなどが氾濫しています。
  私はこれを言われると、
  なぜかすごく癇に障ります。
  
  
  父、母も望めないのですから、
  祖父、祖母、兄、姉、なんて言葉も出てきません。
  伯父、叔父、伯母、叔母に至っては、言葉もそうですが、
  使い分けまでできる人も少ないでしょう。
  

  だからこそ逆に、
  若くして、これらを自然に使える人間だと、
  どんなにアッパラパーな格好をしてようが、
  どんなアホ面でいようが、
  中身はひと味違う人間だな、
  と思ってしまいます。
  しっかりした親に育てられている、
  と確信してしまうのです。
  我ながら単純過ぎるほど単純ですが、
  ついそう思ってしまいます。
  でも、あながちはずれてもいない気がします。
  
  
  今の子供の脳は、
  昔の子供の脳より4年発達が遅れているそうですが、
  そんな子供たちが、
  意識だけは早々と大人と同じようなつもりになってしまう環境です。

 
  親父言葉や年寄りくさい子供程度なら、
  笑ってすませられますが、
  昔は、絶対にありえなかった自殺する子供、
  動機は幼稚なのに大人並みの犯罪をする子供、
  社会性が身につかない子供、
  大人を脅す子供などが増えていることも、
  そういったゆがみから出ている悲劇ではないでしょうか。
  

  子供社会の陰湿ないじめだって、 
  最初は思いやられ、
  次に思いやるという子供社会の過程を
  正しく踏めなくなったがゆえに、
  相手の身になれない子供が増えているという一面も
  あるのでは。
  自分が面倒を見てもらうのはいいけれど、
  小さな子の面倒は見たがらないという子供も
  増えてる気がします。
    

  今の大人の子供社会とのかかわりも、
  出ていかなくていいところへ出て行き、
  出ていかなくてはいけないところは、
  気がついてない、
  というようになってしまったと思います。
    
  
  大人の子供化、子供の大人化(中身が伴えば問題ないですが)は、
  けっこういろいろな問題をはらんでいないでしょうか。  
 

  子供は子供らしく、
  は、決して差別ではなく、
  そこで学ぶべきことがあるから、
  必要なものであると思えるのです。

  
  赤ちゃん言葉の復活を
  とまでは言いませんが、
  砂場で遊ぶ子供たちの会話が、
  「けんちゃんのとこ、景気はどう?」
  「あんまりよくねえみたいだな。お小遣い減らされたし。」
  なんて世には、なってほしくないものですなあ。  


  

  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
     
 
  ◇もう一人、親父っぽい小学生に出会いました。
   体が大人なみに大きいところへ、
   ポケットに片手をつっこんで歩く姿がいかにも親父っぽい。
   背中のランドセルとのアンバランスも際立ちましたが、
   彼はもちろんそんなこと気にすることもなく、
   並んで歩く普通の体格の小学生の肩を寄せて、
   こう言い聞かせながら歩いてました。
   「おまえは負け犬だぞ。
    このまま一生、負けたまんまだからな。」
  
  
   昔の頼もしいガキ大将タイプだな、
   と感激しましたが、
   後で思いました。
   「ちょっと待て、もしかしていじめだったか?」
   こんなふうにもとれてしまう今の世の中、
   ほんと、複雑すぎてよくわからん。

  
   
  
  ◇言われると癇に障る言い方がもう一つあります。
   それは、若い店員がよく使うようになった、
   「こちらでよろしかったでしょうか」
   確かにおかしな言い方ではありますが、
   癇に障るまでとは思ってなかったんですよ。
   ところが、いざ言われてみたら、
   自分でも意外なほど、かなりカチーンときました。
   大人の自覚だと、さらりと流しましたが、
   本当の大人の自覚なら、きちんと言うべきだったかな。
   「なんだ、その口のきき方は。店長を呼べ!」と。
   (ちょっと違うって?)
   
   
    
  
  ◇親から聞いた話によると、
   昭和30年代、
   こんな年寄り子供はいたそうです。
   その子は、どこで覚えたか、
   玄関先で、靴を脱いだり履いたりするたびに、
   「うんとこどっこいしょ!」
   と元気良く掛け声かけて座ってたんですって。  


   ひとみちゃんという子らしいです。
   いやですねー。
  
                     (ひとみ)
  
  




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