「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー




 第87号 赤チン



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第87号     


                    2007. 11. 29      


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  子供と怪我はつきものですが、
  その付き合い方も、
  私達の頃と、今ではかなり違いますよね。
  
  
  当時は、ガーゼ付絆創膏などという、
  お手軽なものはなかったですから、
  消毒ガーゼ、油紙、脱脂綿などを、
  絆創膏でとめるか、包帯を巻くなど、
  不便かつ大げさなものになってしまいます。

  
  だからってわけでもありませんが、
  かすり傷みたいな軽い傷は、
  つばつけときゃ治る、
  ってなもんでした。
  
  
  もう少し、丁寧にする場合でも、
  水で洗ったり、消毒した後に、
  赤チンを塗って、はいおしまい。
  当時、この赤チンのお世話になってない人はいないでしょう。
  いわば、この赤チンが、
  ガーゼ付絆創膏的位置にあったかもしれません。
  
  
  だから、
  赤チンを塗っている子供なんて、
  普通にいましたね。
  さすがに当時でも、
  大人はでかでかと目立つところに塗っている人は、
  あまりいませんでしたが、
  子供は、場所なんておかまいなしに塗られたもの。
  
  
  でも、子供の時から思ってましたが、
  この赤ってのは、
  血なのか、赤チンなのか、
  紛らわしいです。
  よく見れば、色の違いはわかりますけど、
  唯一の欠点といえば、
  この目立つ色だったでしょうか。


  ですから、顔だけは、
  絶対に怪我したくないもんだと思ってました。
  女の子だからという理由より、
  手足は許せても、
  顔に赤チン塗られるのだけは、
  勘弁してほしいと思ってたからです。


  こういう声に応えて、
  後に白チンと言われた薬が登場しますが、
  こう言っても誰もわかってくれません。
  マキロンって言わないと。
    

  赤いヨードチンキということで、
  赤チンと呼ばれたのですが、
  赤チンの正式名称でもあるマーキュロクロム液というのは、
  チンキではないそうです。
  もっとも、ヨードチンキ自体も、
  実はチンキ剤ではないそうなので、
  赤チンと言うのは、実態の伴わない名称が、
  一人歩きした言葉。 
  でも、それだけ親しまれ、
  また赤のインパクトがあった証拠かもしれませんね。


  前出の白チンもですが、
  ヨードチンキ自体も、ヨーチンとは言っても、
  茶チンとか黄チンとは言われなかったし、
  赤チンという言葉だけが定着したのも、
  その色のなせるわざだったのでしょう。
  

  赤チンが衰退してしまったのは、
  製造工程で出る物質を吸引すると、
  水銀中毒になる恐れがあるということから。
  そのため、国内での製造が中止されることになり、
  そのために赤チンが消えると知った時は、
  寂しかったです。
  
  
  さらに、このことから、
  赤チン自体も悪い影響があるとの誤解も生まれました。
  しかし、赤チン自体に含まれる水銀は無害、
  しかも微量でもあり、全く問題ないそうです。
  
  
  というわけで、この赤チン、
  今でも根強い人気に支えられています。
  
  
  実は私の母も、愛用者。
  そそっかしいのでよく怪我するのですが、
  最初、塗ってるのを見たときは、
  昔のものを後生大事に持っていて使ってるのか、
  とびっくりしました。
  
  
  でも、治りが早いし、やっぱりこれでなくちゃ、
  という母のような人も多くて、
  販売は続けられているそうです。
  
  
  現在は、
  今でも製造できる国から原料を輸入しているそうで、
  なんだか、ちょっと怪しい薬みたいな状態になってますが、
  もちろん合法安全なものです。
  
  
  今では、ガーゼ付絆創膏を貼れば、
  赤でも恥ずかしくないし、
  ある意味、昔より塗りやすくなったと言えるかも。
  塗った部分がはみ出たら、
  血が出ていると勘違いされる恐れはありますが。
  
  
  今の子供が怪我すれば、
  まずガーゼ付絆創膏。
  しかも、子供が喜ぶようにというのか、
  女の子が「か〜わい〜い」と喜んで使うようになのか、
  ご丁寧に、絵入りのガーゼ付絆創膏まであります。


  赤チンだって、
  やさしいお母さんなら、
  赤チンで絵でも描いて、
  「ほら、お花だよ。」とか、
  「ほら、ウサギさんが見てくれてるから、もう痛くないよ。」
  とかやってくれそうですが、
  うちの母は、もちろん適当に塗るだけ。
  仮に絵を描けと言っても、
  せいぜい赤い丸描いて、
  「ほら、日の丸だよ」
  程度のことしか望めません。


  そういう意味では、
  可愛い絆創膏などもなく、
  ところかまわず、赤チン塗られて、
  はい、おしまい!ってのは、
  かなり手抜きされてた気もしないでもないですが、
  赤チン塗っときゃ、問題なく治ったのも事実。
  赤チン塗ってむき出しのままの方が、
  通気が良くて治りが早いという面もあったろうと思います。
  
  
  だから、こちらの手抜きは、
  ある意味、良かったのですが、
  当時は、良くない手抜きもありました。
  こっちは、深刻です。
  予防注射の針の使いまわし。
 
  
  使いまわしが原因の肝炎感染訴訟があったとき、
  自分が肝炎にならなかったのは、
  ただ運が良かっただけのことだったとわかって、
  ぞっとしました。
  
  
  5人くらいを1本の針で打ってたと思います。
  一応は、アルコール綿で針を拭いていた気がしますが、
  それを当然のことと思ってましたよね。
  むしろ、根拠は全くないことながら、
  一番目の針は痛い、とか言われていて、
  自分のところで、注射針を変えられると、
  「ついてないなあ」って思ってたくらいです。
  それが実はとってもついてたことだったなんて、
  人間、目先でものを見たらいけません。
  
  
  いや、感銘うけてる場合じゃなくて、
  知らないってことは、怖いですねー。
  そして、国民を危険にさらし、
  時には殺してしまう厚生省の甘さも怖いですねー。
  その体質は、今も変わらないのですから、
  なお怖いですねー。  
  
  
  でも、当時の社会の大半を占めていた、
  戦争を潜り抜けてきた人々にとって、
  赤チンがいつでもあって、塗ることができたり、
  予防接種を受けられる世になったことは、
  ありがたいことと感じられていたでしょう。
  
  
  そういう状況は知らない私達も、
  今より雑だったと思えることが、
  当たり前のラインであったわけです。
  
  
  だからこそ、その赤チンや予防注射が、
  問題を含んでいたということは、
  ただのショック以上の、
  複雑な思いが生まれてくるのではないでしょうか。
  
 

 
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    あれこれ後記
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  ◇前号の私の思い出話から、
   こんな思い出話をいただきました。
  
   
   まずは、キンタさんの思い出話。

  

   『私がいた原宿の社宅のお隣が一人暮らしのおばあちゃん。
    社宅の子供たちにとてもやさしくしてもらった経験があります。
    平屋の一軒家に住んでおられたおばあちゃんですが、
    この方、元芸者さんだったとか・・

    芸者さんではなかったかも・・という、うわさもありましたけど。
    ただ、今はあまりいわないだろうけれど、
    「2号さん」だったのは確からしいです。
    私も大人になって知った事ですが。
    私はよく、お家に遊びに行きました。
    ひっそりとしたお部屋でした。
    長い廊下があり、(子供の目からみた長さだったらしいけど)
    おじいちゃんの写真が仏壇の上の壁に掛けてあったので、
    「これ、おじいちゃん?」と聞いた覚えがあります。
    おばあちゃんは、「そうだよ、もういないけどね」って。
    おばあちゃんは、生涯独身だったそうです。
    あのおじいちゃんは、おばあちゃんを囲ってた
    (非常に言葉悪いかもしれないけど、昔、そう言ってたよね、
     2号さんを持っている男の人を)人なのかなって。

    大人になって、知ったことですが、
    なんか、本日のメルマガで思い出しました。
    懐かしくて。
    思い出して、ほのぼのしましたよ。
    良いも悪いも、すべて昭和の思い出は最高です!
    あったんですね、普通に芸者さんたちの歴史が近所に。』

  
  
  
   昔の芸者は、
   身を売ったりすることもあったため、
   やむにやまれずなったという人がけっこういたでしょう。
   しかし、一口に芸者になると言っても、
   簡単になれるわけではなく、
   三味線や踊りなどの芸事を厳しく仕込まれた後に、
   初めてなれるもの。
   芸者ということだけで、色眼鏡で見られたのは気の毒です。 


   芸者遊びをしたり、
   妾を囲う男性は黙認されて、
   社会的地位を脅かされることも、
   非難されることもないのに、
   女性は、芸者であっても、
   お妾さんとして囲われても、
   蔑視され、日陰の人生を歩まなくてはならない。
   たとえ、本妻であっても、
   夫が妾を囲うことより、
   妻が怒って家を出て行くことのほうが非難される、
   みたいな、
   いずれにせよ、
   女性には、すごく不条理な社会であったのも、
   昔の日本の一面です。
  

   当時は、そういう社会で日陰の人生を過ごしてきた明治の女性が、
   老後を過ごしていた時代でもあったわけで、  
   それで、こういう話も、あちこちで出てくるのですね。

  
   日陰の人生を歩いたこのおばあさんにとって、
   キンタさんたち子供との交流は
   何よりの、老後の慰めになったことでしょう。
   キンタさんたちにとっても、温かい思い出となって、
   幸いなことでした。
  

   ここに、
   「あの家には近づくんじゃないよ。」
   なんて大人が登場しただけで、
   こんな思い出も作れなかったわけですから、
   まわりに偏見を持つ大人がいなかったことは、
   双方にとって救いでしたね。
    

   キンタさんのもとには、
   このおばあさんが笑顔で写っている白黒写真が、
   1枚だけ残っているそうです。
   キンタさんの昭和の思い出にも、
   温かい宝物がたくさん散りばめられているようですね。
     
    
  
  ◇そして、おなじみ昭和30年代カメラマン(?)のかっちゃんからは、
   かっちゃんのご両親も、
   結婚後から、かっちゃんが生まれてしばらくの間まで、
   夫婦で実家のお向かいの家に間借りしていた、というお話が。
  
  
   『ここの家主(1階に住んでる「大家さん?」)は残念ながら
    青島幸雄の意地悪ばあさんを地で行くようなおばさん(当時)でした。

    私が幼稚園の時に今の実家に戻ってきたのですが、
    子供のころ家の前の道で遊んでいると
    「うるさい!」とか言いながら水をまかれたりしたものです。

    そんな人でしたが、
    息子さんが結婚して孫が出来てからは
    いいおばあちゃんになってました。
    10年程前に亡くなられた時は仕事を休んで告別式に参列しました。

    今回の話を読んで、ふとそんな懐かしいことを思い出しました。』


  
   と、こちらも最後は、
   ほのぼの、しみじみしたお話に。
  
  
   私がこのメルマガを書いているのは、
   昔のことを思い出すちょっとしたきっかけになってくれれば、
   という思いがあるので、
   こうやって、皆さんが、
   ご自分の子供の頃のことを思い出して、
   したためてもらえるのは、
   本当に嬉しいです。
  

   今回も写真を送っていただきましたよ。

  
   前号で話が出た、
   陶器の手水器と
   五つ珠のそろばんです。
  

   手水器 (プラスチックの手水器の下に追加しました。)
   http://wa.hitokiwa.com/photo2.htm#tyouzuki


   そろばん
   http://wa.hitokiwa.com/photo2.htm#soroban

    (画像が表示されないときは、
     画像上で右クリックしてから、
     「画像の表示」をクリックすれば表示されます。)
  

        
   陶器製の手水器は、私は初めて見ましたが、
   職人技です。

                                (ひとみ)
   
  

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