「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第86号 時代が見える間借り



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第86号     


                    2007. 11. 9      


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  昭和30年代までの日本では、
  個人の家でも、
  空いている部屋があれば、
  貸して収入の足しにしよう、という風潮は、
  今よりずっとあったと思います。
  ごく普通の家でも、
  下宿として部屋を貸す、ということは、
  今よりずっと行われていたのではないでしょうか。
  
  
  しかし、見ず知らずの他人に自分の家の部屋を貸し、
  台所もトイレも風呂も、
  (風呂はもともとなくて、銭湯という場合もあったけど)
  共有というのは、
  実質的に一緒に住むのと同じこと。
  そのためには、お互いの譲歩や信用性が、
  必要となります。
  それだけ、昔の日本は、
  お互い様の助け合いの精神や、
  信頼性が強かったのかもしれません。
  
  
  物語にも、よく学生の下宿人というキャラクターが、
  登場してきましたね。
  個人の家に下宿するってことは、
  早い話がロングホームステイと変わらないと思いますが、
  留学時には、それができる学生も、
  日本で勉強してるときにはしたくないというのは、
  不思議です。
  もっとも、日本では、
  下宿人を受け入れる家も減りましたけど。
 
   
  当時のもう一つの特徴は、
  下宿するのは、
  学生などの単身者だけではなかったことです。
  夫婦で下宿する、なんてこともありました。
  うちの両親も結婚した頃は、
  そういう形の下宿をしたのです。
  
  
  そんなわけで、
  ちょっと今日は目先を変えて、
  親の昭和30年代初頭の話をします。
  
  
  私の両親は、昭和32年に結婚しました。
  最初は、父が住んでいた浅草のアパートにいました。
  よくドラマなどで、
  うらぶれた部屋の感じを表すのに、
  キャバレーのネオンが部屋にチカチカ飛び込んでくるような部屋が  
  出てきますよね。
  そこは、まさにそんな部屋だったそうです。
  ここの大家のおばあさんは、
  とてもいい人だったそうですが、
  立ち退きで、アパートが取り壊されることになり、
  やはり浅草に程近い、とある家に、
  下宿という形で部屋を借りました。
  
  
  もちろん、下宿ですから、
  台所なども共有です。
  ところが、母が夕飯の支度をしようと台所を借りに行くと、
  ここの大家の親父が、
  信じられないことを言いました。
  
  
  「貧乏人は、風呂場を使え。」
  
  
  そういうことなら、部屋を貸すときに、
  「台所は風呂場になります。」
  って、ちゃんと言わなきゃだめだろが。
  あ、そういうことじゃないか。
  

  全くわけのわからない人ですが、
  当然誰だって、
  そんな無茶苦茶な大家のところには、
  住む気にはなれません。
  母から話を聞いた父も、怒り心頭で、
  即、出たそうです。
  
  
  で、どこへ行ったかというと、
  蔵前に店として借りていた家に、
  住むことにしたのです。
  最初からの読者さんには、
  おなじみとなっているでしょうが、
  前号でも水洗トイレの話をした家です。
  
  
  昔国技館があったこの蔵前も、
  浅草にはほど近いところ。
  この騒動で、1年の間に浅草近辺を、
  うろうろと3回も引越すことに、
  なったのです。
  新婚生活から、波乱万丈です。
  
  
  この家でも、下宿スタイルでした。
  ここは、店として借りてるといっても、
  問屋ですので、商品を並べているわけではなく、
  実質、事務所兼倉庫がわり。
  1階と2階にそれぞれ2部屋ずつあって、
  1階を大家夫婦が、
  2階を親たちが使いました。
  
  
  この後に、東京東部にあった都営住宅に入れることになり、
  私はそこで生まれて、9歳になるまでを過ごすので、
  この蔵前の家では暮らしたことがありません。
  が、仕事場としては、ずっと借りていたので、
  時々、連れられて行くことがありました。
  
  
  戦後に建てられた町家で、
  外壁だけは木ではなかったですが、
  それ以外は木と漆喰の壁でできていた日本家屋。
  物干し場も木でできていて、
  小さい頃は、そこに出られましたけど、
  高校生になる頃は、
  危ないから出てはだめ、
  というしろものになってました。
  
  
  トイレだけは水洗でしたが、
  小さい時から、古い家というイメージしかなく、
  私は戦前からあった家だと思ってたくらいですから、
  大人になったころには、
  家もだいぶ傷んで、部屋も汚れてきてました。
  
  
  広い家ではなかったし、
  階段も狭くて急でした。
  赤ん坊の頃の私は、
  ここで、はでに落っこちて、
  母があわてて病院につれてったこともあったそうです。
  幸い、大事には至らなかったようですが、
  この階段を降りる時には、
  「気をつけなさいよ。
  あんたは赤ん坊の頃、
  ここで落っこちたんだから。」
  と、よく言われました。
  でも、赤ん坊の頃ですから、
  落ちたのは、目を離した母の責任だと思います。
  
  
  もっとも、大きくなってから落ちるのは、
  完全に私の責任になってしまいますので、
  いつも慎重に降りてました。
  言われなくても、
  慎重にいかなくては降りられない階段でしたけど。
  でも、木造家屋のぬくもりか、
  あの家の雰囲気は嫌いではなかったです。
  
 
  しかし、夫婦で下宿するほうも、
  今はあまりありませんが、
  自分の家の部屋を
  他人の商売場所に貸すというのも、
  あまりありませんね。
  マンションやアパートの部屋を1室借りてということなら、
  今でもありますけど、
  商売ともなれば、
  自宅の住所も、他人の商売に使われることになりますから、
  嫌がられても不思議ではないと思います。
  そんな心配は無用の時代だった、
  ということでしょう。
  それより、昼間だけなので気楽、
  くらいに思ってたかもしれません。
  

  その事務所も、
  商売を始めた当時の流れでそのまま来た結果、
  家もレトロでしたが、
  調度品類も、昭和30年代の雰囲気を残したままの物が、
  けっこう残ってました。
  
  
  机からして、戦前のオフィスにあっても、
  ちっともおかしくなさそうな感じの木の机。
  その中には、インク壷、
  つけペン(ペン先だけ付け替えて使うペン軸とペン先)、
  ブロッターと言う、吸い取り紙用ホルダー、
  (黒板消しみたいなのに、丸い取っ手がついていて、
   下は半円形になっている。
   そこにインクの吸い取り紙をつけて使う。)
  みたいな、
  今でも、買おうと思えば買えるけれど、
  時代の流れと共にあまり使われなくなってきた事務用品
  などもありました。
  私はここへ来ると、
  あちこち、開けてみるのが楽しみでした。

  
  創世記の形の円筒形の掃除機とか、
  石油ストーブや扇風機なども、
  昭和30年代風のものが、かなり後まで、
  現役でありました。
  
  
  そういうものが、FAXなど新しい機器と混在していたのです。
  父が仕事をやめたのは、
  平成に入ってからのことですが、
  事務所の整理をするときに、
  くっついてって見とくべきでした。
  一部は、家に持ってきてましたが、
  捨てられてしまったものも、
  数多くあったでしょう。
  もったいなかった気がします。
  
  
  ちなみに、捨てられずに持ってきた中で、
  一番古さを感じるのは、
  一円の玉が五つある、五玉のそろばん。
  しかも、昔のらしく、
  江戸時代の帳場にあってもおかしくないような、
  ごっつい無骨な形です。
  でも、どうやって計算するのか、
  使い方がわかりません。
  一つは無視して、
  普通に計算すればいいのだと、
  父は言いますが、
  ただわずらわしいだけで、
  意味がないと思うのですが。
  
  
  もっとも、そういう父が、
  これを使っているのを見たこともありませんが。


  しかし、一時的にせよ、
  赤の他人の、親子ほど年代の違う夫婦が、
  ここで暮らすのは、大変だった思います。
  今じゃ、実の親子でも2世帯住宅にして住むのも珍しくないのに。
 

  ですから、やはりそれなりに、
  小さなトラブルはありました。
  でも、ここの大家のご主人は、
  前の大家とは違ってまともな人でしたので、
  うまく収めてくれたようです。


  私が生まれる前に、
  このご主人は、亡くなっていたので、
  私が知っているのは、
  その奥さんであるおばさんのほうだけです。
  つまり、前回登場した、
  手水器を使っていたおばさんです。
  
  
  おじさんが亡くなってからは、
  父が、下の1部屋も、
  倉庫代わりに借りることになりました。
  お互い、そのほうが都合良かったのでしょう。
  そしておばさんは、
  いつも残った自分の部屋で、
  テレビを見ていました。
  
  
  母や私達子供が行くと、部屋から出てきて、
  「あら、今日は一緒に来たの?
   お茶を飲んでらっしゃいよ。」
  って誘ってくれたし、
  普段も、父にお茶をふるまうことはよくあったようで、
  決して人嫌いではないと思うのですが、
  それ以外の時は、
  たいてい薄暗い部屋で、
  ただただ座って、テレビを見ていました。
  (昔の人なので、いつも正座で背筋も伸びていて、
  姿勢はきちんとしてました。)


  猫もいましたが、
  あまり印象に残ってません。
  猫の方が、おばさんより外出が多かったせいもあるし、
  いたとしても私らがくると、
  出て行ってしまうことが多かった気が…。
  普段は、おばさんとの静かな生活でのんびり寝てるのに、
  それを邪魔されるのも気に入らないだろうし、
  思わぬところにいたりするので、
  つい「わっ!」なんて驚いたりされれば、
  猫も心証悪くするわな。
  

  ちなみに、前にも書いたかはわかりませんが、
  「一人暮らしのおばあさんのところには、
   たいてい猫がいる。」
  というのは、昔の私が思ってたことです。  
  けっこうあてはまってたと思うのですが。
 
   
  このおばさんは、
  おしん世代ぐらいにあたり、
  苦労もしたようです。
  親の話では、
  東北から、芸者に売られてきて、
  (こんな話がでるのも時代ですが。)
  おじさんに見初められて一緒になったものの、
  おじさんの親族には認めてもらえずじまい。
  

  ずっと後になって聞いた話では、
  おじさんが亡くなった時には、
  その親族がやってきて、
  おじさんのものだと、
  ほとんどの家財道具を持っていってしまったそうです。
  「下駄箱まで持って行ったんだからなあ。
  ひどいことをしやがるもんだよ。」
  と言ってましたが、間借り人の立場では、
  口出しもできなかったそうです。
  
  
  籍が入ってなかったわけでもないようなので、
  そんな暴挙、訴えれば良かったのにと思うのですが、
  前時代的意識がまだ色濃かったのか、
  できない事情でもあったのか、
  そのあたりの詳しいことはわかりません。
  でも、昭和30年代には、
  芸者であったことが、
  そこまで蔑まされることもあったのですね。
  
 
  こう言っては大変失礼ですが、
  若い時はきれいだった、
  と思わせる感じはありませんでした。
  ですが、肌だけは、
  おばあさんになってしわこそ多少増えても、
  お年頃の若い私(当時のことさ)なんかより、
  ずっと極め細かくて色白な、
  きれいな肌をしてました。
  それを言うと、
  とても嬉しそうな顔をしたのを覚えています。
  
  
  おばさんが亡くなった時も、
  子供もいなかったので、
  親族が出てきて、
  もめてたみたいですが、
  借りてるだけの父にとっては、
  そこは関係ない話。
  

  結局父は、商売をやめるまで、
  この家を借り続けました。
  今、その家があった場所を含めたあたりは取り壊されて、
  お定まりのマンションになったと聞きます。
  

  こうして、昭和の面影がまた一つ、消えたのです。
  

  ここも都営住宅があった場所と同じく、
  行ってみたいけど、行くのが怖い感じ。
  昔の記憶が壊されるのが嫌で、
  なんとなく足を運ぶのを躊躇しています。
  
  

  
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━    
   
  
  
  創刊以来の大長編となった、
  前号のメルマガ、
  難行苦行のサバイバルを耐え抜いて、
  最後まで到達された方、
  おめでとうございます。
  でも、何も出ません。
  すみません。
  
  
  その大長編のきっかけとなっためのうさんから、
  お礼と共に、
  前号の手水器に関して、
  こんなお話をいただきましたので、
  メールの一部をご紹介します。
  
  
   『手水器 使ってましたよう
    (あれってこういう名前だったんですね〜)
  
    我が家は前にも書いたと思いますが
    県営住宅でしたが
    トイレの中に手水器が吊られていました
  
    要は蛇口の無い手洗い器(?)が設置されてて
    その上に手水器を吊すようになっていたんですね
  
    今考えると
    本当にアレはよく出来ていましたよね
    今でも断水した時なんてもってこいです
  
    おわりの頃は何となーくですが
    プラスチック製だったような。。。@@
  
    どっかのちっこい金物屋なんぞに置いてないのかしら
  
    友人の家はなり古い家屋で
    がんばって(?)トイレも屋外にあるボットンでした
    一年前に新しい家になりましたが
    それまでこの手水器も健在でした
    びっくりですねw』
  
  
   
   昨年まで使われていたという、
   めのうさんの友人のお宅の屋外ぼっとん便所と手水器、
   貴重でしたね。
   それも、ついに消えてしまったようです。
  
  
   しかし、めのうさんのいらした県営住宅では、
   手水器のための排水設備がついていたというのですから、
   都営住宅より、進んでいます。
    
  
   それにしても、前号で、私は、
   手水器は外に吊るして使う物と書いたのですが、
   室内で使われていたケースもかなりあるようです。
  
  
   今回も、またまた大阪のかっちゃんが
   手水器の写真を送ってくださったのですが、
   これも、室内で使われていた模様。
   しかも、めのうさんのおっしゃるプラスチック製です。
    
   
   私は、金属素材のしか知らないのですが、
   かっちゃんによると、
  
    『これはプラスチック製ですが、以前骨董屋で、
     陶器で出来たものを見かけました。
     (15,000円の値札が付いてました)
     骨董屋さんが言うには、昔は陶器製の物が沢山有ったそうです。』
   
   なんだそうですよ。
   
   
   また、これも前号で登場した、
   タンクが天井にあって鎖でひく昔の水洗トイレ。
   そのタンクの写真も、送ってくださいました。
   かっちゃんは、昭和30年代にタイムスリップできるカメラマン、
   みたいな方ですね。
  
  
   これも、かっちゃんによると、
   『鎖の代わりに、
    縄跳びのロープのようなナイロンの紐で引っ張るようになった物も
    あった様に思います。』
   
   とのこと。
   思い当たる方、いらっしゃいますか。
  
  
   汲み取り式主流の当時は、
   こういう水洗トイレは、
   下水道設備が整えられていた地域にしかありませんでしたが、 
   今では、これさえもなかなかお目にかかれない、
   旧式タイプとなりました。
   
 
   それでは、
   かっちゃんの写真を楽しみにしている皆様、
   どうぞご覧ください。  

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                               (ひとみ)

 
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