「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー




 第90号 江戸しぐさが生きていた



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第90号     


                    2008. 2. 3      


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  江戸しぐさというものを聞いたことのある方も
  多いと思います。
  マナーが悪くなる一方の社会のおかげ?か、
  CMなどでも取り上げられたりして、
  注目度も増しています。
  

  江戸は当時の世界の中でも、
  トップクラスの人口を擁した都市。
  それなのに、江戸の町と言われる範囲は、
  今でも狭い東京より、
  さらにずっとずっと狭い範囲でしかありません。
  しかもそのほとんどが武家屋敷に占められていました。
  ですから、
  庶民の居住地の人口密度たるや半端なものではありません。
  
  
  そういう中で、
  人が多いゆえの摩擦を避け、
  相手を思いやりお互いが気持ちよく過ごせるために、
  自然派生していった江戸のマナーが、
  江戸しぐさというわけです。
  こうしてみると、
  昔の人は大人でしたね。
  
  
  雨の日に、狭い道で行き会う時、
  互いが傘を傾けあって、
  相手に雫がたれないよう気遣ったのが「傘かしげ」。
  降っていない日の狭い道では、
  互いが横歩きになって、
  通り過ぎる「蟹歩き」という江戸しぐさもあります。
  
  
  混みあう道では、
  互いが片身を引いて通り過ぎるのが、
  「肩引き」。
  それでもぶつかったり、
  足を踏んだりしてしまった時は、
  ぶつかった方はもちろんですが、
  ぶつかられた方も、
  自分もうっかりしていたと謝るのが
  「うかつあやまり」。
  
  
  公共の座席などで、全員がこぶし一つ分詰めあって、
  一人でも多く座れるようにするのが、
  「こぶし腰浮かせ」。
  
  
  まだまだいろいろありますが、
  これらは礼儀として身につけるというより、
  癖みたいに自然に身についていなければ、
  江戸生まれでも、江戸っ子ではないと思われたそうです。
 

  ところで、
  なんで今回は、
  昭和30年代じゃなくて、
  江戸時代の話なんかしているんだ?
  と思われている方もいるでしょう。
  
  
  そこですよ!
  つまり、こういった江戸しぐさの精神は、
  昭和30年代の日本でも、
  まだけっこう残っていたと思うのです。
  いや、30年代に限らず、
  昭和の終わり頃までは比較的残っていたのではないでしょうか。
  
  
  私が初めて、江戸しぐさというものを知ったのは、
  たぶん、昭和5,60年代あたりであったろうと思いますが、
  その時にも、
  「今でもけっこうやってるじゃない。」
  と思ったことだけは覚えています。
  
  
  ただ、傘かしげの行為は、
  単に傘がぶつからないために傾けあうのだと思ってましたので、
  相手に雫をかけない、というもっと深い意味があったところまでは、
  思い至りませんでした。
  
  
  お互いが相手を気遣う心で接するのは、
  人間しぐさでもあります。
  だからこそ、礼儀としてではなく、
  自然の行為としてできて当然と言われたのでしょう。
  
  
  たまたま江戸という特殊事情がある町では、
  その心がより必要とされたから、
  際立っていっただけであって、
  江戸じゃなくたって、
  そういう状況になれば、
  昔の人たちは、
  自然にできたのではないでしょうか。
  
  
  もし、当時と同じような状況になったら、
  今の人間は、江戸時代と同じような気運を
  自然に作り出すことができるでしょうか。
  
  
  たとえば、昨今、私が見なくなったと思っているのが、
  狭い道で、二人で並んで歩いている時、
  反対側から人が来たら、
  一人が後ろに下がって縦列になるという行為。
  これも、
  自分の歩く場所は道の三分、
  と考える江戸しぐさの精神から生まれた行為だったのでは、
  とも思えます。
  

  特に若い人や子供で、
  これのできる人には出会ったことがありません。
  せいぜいが体をちょっと横に寄せるくらい。
  でも、知らないからできないってこともあると思います。
  親子づれでも、
  向こうから人が来て、
  子供を後ろなり前なりの位置に誘導する親は、
  あまりいません。   


  学校でもそうです。
  数年前のことですが、
  どこかの小学校が、大勢の子供たちを3列くらいにして、
  狭い歩道いっぱい使って歩かせてくるところに遭遇しました。
  対向者はどうするんだよ!
  思わず、「先生はどこだ!」
  と叫びたくなりました。


  対向者の中には、仕方なく、
  車道に出て歩きだす人もいました。
  これで事故でも起きたら大変なことです。
  私は、対向者もいるということを、
  子供たちに気づかせるためにも、
  意地でも歩道を歩くほうを選びましたが、
  そこで、不気味な感覚になってきました。


  なんと、上手に対向者をかわせない子供たちの多いこと。
  とっさの判断が鈍いのか、
  よけるという概念がないのか、
  自然に体を傾け合ってすれ違うことができない子供が多く、
  なんだかロボットが歩いてくる感覚に囚われたからです。
  

  教えてもらえなくても、
  見たことがなくても、
  人のことを考えられる心があれば、
  自然にできるようになることもありますが、
  それを担う大人が心をなくしてしまったのですから、
  仕方ありません。
      
  
  一人くらいしか通れない狭くなってるところですれ違う時でも、
  先に待って、道を譲ってくれる人は、
  ほとんど年配の人です。
  たいていの人は、先に通らなきゃ損とばかりに、
  やってきます。
  
  
  これも昔は、ほとんど時間差がなければ、
  むしろ先に着いたほうが待ってくれて、
  道を譲るくらいの、ゆとりのある人間が多かったです。
  そして、譲ってもらった場合でも、
  急いでいて自分が先に通させてもらった場合でも、
  待たせた人には、軽く頭を下げたり、
  お礼やお詫びを一言かけるくらいは当然、
  いや、自然のことだったのではないでしょうか。
  これも江戸しぐさの精神と共通するもの。
  
  
  電車内でも、
  7人がけのところに、
  6人がゆったり座り、
  半人分くらいのスペースが中途半端に空いている風景は、
  今は珍しくありません。
  
  
  特に座っている人に男性が多い場合、
  中途半端なスペースが残りやすいのですが、
  見るとみな、足を広げて座ってます。
  
  
  これも、昭和30年代には、
  ほとんど見られなかった光景です。
  だって、幼い頃の私は思ってましたもの。
  「男の人は、なんで電車の中では、
  足を広げないで座るんだろう?」って。
  たまに、そんな格好で座っている人がいたら、
  妙に浮いてました。
  それほど当時の乗物では、
  男性も足を閉じて座るのは常識でした。
  当然、中途半端なスペースが残っていることはありません。
  あっても、人が乗ってくれば、
  言われる前に、皆が申し合わせたように自然に詰めるのは、
  ごく当たり前の光景。
  まさにこぶし腰浮かせそのものです。
  
  
  現在の、
  後から来た人が座るそぶりをみせてから、
  しぶしぶという感じで動く光景を見ていると、
  心が貧しくなったもんだよなあと思ってしまいます。
  しかも、動いてくれれば、まだいいほう。
  自分の悪さを棚にあげて逆切れするおかしな人がいれば、
  トラブルになるリスクさえあります。
  こぶし腰浮かせどころの話じゃありません。
  
  
  座席を色分けしたり、
  手すりをつけられたり、
  放送で注意されなくたって、
  ちゃんと定員で座れていたことを思うと、
  今がいかに幼稚化した社会になってしまったかということですね。
  
  
  小さな子供を座らせる時に、
  たとえ一駅でも、靴を脱がすことも常識でした。
  自分の面倒臭いという思いより、
  人に迷惑をかけない配慮のほうが上回っていた社会でした。
  
  
  以前とりあげた、
  座っている人が、
  見知らぬ子供でも抱っこしてくれたり、
  前に立つ人の荷物をもってあげたりすることも、
  相手を思いやって共存する精神から生まれてきたもの。
  江戸しぐさの精神は、
  江戸時代にはなかった公共交通機関の中にも、
  しっかり受け継がれていたのです。
  
  
  現代が、いかにゆとりをなくしてしまったかということです。
  でも、自分のことしか考えられない行為が、
  結果的には自分の心を締め付け、
  イライラや気ぜわしい思いを増幅させ、
  必要のないストレスなどを貯め続けている面もあるのは確かです。
  
  
  たとえば、
  狭い場所で自分のほうが待ってあげるという行為を例にすれば、
  心にゆとりがないから、待ってあげられない。
  ということは逆に、
  相手を先に通してあげる行為をすることで、
  自分の中にゆとりが生まれて、
  穏やかな気分になっていくこともできるのです。
  
  
  私も、イライラしてるかなという時ほど、
  意識してするようにしてますが、
  自分の顔つきがゆったりしてくるのがわかります。
  そこへきて、お礼まで言ってもらえたりしたら、
  人様に気持ちを癒してもらってるようなもんです。


  実際、お礼を言われたり会釈をしてもらったり、
  何かしらリアクションをしていってくれる人は
  けっこう多く、高確率で反応が返ってきます。
  受けとめてくれる心は、健在ですから、
  本当に心をなくしてしまったのではなく、
  ただゆとりをなくしているだけなのだと思います。
  (それとも、私から発している雰囲気が、
   待って『あげます』的で、
   暗にお礼を要求しているように見えるとか?)
  
  
  何もしない人でも、顔を見ると、
  なんだか照れたような、
  こそばゆいような顔をしていたりします。
  (それとも、顔を見ているのが、
   お礼を待ってるように思われてるせいとか?)
  
  
  昭和30年代の日本人の公共マナーが、
  今と比べて格段に良かったのも、
  人を思いやる心があってこそ、
  自分も気持ちよく過ごせることを、
  まだ忘れてなかったからだと思います。
  
  
  ゆとりのない社会、
  心を病む人の多い社会だからこそ、
  人を思いやる心でもって、
  自分を癒すことも、
  より必要なのではないでしょうか。
  
  
  そうしたら、また大人の社会に戻っていくことも
  できると思います。
  
  


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    あれこれ後記
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  ◇前号の私の思い出話に対して、
   こんな思い出話が届きました。
   Noboruさんからいただいたメールの一部をご紹介します。
 
  

   『毎回、本当に楽しみに読ませていただいているのですが、
    今回のお話には激しく反応してしまいました。(^^ゞ

    「かみいさん」と聞くと、亡くなった祖母を思い出します。
    よく、かみいさんに行って来ると言ってました。
    祖母のことを思い出しましたね。

    それと、後半のお話ですが、初詣の想い出は、僕にもあります。
    我が家は、浅草寺ではなかったのですが、
    毎年、家族で初詣に出かけていたところがありました。
    それは、成田山新勝寺。
  
    やっぱり、松の内に初詣に出かけると、
    行けども行けどもなかなか本殿に辿り着かない。と言うか、
    駅から参道を歩くのも大変だった思い出があります。
  
    ただ、参道には2つの羊羹屋さんが軒を並べてまして、
    そこで甘いものを食べさせてもらうのと、
    羊羹をお土産に買ってもらうのが楽しみだったですね。
    2つの羊羹屋さんは、米屋さんと柳屋さんです。
    我が家は専ら、米屋さん贔屓でした。(^^ゞ

    あと、父が厄年のときに、成田山ではなく、
    川崎大師に厄除けにお参りに行ったことがあるのですが、
    そのとき、参道のお蕎麦やさんで、
    鍋焼き饂飩をご馳走になったのですが、
    海老の天麩羅の尻尾の一部が喉に刺さって、
    大変な思いをして、
    その後数十年、鍋焼き饂飩を食べられなかったことがありました。
    これって一種のトラウマですね。』



   いやはやNoboruさん、とんでもない目に合ってしまいましたね。
   神奈川県にある川崎大師は、
   関東近辺では厄除けとして有名なところです。
   そのために、Noboruさんのお父様も、
   そこへお参りに行かれたのでしょう。


   例年通り成田山にもお参りしていれば良かったのか、
   祓った厄が、Noboruさんに降りかかったのか、
   いずれにしても、
   今は、無事にトラウマからも開放されて良かったですね。
   鍋焼きうどんをずっと食べられないままだったら、
   大損こいてしまうところでしたもん!  

 
  
  ◇東京は雪の節分となりました。
   肝心の豆まきをやる家は減りましたが、
   恵方巻きや年の数だけの豆など、
   食べる部分だけは、
   忘れられていかないところが、
   あっぱれ日本人!


   しかし、この豆、
   子供のころは、少ししか食べられなくて物足りず、
   いらなくなる頃には、数が増えてくるという、
   どうも理不尽な風習です。
   今じゃ、数を数えるだけで疲れ、
   食べるのにも疲れますわ。
   (しかも数え年の数でしょ〜)   
  

   ご長寿なご老人ともなったら、
   どうなるんでしょうね。
   でも、この風習ができたころは、
   こんなに長生きできる時代になるなんて、
   思ってもいなかったでしょうね。

   
   それを考えたら、
   文句言わずに、素直に従おうっと!
   さあ、数えるか20個。
   


                             (ひとみ)



 
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