「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー




 第84号 祝日の日の丸



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第84号     

                    2007. 9. 27      
     

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  私は、アメリカの9.11テロ事件の追悼ニュースを、
  いつも複雑な思いで見てしまいます。
  追悼しているアメリカ国民たちを見ていると、
  聞いてみたくなってしまうのです。


  あなた方は、ビルが一つ攻撃されて、
  強い衝撃と悲しみと怒りを味わっている。
  でも、世界には、
  あなた達の国に、ビル一つどころか、
  都市全体を攻撃されて、
  比較にならないほどの、
  罪もない人たちが犠牲になった国が、
  いくつもある。
  自国を攻撃されたことのないあなた方は、
  このビル攻撃の痛みから、
  その国の人たちの気持ちがどれほどのものか、
  想像できますかって。
  (だからって、このテロを正当化する気はありませんよ。)
 
 
  もちろん、犠牲者や遺族のことを思えば、
  追悼の念を感じられるのですが、 
  一方で、そういう思いもわいてきてしまって、
  どうにも気持ちが屈折してしまう、
  私にとっては、苦手な日になってしまいました。
  
  
  そんなわけで、今年も複雑な思いで
  そのニュースを見ていました。
  すると、街中のアメリカ国旗が、
  すべて半旗になっている様子が流れました。
  

  国のあちこちで国旗が掲げられる。
  日本では、ほとんどないことです。
  

  でも、お祝いのこんな光景なら、
  記憶に残ってませんか。  
  昭和30年代には、
  祝日になると、自宅の玄関先や門に日の丸を掲げる家が、
  まだ残ってましたよね。
  
  
  運動会ではためいている万国旗の日の丸とは違い、
  ずっと大きく、
  布地だから風格もあって、
  ポールも立派。
  子供心に、格好いいなあと感じました。
  
  
  早速、「うちも飾ろうよ。」
  と親に言いましたが、
  「ない。」
  の一言で、片付けられましたっけ。
  
  
  バスや路面電車なども、祝日は、
  正面に小さな国旗を交差させてくっつけて走ってました。
  今日は特別な日だから、国中でお祝い。
  そんな雰囲気が、街中に溢れていました。
  (乗り物は、私が見てないだけで、
  会社によっては今でもつけているみたいですけどね。)
  
  
  ですから、祝日のことを、
  旗日とも言いました。
  もっとも、これは当時でもあまり使われなくなっていた言葉でした。
  

  今だと、祝日に家の前に国旗を掲げたら、
  「もしかして、特別な思想をお持ち?」
  と、ちょっと引かれてしまうかもしれません。 
  でも、よく考えたら
  今のこの空気って、変じゃないですか。
  これも一種の洗脳ではないでしょうか。

  
  自国の国旗に引いてしまうのは、
  そこに戦前の政治思想を見てしまうから。
  でも、それは明治以来、
  天皇崇拝、軍国主義の洗脳教育として利用した輩の、
  積み重ねの所業であって、
  日の丸や君が代自体には、罪はないはず。


  また脱線してしまいますが、
  日の丸自体は、太古の昔から、
  日本の象徴として親しまれてきたマーク。
  それが近年の政治思想に利用されてしまったことで拒否するのは、
  短絡的だし、おかしいと思うのです。
  むしろ、日本人としては、それを汚したことを恥じ、
  より大切にして、汚名挽回するのが筋ではないでしょうか。
  
  
  君が代だって、和歌から生まれた歌で、
  決して「君」を天皇のこととしては詠んでいません。
  だから江戸時代までは、
  婚礼をはじめとする慶事の祝い歌として歌われていたものを、
  明治になって慣例的な国歌としたもの。
  それが、勝手に天皇のこととして置き換えられてしまったことが悪いので、
  歌そのものに罪はありません。
    

  戦前ならともかく、
  今だって、この「君」を天皇崇拝の気持ちで歌ってる人は、
  いないでしょう。
  仮に君主の「君」としたところで、
  今の君主は国民ですし。
  
   
  それを、天皇のことだと決め付けてしまう人に、
  拒否反応が起きるので、
  本来の歌の意味にたちかえれば、
  そういう意味合いとは無縁の、
  相手の幸せな安泰を願う心がこめられた、
  美しい日本語の歌です。
  

  一番の間違いは、
  日本人が伝統として大切にしてきたものを、
  政治思想と結びつけてしまったことなのだから、
  再びそこへ結びつけて批判するのでは、
  戦前の指導者たちと、大して変わりません。
  切り離すことこそが、一番必要なことではないでしょうか。
  国旗、国歌はその国の民全体の心のよりどころとして、
  敬い大切にするもの。
  そういう存在であってこそ、
  思想に惑わされない愛国心も育っていく。
  権力や政治思想には、絶対にからめてはいけないものです。


  それをしてしまったことで、
  後世に混乱を残すことになってしまったのですから、
  同じ過ちを続けていてはいけないのではないでしょうか。
 

  ですから、日の丸容認派の私でも、
  選挙時、自民党の街頭演説で、
  日の丸を振っている聴衆を見ると、
  強く拒否反応を感じてしまいます。
  国民全体のものを、
  一党の政治の場に持ち出す体質は、
  不遜に思えてなりません。
  それこそ、戦前の過ちを思い起こさせます。
     

  戦前も戦後も、
  両極端の思想に振り回され、
  陵辱されている日の丸や君が代が、
  気の毒でなりません。
  国民からこんなひどい扱いをされている国旗や国歌は、
  世界中探してもないでしょう。
  外国人は、国旗や国歌に対して、
  起立もしない日本人に驚くそうです。  

    
  この問題についての考えは、個人差が大きくて、
  異論のある方もいらっしゃるでしょうが、
  少なくとも私は、日の丸も君が代も、
  日本人の心が純粋に育んできたものとして、受け入れてます。
 
   
  本来のあり方は、
  国際規模のスポーツイベントがわかりやすいですね。
  国旗や国歌にアレルギーがあるはずの国民が、
  日の丸で一生懸命応援してるし、
  メダルをとって、
  君が代が流れ、日の丸が揚がれば、
  やはり感激します。
  あれが本来あるべき国旗、国歌、愛国心の姿ではないでしょうか。
  それだけ、日本人の心に入り込んでいるものです。
  日の丸、君が代を拒否する人は、
  こういう場面も、苦々しく受け止めてしまうのでしょうか。
  
    
  オリンピックでは、ジャンプチームなんて、
  「日の丸飛行隊」という言い方までされています。
  日の丸、君が代より、
  こっちのほうが、よっぽど戦争を思い起こさせますけど、
  スポーツの世界のこととなると、別に問題にもなりません。
  

  逆に、スポーツの世界の愛国心に、
  政治思想をからめたとたん、
  それはゆがんでしまいます。
  残念ながら、そういう問題が、
  時々起きてしまいますよね。
  
 
  戦争に近かった時代のほうが、
  国旗や国歌に今ほどのアレルギー反応がなかったのは、
  戦前の意識がまだ抜けきれていなかったせいなのでしょうか。
  私は、けっしてそうではないと思います。


  戦争を放棄し、民主化した憲法の下、
  権力思想にゆがめられない形で、
  国旗や国歌を使えることになった喜びを感じながら、
  国旗を掲揚し、国歌を歌う。
  そういう日本人もかなりいたと思うのです。
  だからこそ、伝統は引き継がれたのではないでしょうか。
  
  
  そして、幼かった私も、
  「天皇から下賜された祝日だから掲げる」
  と吹き込まれる時代ではなく、
  「ここは日本だから掲げるんだな」と、
  自分で勝手に思える時代だったから、
  自発的に、国旗を掲げるっていいなあという考え方に至れたのです。
  ここは日本で、
  自分は日本人ということを、
  純粋な形で意識し、
  自然に普通の愛国心が生まれていたと思います。
    

  ニューヨークのテロに、
  私が複雑な思いを抱いてしまうのも、
  原爆までも正当化する国に対する、
  被爆国の人間の愛国心によるものです。
  でも、人間としては、
  テロ犠牲者への追悼の意も持てるからこそ、
  複雑なものになっているわけで、
  これがもし、
  政治や思想がらみで植えつけられた愛国心だったら、
  単純に「自業自得だ、ざまあみろ!」
  (注:言い方はもっとお上品になる…はず。)
  という形になったと思います。
 

  そう考えると、
  昭和30年代だったからこそ、
  国旗を掲げる習慣がまだ残っていて、
  昭和30年代だったからこそ、
  そこから得られたものは、
  人間としては、とても大きな宝になったのだな、
  と思うのです。
  
   
  国旗を掲げる習慣は、外国にだってあるのだし、
  日本でも、健全な形で掲げる習慣として残せていれば、
  この国の民であるという認識は自然に育って、
  国旗や国歌、愛国心を、
  法律で押し付けられてしまうというようなことには、
  かえってならなかったと思うのですけどね。
  

  今回はちょっと意見の別れそうなところを取り上げましたが、
  私は祝日に気兼ねなく国旗を出して、
  純粋な気持ちで祝える日本になってほしいなあ、
  と思っています。
  これ以上、思想に結び付けてほしくないためにも。





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    あれこれ後記
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  前回後記で取り上げたのは、
  「乗り物で、一つしか席がなかったら、親と小3の子、
   どちらが座るか」という問題に対する、
  教育の専門家、親野先生のコメントでした。
  昭和30年代なら、そのくらいの子供なら、
  子供が立つのが普通でしたが、
  それは良くないとの解説。


  長くなって申し訳なかったですが、
  その先生のコメント全文を載せ、
  ずうずうしくも、私の感じた賛成できる部分、
  納得いかない部分をつけたしました。
  
  
  みなさん、親野先生の意見も、
  私の意見も公平に受け止めていただけたようで、
  このコメントを最初に教えてくださったKさんからは、
  
  
   『「心の下地」って表現よいですね。
    感じ取る力を育てること、
    本当に大事だと再認識しました。
  
    やはり、よい意味で、感性を育む社会に
    皆で少しずつでも持っていきたいですね。
    何事もそうですが、受身ではだめで、
    皆が少しずつでも努力する事が
    変わっていく為には必要で。
  
    挨拶もそうですが、
    皆がちょっと動けば変わるんですよね。
    それが努力なんて構えないで
    当たり前の事として思われていた時から
    ちょっと遠くなった気はしますが、
    でもまだまだ皆の心の中に残っている
    そんな気がしました。』
  
  
  という文の入ったメールをいただきました。
  3人目のお子さんが中2というむずかしい時期に入り、
  もう一分張りというKさん。
  ゆくゆくは、
  「近所の気難しいけれど、どこか愛嬌があって、
   話好き、説教好きな親爺」
  という希少価値のキャラを目指そうかと思っているそうですので、
  ぜひ頑張っていただきたいです。
  重ね重ね、ありがとうございました。
  
  
  
  そして、元気がはじけるメールをくださったキンタさん。
  
  
   『始めまして!m(__)m
  
    貴方のメルマガに出会って、こんなに嬉しい事はなかったです!
    わたくしは、昭和34年1月1日生まれの「キンタ」です。
  
    女性ですよ、主婦で子供3人〜〜。
  
    バックナンバーを全部読みたくて、
    今までかかりましたけど、
    私の歴史が書かれているようでビックリ致しました。
  
    私は、渋谷区で(つまり、渋谷赤十字病院ってことだけどね!)
    お正月、午前11時39分に生まれたんですって。
    当時、大雪、電話も無い・・・社宅だったので、
    社宅の仲良しさんが、タクシーを道路まで出て捕まえてくれたのです。
    まさか、正月に生まれるなんて思っていない状況だったんですね。
    (予定日、もっと先)
  
    ハエの思い出、あります。
    テープ、下げていました。
    わぁ〜〜〜。
    いっぱい付いてる〜〜ってことは毎日でした。
    あれは、効きます!!
    いまでも、「あぁ、あのテープ無いかなぁ〜」
    なんて、よく思っていますって!』
  


  
   
  元旦生まれって、社長が多い、
  つまり出世する人が多いと聞いたことがありますが、
  そんな日に生まれたキンタさんも、
  以前、親野先生のメルマガを読んだことがあったそうです。
  私はこれまで、
  親野先生のことは存じ上げなかったのですが、
  やはり親御さんの間では有名人なんですね。
  そして、今回の先生のコメントについても触れてくださったのですが、
  なんとあの長文を、
  一発でまとめてくださいました。
  
  
  『もっと、簡単にわかってくれる子供たち、たくさんいます。』
  
  
  はい、おしまい。
  
  
  さすが、3人の子を持つ母。
  確かに、まさにこれに尽きます。
  親の「子供の力を信じる心」です。
  その心が持てることこそ、
  普段から、子供をしっかり見ている証になるわけで、
  それこそが、私の言いたい、
  親子の心の絆の源となるもの。
  
  
  先生ばかりでなく、
  私も長すぎましたわ。
  ごめんあそばせ。
  
  
  このメルマガのバックナンバー読破に、
  達成感まで感じてくれたというキンタさん、
  本当にありがとうございました。
  でもその達成感は、
  たびたび脱線する文だったり、
  だんだん文が長くなってきたりで、
  かなり難行苦行だったゆえに、
  味わえたのかもしれませんよ。
  
 
  前回のメルマガを出した翌日の新聞に、
  偶然、親野先生が載っていて、
  妙に親野先生づいてるなあと思いましたが、
  この問題は、キンタ奉行のお力にて、
  一件落着!と相成りました。




                      (ひとみ)
  
 

  
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