「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第88号 お笑い芸人見る目は肥えた



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第88号     


                    2007. 12. 23      


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  現在はかつてないほど、お笑い芸人が大活躍です。
  と言っても、本業の芸以外での活躍が目立ちますが。  


  テレビでも、若手お笑い芸人たちの顔を見ない日はありませんが、
  そのほとんどがバラエティ番組で、
  本業の芸を見る機会のほうが少ないです。
  私の場合、芸は見たことがないという若手芸人も多いです。  


  演芸番組自体が、昔より少ないこともあるでしょうが、
  ちょっと人気が出ると、
  本業以外の仕事のほうが増えてくる。
  結果、お笑い芸は二の次になる。


  お笑いが芸能界入りのきっかけとなって、
  別の仕事で芸能界に残ることも、
  違う才能の開花ということで悪いこととは言いませんが、
  芸を極めるという意味では、
  玄人魂の芸人が育つ環境は、
  昔に比べたら、かなり破壊されてしまったと思います。
  昨今のお笑い芸が、
  薄っぺらなものも多く、
  寿命も短いものになってきてるのは、
  当然かなとも。

  
  昭和30年代も、お笑い芸人が本業以外のことをすることはありましたが、
  当時は、ちょっと違ってました。


  思い出してください。  
  当時、子供だったあなたが、
  そろばんを見つけたら、どうしてます?


  ツイストしながら、そろばん振って、
  「あなたのお名前なんて〜の♪」
  って、やっちゃってませんでしたか。 
  

  当時、子供だったあなたが、
  ウクレレを見つけたら?
  弾けなくたって、こちらも思わずやっちゃいますね。
  「あ〜あ〜やんなっちゃった、
   あ〜んがあんが驚いた♪」
  (あんたと同じレベルで語るなってか?)
  
  
  言うまでもなく、
  そろばんは「アベック歌合戦」の司会をしてたトニー谷の真似、
  ウクレレは「大正テレビ寄席」の司会をしてた牧伸二の真似。

  
  芸人が司会をするときだって、
  その芸や個性を生かした演出で、
  世間に自分のキャラを浸透させ、
  本人も番組も成功していたのです。
  今はこういう番組作りも、こういうことができる芸人も、
  ほとんど見かけません。


  当時は演芸番組自体も、今よりありましたが、  
  当時の演芸番組の特徴も、
  若手芸人育てには貢献してたと思います。
  

  当時は、日本伝統のお笑い芸も、
  こういう番組でよく登場しました。
  日本には、長年培われた、
  人を楽しませる芸がたくさんありますが、
  そのどれもが、芸人としての力を蓄えなければできないもの。


  たとえば落語なら、
  物語もオチもわかっている古典落語で笑えるかは、
  落語家の力量次第。
  江戸家猫八さんに代表された動物の声帯模写や、
  海老一染之助・染太郎さんでお馴染みの曲芸などにしても、
  一朝一夕にできるものではありません。


  今ではほとんどテレビで見ることはできませんが、
  紙きりという芸も、当時はテレビで見ることができました。 
  文字通り、人や物のシルエットを切り抜いてみせる芸。
  それがまた、線で描いてみろといわれても、
  こんなに上手にはできないという、
  本格派の見事な芸術品。
  
  
  もちろん、ただ切り抜いて見せるだけのものではなく、
  お客さんのリクエストに応えて、
  即興で切り抜くことも朝飯前。
  しかも、切り抜く間も、
  おもしろおかしくしゃべって、
  お客を笑わせながら、
  切っていくのですから、
  実にいろいろな才能が必要とされる見事な芸だと思います。


  当時の伝統芸以外のお笑い芸人は、
  こうした息の長い、奥の深い伝統芸の芸人と並んで出演し、
  これまた伝統芸を知り尽くした観客相手に、
  芸を披露してたのですから、
  今のような芸ではたちうちできません。
  しゃべくり漫才や漫談、コミックバンドなどにしても、
  芸の力を感じさせるレベルのものばかり。


  だから、新しい芸で成功する芸人というのは、
  この人にしかできないものという要素が、
  かなり濃かったと思います。
  先ほどのトニー谷や牧伸二もそうですが、
  東京コミックショウの蛇使いや、
  早野凡平の帽子芸など、
  その人だけの芸というものが多く、
  また、他の人がやったとしても、
  同じように笑いをとれるものではなかったでしょう。
  だからこそ、今もその芸は語られ、
  色あせないのです。


  子供が流行の芸を真似するのはよくあることですが、
  私も、当時こういった芸を、
  真似してみたもんです。
  トニー谷も、牧伸二も、声帯模写も、曲芸も、紙きりも…。
  (しかし、今初めて気がついたけど、
   我ながら、よくいろんなものを真似してたもんだ。)


  今の子供たちが真似するような芸と大きく違うのは、
  真似しても、とても同じようにできるものではなかったこと。
  でも、子供にとっては、
  「そんなの関係ねえ!」(あれ?)

  
  でも、簡単に真似できないものであったことこそが、
  芸の力を必要とした芸であった証拠。
  紙きりなど、真似したところで、
  最終的には、幼稚園で教わった工作に変わってました。
  ほら、紙を折りたたんで、適当に折り目に切り目を入れて広げると、
  切り抜かれた穴が、それなりの柄となるってのが、
  あったでしょう。
  才能に関係なく、誰だって様になるものができる工作。
  あれで、やった気になっていた。
  でもこれ、紙きりとは全く別物だってば。


  こうやって、自分も真似てみることで、
  その芸人の偉大さがわかれば、
  子供の目だって自然と肥えていきます。  
 
  
  私が今の芸人で、間違いなく昔を越えてるレベルの芸人だと思えるのは、
  腹話術のいっこく堂くらいです。
  
  
  この腹話術も、昔は演芸番組では、
  今よりずっとやってましたよね。
  当時の腹話術士は、
  素人がやるのとはさすがにえらい違いでしたが、
  ほんの少し、口が動くことは必ずありました。
  少し口を開けているのが、
  普通のポジションだったせいかもしれません。
  
  
  だから、私はこれを見るときは、
  どれだけ口が動かないかばかり気になってました。
  ですから、腹話術士の口元を見ては、
  「あ、今、ちょっと動いた。」
  などとよく言っていたものです。
  実際の舞台を見に行ってたとしたら、
  かなり嫌なガキだと思われたこと間違いなし。


  これも、ぬかりなく真似してみましたから、
  やはり腹話術士はすごいということは、
  わかってはいました。
 

  それでも、幼心に、
  腹話術は、全く口を動かさないことは不可能で、
  声色もみんな似たようになるものだと確信していたのです。
  大きくなっても、
  これは人間工学的に仕方ないのだろうと思ってました。
 
   
  それを、いっこく堂はあっさり打ち消しました。
  しかも彼は、私が腹話術の限界だと思ってたことを
  くつがえしたばかりでなくて、
  さらに想像を超えた、不可能と思っていた領域の芸までも、
  次々と見せてくれるではないですか。
  
  
  これぞ、私が待ち望んでいた究極の腹話術士!
  幼いときからの固定観念を打ち破る芸を見せてくれるのですから、
  もう信者みたいなもんです。
  テレビで、この人の芸が始まると、
  目が離せなくなってしまいます。
  意識してなくても、
  気がつくと、食い入るように見入ってしまっているのです。

  
  これこそ、真の芸人。
  容姿じゃなくて、
  純粋にその芸にほれ込んだ芸人です。
  (これでも、ほめてることになる?)
  この人がいる限り、日本の腹話術のレベルは、
  世界一と言えるでしょう。
  だから、腹話術だけは、
  昔より確かにレベルが上がったと認めます。
  ついでにこの人が、昭和30年代世代のお仲間というのも、
  誇らしいです。
 

  今は演芸番組も、
  お笑い番組と言われることが多いですが、
  「中身がお笑い種だからか?」
  と、皮肉の一つも言いたくなるものも多いです。
  単に呼び方が変わったのではなく、
  文字通り芸を演じる演芸番組とは、異質のものになった気がします。
 

  当時も、お笑い番組と言うものはあったけど、
  それは、「てなもんや三度笠」とか「デン助劇場」など、
  スタジオや舞台で演じられる喜劇番組の意味が強かったのでは
  ないかと思います。
  それだって、老若男女が屈託なく楽しく笑えるお笑い番組でした。


  感性の差だと言ってしまえばそれまでですが、
  今みたいに、若い人には受け入れられるけど、
  年配には受け入れられないお笑いって、
  昔は、ほとんどなかったのも事実です。
  万人を楽しませることも、真の芸人の力です。
    
  
  中高年から見ると、
  今の芸が浅く見えたり、
  おもしろく感じなかったりするのは、
  芸人魂のこもった芸をたくさん見てきたから、
  という気がしないでもありません。
  そう、中高年は、目が肥えている。
  これ、単なる中高年の自己弁護だと思いますか?


  今の子供が真似するものより、
  私たちが真似た芸のほうが、
  品もあったし息も長かったのは確かです。
 
 
  数ヶ月、ブームとしてもてはやされ、
  あっさり忘れ去られる芸人、
  才能のありそうな人が出てきても、
  芸が熟成する前に、違うほうでの活躍が増えてしまう芸人、 
  芸人を、そうやって都合のいいように利用するマスメディア、
  見る目が甘くなった観客。  
  そんなんで、日本のお笑い芸のレベルが保てるでしょうか。   
  これは、三者にとって、不幸なこと。


  少なくとも私は、
  素朴ながらも、いや素朴だったゆえに、
  本物でなくては通用しなかった芸を見て育ったことも、
  また宝だったと思っています。
  

    

  
  
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    あれこれ後記
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  前にもどこかで書いたとは思いますが、
  私の父は、3年前に胃がんで胃の全摘手術を受けてます。
  そのため、腸に直接食べ物が入るので、
  腸のひだに入り込むようなきのこ類とか食物繊維などは、
  腸閉塞の原因となるためご法度です。
  
  
  それらは気をつけているのですが、
  それでも一度腸閉塞を起こして、入院しました。
  原因は食べすぎと運動不足。
  
  
  足が弱っているので、歩かない、
  歩かないから、なお足が弱るで悪循環。
  そこへきて食べることは好きなので、
  まさに食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活。
  それでも太りはしないのですが、
  体に良くないことに変わりはありません。
  でも、散歩も、気が向いた時に、
  ちょっと行くくらいです。
  
  
  そんなわけで、時々ひどい便秘になり、
  出ている薬や座薬でもだめだと、
  腸閉塞を警戒して、病院で浣腸してもらいます。
  
  
  この秋にも、
  便秘から体調を崩し病院へ。
  幸い腸閉塞は大丈夫だったのですが、
  もどしたものが肺に入ってしまったようで、
  一部に肺炎を起こしていることがわかったため、
  大事をとって1週間ほど入院しました。
  
  
  肺炎を起こしていることが早めにわかったのは、
  ついてましたが、実は困ったことが…。
  あまりに、座ってるか昼寝してることが多くて、
  父のおしりが床ずれ寸前で赤くなってきているのを
  数日前に発見した母、
  よりによってその前夜、
  風呂上りの父のお尻に
  赤チンを塗ってしまってたんです。


  前号でも書いたとおり、
  今でも赤チン愛用者の母ですが、
  なぜにその前夜に限って、
  ご丁寧に赤チンを塗る気になったのか。
  

  こうして父は、お尻に赤チンを塗ったまま、
  1週間の入院生活を送るはめになりました。
  しかも、肺炎の治療だけなら、
  お尻を見せることはなく、
  なんとかごまかせたでしょうが、
  父の場合、腸も詰まってたもので、
  浣腸されるのは必至。
  はい、もうどんぴしゃ、大当たりです。


  本来なら、入院したということで心配しなくてはならないのですが、
  赤チン塗られたお尻を出された看護婦さんは、
  どういうリアクションを見せるだろう。
  それを想像したら、あーた、
  笑ってしまわないほうが無理ってもんです。
  塗った張本人の母からして、大笑いしてんですから。


  後で、早速父に聞いたところ、
  看護婦さんは別に何も言わなかったそうです。
  やっぱり、看護婦さんは、
  そんなもんには慣れてるのかな。


  と思ったら、
  「でも、後で先生が病室に来た時、
   『お尻に赤チン塗ってるんだって?』
   って、笑って言われたよ。」
  
  
  やっぱり、しっかり報告されてたのね。
  思うに、看護婦さんは、
  平静を装いつつ、
  必死で笑いをこらえて、
  浣腸をしていたに違いありません。
  

  食べ過ぎで、腸を詰まらすのも恥ずかしいと思うけど、
  赤チン塗ったお尻のままで入院てのも、かなり恥ずかしい。
  皆様も、くれぐれもお尻に赤チンを塗るのは、
  やめておきましょうね。
  そんなことは、普通はしませんでしょうが、念のため。
  
 
  今号は、今年最後の発行になります。
  今年も一年お付き合いくださり、
  ありがとうございました。


  今年は、お笑い芸人の話で締めくくることになりましたが、
  来年も、笑いがたくさんある良いお年になりますことを、
  お祈り申し上げます。 





 

                               (ひとみ)
  


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