「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第89号 暮れのかみいさん



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第89号     


                    2008. 1. 13      


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  年が明けて、早くも半月近くたとうとしていますが、
  今年もよろしくお願い申し上げます。
  
  
  暮れの年末風景のニュースで、
  美容院で若い女性が晴れ着姿になって街に出て行く様子が
  放送されていました。
  
  
  昨今では話題にもならないくらい、
  お正月の着物姿の激減は、
  当たり前のことになりましたが、
  それでもこういう光景は必ずあり、
  またニュースにも取り上げられるのは、
  いいものです。
  
  
  しかし同じ暮れの美容院のニュースでも、
  昭和30年代当時とは、
  取り上げ方のニュアンスは変わりました。
  当時は、
  髪を結う客で賑わって美容院は大忙し、
  というニュースでしたが、
  今は美容院で晴れ着姿になるお客さんの姿が、
  ニュースですから。
  主役が美容院から着物を着る人に、
  微妙に変わっています。
  
  
  当時は、自分で着物を着られる人もたくさんいましたから、
  着付けはせず、頭だけ結ってもらう人も多かったですね。
  そのまま年越し後の初詣に出かけるつもりなら、
  あらかじめ着物を着ていって、
  頭を結ってもらって出かけるだけですが、
  元旦に家で着物を着るつもりで、
  大晦日に頭だけ結っておきたい人には、ちょっと問題が。
  

  だって、服は洋服なのに、頭は和服モードという
  ちぐはぐさで帰らなければなりません。
  近所の美容院でないと、ちょっと恥ずかしいです。
  また間違っても、
  かぶりのセーターなど着ていってはいけません。
  言うまでもなく、後で悲惨なことになりますからね。
  そして最大の難関、
  髪を結ったまま一晩寝るということも、
  クリアしなくてはなりません。
    
  
  こういうことは、別に暮れでなくても、
  髪を結ってもらうのが前日でないと間に合わない場合などには、
  起こりうることでした。
  母も、幼稚園や学校の入卒式などで着物を着る場合は、
  前日に頭を結ってきてました。
  そこまでしても、特別だから着物を着る、
  という思いはまだ持てた時代だったのですね。
 
 
  そう言えば、
  当時は、美容院のことを、
  「かみいさん」って言ってました。
  髪結いさんが縮まったと容易にわかる言葉ですが、
  髪結いがメインだった時代の名残がまだ残っていたということでしょう。


  当時もすでに、美容院と言えば、
  カットやパーマのほうが主流でしたが、
  まだそんな言葉が残っていたのも、
  髪を結ってもらうというニーズが、
  意識されていたからかもしれません。
  当時あたりを最後に消えていきましたが、
  「かみいさんに行ってくる」
  って普通に使われてましたっけ。
  
  
  ですから、
  神井さんの奥さんが美容院に行く場合は、
  「かみいさんのかみさんがかみいさんに行く」
  となりました。
  (疲れますので、さらりとお流しください。)


  当時のお正月も洋服のほうが多かったですが、
  暮れの美容院が賑わうほどですから、
  着物率は明らかにずっと高かったですね。 
  我が家には、お正月だからといって、
  必ず着物を着る習慣はなかったけれど、
  子供たちだけは着せてもらえるお正月もありました。
  といっても、ウールの着物ですけど。
 

  もちろん、頭まで結ってもらえることはありません。
  それどころか、庭で遊ぶ姿を撮ってる写真がありますが、
  寝癖つきのぼさぼさ頭。
  お正月で着物着ているというよりは、
  着物で寝ていた時代の寝起きの子供たち、といった風情です。
  

  お正月ということで、気合が入ったか、
  カラーで撮ってありますが、それでもそう見える。
  白黒フィルムだったら、
  完全にお正月写真とは思えないしろものになってたでしょう。
  着せりゃあいい、ってもんでもありません。


  しかし、
  ぼさぼさ頭の子供たちの写真を撮ってる父、
  ぼさぼさ頭の子供たちの写真を撮らせる母、
  ぼさぼさ頭で写真に写る子供たち、
  紛れもなくO型一家だなあと実感いたします。


  当時は、「お正月だから着物を着ようか」
  という思いは今よりまだ浸透していましたから、
  大人でも、気軽なウールの着物で、
  お正月を過ごす人もけっこういましたね。
    
 
  考えたら、晴れ着より、
  このウールの着物姿を見る機会のほうが、
  今は少ないかもしれません。
  浴衣が復活を遂げたから、
  次は、ウールの着物を復活させてくれませんかしら。
  ウールの着物でお正月の着物率アップ。
  ファッション界の方、よろしく。
  

  なんだか私も着たくなってきた。
  あったかいもんね〜。
  (それが一番の理由だったりして)



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    あれこれ後記
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  寺社仏閣参りはわりと好きな私ですが、
  大混雑が嫌なので、
  初詣は地元の神社にしか行きません。
  
  
  でも、子供の頃の初詣は、
  浅草の観音さん、つまり浅草寺と決まってました。
  当時住んでいた都営住宅に近いところではなく、
  わざわざそこまで行っていた理由は、
  例の蔵前のお店に年賀状を取りに行った帰りに寄れる、
  という地の利に他なりません。


  しかし、こういう有名どころは、
  当然混んでます。
  まずは車を停める所を探すことから難関です。
  当時は路上駐車はうるさく言われてなかったですから、
  周辺道路は、初詣客の駐車中の車で占拠されていました。
  そんな状況でも、時間の差こそあれ、
  どうにか見つけることができたのは、
  お参りだけの人が多くて、回転率が良かったからかもしれません。
  でも、会社などは無人ですからまだしも、
  住民にとっては迷惑だったでしょうね。
  我が家も駐車していた一員として、お詫び申し上げます。

 
  この第一の難関をクリアすると、
  第二の難関が待ち受けます。
  仲見世から本堂に到達するまでです。
  大混雑ですから、なかなか前に進みません。
  ともかくも、牛歩状態で人混みを辛抱強くのろのろ歩く。
  まして、小さいうちは何も見えません。
  ひたすら前の人のお尻を見て歩く。
  これも観音様から課された修行か?
  
  
  しかし、この第一と第二の難関の間に、
  実は私だけのもう一つの難関がありました。
  仲見世の入り口にある雷門です。
  浅草寺に来られたことがない方も、
  「雷門」とでかでかと書かれた大提灯がぶら下がった門を
  何かでご覧になったことがありませんか。
  
  
  両脇に風神と雷神が安置されているので、
  正式名は風雷神門と言いますが、
  なぜか雷門で通用しています。
  風神さんの立場は?
  

  幼い頃の私は、
  とにかくあの門をくぐるのが怖かったんです。
  それと言うのも、まさしくこの風神、雷神の像があったから。
  なにしろ迫力あるお顔とお姿です。
  しかも子供ですからひときわ大きく見えます。
  
  
  その恐ろしげな姿から、閻魔さまでも想像したか、
  「この子は悪い子だ」
  って見透かされて、
  自分が通る時に、
  突然動きだしてつかまってしまうのではないか、
  と思えて仕方なかったのです。
  ですから、通る時は、親の手をしっかりと握り、
  左右忙しくきょろきょろ見張り?ながら、
  緊張して通ってました。
  そう思いながら見上げて通ると、
  よけい迫力があって見えたものです。
  今も、私と同じような思いで通る子供がいてほしいと、
  実はひそかに期待しています。
  

  我ながら意気地がない子供だったと思いますが、
  私はいい子だから大丈夫という自信が持てないところも、
  情けないわけで…。
  そういえば、初めてニュースでなまはげを見たときも、
  なまはげの来ないところに生まれて良かった、
  ここの子供だったら、私は無事ではいられなかった、
  と心底思ったものです。
  
  
  この雷門は、たびたび消失し、
  幕末以後は長らく仮設で済まされていて、
  現在のものは、昭和35年に松下幸之助さんが病気平癒のお礼として寄進し、
  再建されたものだそうです。
  
  
  風神雷神は頭部は江戸時代、
  胴体は明治時代のものですが、
  意外にも、門自体は私たちと同世代なんですよ。
  ということは、私がこわごわ通っていた頃は、
  まだ新しかったんだ。
  いや、私たちのお仲間ということは、
  今も新しいですけど。
  その証拠にコンクリート造り。

  
  しかし、松下幸之助さんという人は、
  こんなところにも徳を残されていたのですね。
  ところで、松下幸之助さんといえば、松下電器産業、
  松下電器産業といえば、ナショナルですが、
  数年前、石油温風器の欠陥製品が出た時は、
  「幸之助さんがいなくなって、
   ナショナルもだめになったな」
  と思ったもんです。


  しかし、その後の対応には感心しました。
  対象機器回収のCMや折込チラシなどの広告をばんばん打っただけでなく、
  各世帯に郵送までする丁寧さ。
  こっちのほうが、そこまでやらなくてもと、
  思ってしまうほどでした。
  しかも、その年だけでなく、
  翌年以降もシーズンになると、
  アクションを起こし続けるという念の入れよう。


  あれ以来、ことが起きると、
  他の企業も追随して、
  同じようなテレビCMを流すようになりましたが、
  ナショナルほど徹底してやる企業は、一つもありません。  
  松下精神の偉大さを知った一件でした。
 

  今年の秋から、国際的に名の通ってるほうのブランド名、
  パナソニックに統一するそうで、
  松下やナショナルの名は消えてしまいます。
  名前が変わっても、
  松下精神は変わらずに行くとのことですが、
  やはり幸之助さんのイメージが強かった名が消えるのには、
  寂しさを感じます。
  といっても、私はナショナルとも、松下幸之助さんとも、
  何の関係もありません。

 
  そして本当のことを言うと、
  一番ショックを感じたのは、
  このニュースを聞いた時に
  真っ先に頭に浮かんだのが、
  「♪あっかる〜いナショナ〜ル♪
   って歌えなくなっちゃう」
  ってことだった我が思考回路に対して、
  なのでございます。
  
  

                        (ひとみ)
  
                         

 
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