「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー




 第83号 ハエとり作戦



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第83号     


                    2007. 9. 6      


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  昭和30年代は、
  今よりずっとハエが多かったですね。
  当時に比べれば、かなり減った分、
  昔より体が大きくなってる気がしますけど。
  
  
  昔は、生ごみや犬のふんには、
  お決まりのように、
  ぶんぶんたかっているのを見かけたものです。
  今は、犬のふんも飼い主が始末するのがマナーになり、
  生ごみも、むき出しでは捨てなくなりましたので、
  そういうものが放置されてること自体が、
  減ったこともありますが、
  それにしても、何かにハエが群れてたかっている光景を、
  私は、久しく見ていません。
  
  
  今ほど網戸が一般的でなかった当時は、
  開け放った玄関や窓からのお出入りも自由で、
  ちょっと食べ物を出しておこうものなら、
  一匹、二匹はすぐにやってきました。
  あまりに日常的に見かけましたから、
  部屋に入ってきて、ぶんぶん飛びまわっていても、
  唯一、怖くない虫、気にならない虫になってました。
  蚊と違って、刺すわけでもないし。
  
  
  とはいえ、表でのハエの生態は見ていますから、
  その足で食べ物にとまったら不衛生だと言われれば、
  子供でもすんなりと納得できました。
  
  
  そこで、
  ハエとの戦いになるわけです。
  でも、昔からあったハエ対策は、
  今よりも、原始的。
  
  
  一番おとなしめなのは、
  ハエを殺すのではなく、
  避ける方法。
  食べ物を、蝿帳という網戸張りの、
  小さな戸棚に入れておいたり、
  食卓の上に広げてかぶせられる網をかけたりしてませんでした?
  
  
  ハエを殺すのではなく、
  たかられないように工夫するというのは、
  蚊帳とまったく同じ発想で、
  人間が虫に一歩譲った形の対処法。
  その分、根本的な解決にはなりません。
  今なら、意味がないとされてしまう考え方でしょう。
  
  
  とは言っても、
  当時の人間だって、虫を殺すことも考えますから、
  いろいろな方法はすでにありました。
  原始的なのは、ハエたたき。
  戦いは1対1の勝負ですから、
  その技が問われます。
  大人だって、確実には落とせないものを、
  小さな子供に簡単に叩かれてくれるハエなど、
  そうはいません。
  そこで昔の子供は、みな幼い頃から、
  ハエたたきの修行をしたものですよね。
  え?しなかった?そうだっけ?


  そして、当時のハエの話となったら、
  これなくして語れないのが、ハエトリ紙。
  これも、ハエとの勝負ながら、
  相手がくっついてくれるのを待つという受身の作戦。
  戦う必要も、技を磨く必要もない上、
  勝手にとまったあんたが悪いんだからね〜、と
  ハエに責任を負わせられるという、
  人間にとっては全く都合が良く、
  ハエからすれば卑怯千万と言われそうな方法。
 
     
  当時は、クーラーなどもほとんど普及してなかったですから、
  ラーメン屋さんなどの飲食店や、
  魚屋さんなどの食料を扱うお店など、
  閉めきるわけにはいかないが、
  ハエが入って来るのは困るといった所や、
  一般家庭の台所などに、
  ハエがびっしりはりついたリボンが、
  よくぶらさがってましたね。
  
  
  うちでは、これ使ってませんでしたが、
  当たり前のように見かけてたせいか、
  あまり不潔感も感じてなかったです。
  確かに、見栄えはちょっと良くありませんが、
  ハエトリリボンと言えば、
  ハエで真っ黒になってるのが当たり前的感覚でした。
  おろしたてで、あまりハエがくっついてないものだと、
  かえってハエトリリボンらしくない気がしてました。
  時々、ハエに混じって、
  蚊などの虫も、くっついてたりしてましたっけ。
  
  
  でも、飛び回ってるハエが、
  なぜうまい具合に、
  この小さなリボン状の紙に、
  集中してくっついてくれるのか、
  ずっと不思議に思ってました。
  あれは単に松脂を塗っただけで、
  後はハエの群れる習性を活用しただけのもの、
  と知ったときには、
  考えた人を、尊敬してしまいました。
  
  
  人間が髪の毛をつけてしまったり、
  猫が飛びついたりとかで、一騒動になる話もありましたけど、
  化学薬品は使えないが、ハエは困る、
  という食料関連を扱う場では重宝なものです。
  いや、そうでないところだって、
  安心安全な方法であることに、
  変わりはありません。
  (ハエ組合と、巻き添えをくう虫連盟は、
  ちっとも安心安全でない!と抗議してくるでしょうが。)
  
  
  このハエトリ紙、最近はぶらさがってるのを見たことないですが、
  今でも売られている所があるようです。
  また、お店で売ってなくても、
  ネットで手に入れることができます。
  売られているということは、根強い需要がある証拠。
  もっとも、今は日本より、海外での需要のほうが多く、
  しかも、一番需要が多いのは意外にも欧米だそうで、
  ハエトリ紙の環境に優しい点や、
  人体への安全性などが高く評価されて、
  受け入れられてるようです。
  
  
  蚊取り線香は、今なお広く使われています。
  本来は除虫菊から作られた天然成分のみのものでしたが、
  ちょうど昭和30年代頃から、
  化学成分のものが一般的になってきたということですから、
  子供の頃のは、すでに化学成分のものだったでしょう。
  化学成分に変わったことで、
  効果はどんどんアップしていきましたが、
  今度は飼っていたカブトムシや鈴虫などまで死んでしまう、
  ということも起きてきたようです。
  
  
  これ、人間の戦の歴史と同じで、
  技が勝負の一騎打ちだったり、
  頭脳が勝負の待ち伏せおとり作戦だったりしていた戦い方から、
  強力化学兵器で、
  無差別に一網打尽にしてしまうようなもの。
  こう考えると、問題かもなあ。
 
    
  以前、液体の蚊取り線香のそばで立っていたら、
  目が痛くなってくるわ、涙と鼻は出てくるわ、
  皮膚がピリピリしてくるわで、
  こりゃたまらんと、虫どころか、
  人間の私も逃げ出してしまいました。
  蚊がいるなあとつけたら、
  10分もしないうちに、
  その蚊が落ちていたのを見て、
  かえって不安になったり、
  寝る時に使っていて、
  かぶれたりしたこともあって、
  寝る時は、普通の蚊取り線香に変えたのですが、
  それも天然物ではないのです。
  
  
  人間には安全と言われていても、
  継続的に使っていたら影響が出ないのかも、
  ちょっと不安。
  そう思う人も多いのか、
  ネットでも、昔ながらの天然成分の蚊取り線香はけっこう出ています。
  気になってはいるのですが、
  ちょっと割高についてしまうから、
  何かのついでがあれば買ってみようかなと眺めていたら、
  その割高の蚊取り線香、人間向けだけではなく、
  ペット向けというコンセプトで売っていたりします。
  ペットショップが扱っている例も。
  どうやら、人間より弱いワンちゃんにはより安全なものを、
  ということらしいです。
 

  人間は、安い化学成分の蚊取り線香、
  お犬様は、高い天然成分の蚊取り線香ですかあ。
  ということは、今の私は犬以下か。
  来年の夏はお犬様と同等の蚊取り線香を使えると嬉しいなあ、
  と思ったひと時でした。


  効果の高さと安さにつられて、
  不安に思いながらも使ってしまう化学成分の殺虫剤ですが、
  これからは、企業も、
  昔的発想に立ち返り、
  安全を基準にしながら効果を追求する、
  という方向で開発していってほしいです。
  

  そういう意味では、
  先日、引火事故が多くて自主回収、販売中止をした、
  ライオンさんの、瞬間冷却で殺す無害な殺虫剤というのは、
  なかなかいい線いっていたと思うのです。
  
  
  説明をよく読まないで、
  誤まった使い方をしてしまう消費者側の問題で、
  消えてしまったのは、
  気の毒だなと思いました。
  パッケージの前面に、
  商品名より「火気厳禁」の文字をでかでかと表示して売れば?
  
  
  ところで、ふと思ったのですが、
  昭和30年代の子供時代には、
  私は、ゴキブリって見た記憶がないのです。
  かなり太古の昔からいたというのですから、
  当時もいたはずだし、
  ハエと同じで、今より多そうな気がするのですが、
  不思議と子供の頃は見なかったです。
  
  
  みなさんは、いかがですか?
  



  
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
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  第28号の時に、
  乗り物で、子供が座れる優先権は一番最後、
  親子で座っていて、お年寄りが来たら、
  親は自分ではなく、子供を立たせたという話をしました。
  

  それに対して、
  今でも実践しているというメールをいただいた中の、
  お一人が、Kさん。
  (Kさんのメールは29号の後記で紹介しています。
   http://wa.hitokiwa.com/zmeru29.htm)
  
  
  そのKさんから、
  こんな意見もあって考えさせられた、
  というメールをいただきました。
  
  
  教育のまぐまぐにある、
  親力診断テストの第102回です。
  
  
  [ 問題 ]
  小学3年生の息子と2人でバスに乗ったら、
  席が1つだけ空いていました。
  他に立っている人はいません。
  親であるあなたはどうしますか?
  
  A:息子に座らせる
  B:親が座る
  C:2人で立っている
  
 
 
  当メルマガ28号の場合は、お年寄りがからみますが、
  この場合は、親子間の問題になるので、
  ちょっとシチュエーションは違います。
  こういう場合は、当時も今ほどではなくとも、
  子供を座らせる親は多かったでしょう。
  ただ、お年寄りが来れば、すぐ立たせましたし、
  一緒にいるのが祖父母だったら、
  当然、孫は立つ方です。


  ここで正解とされるのはAなのですが、
  (あ、答え言っちゃった。)
  その理由として、
  回答者の親野智可等先生(先生も我々世代)は、
  こう解説しています。
  ちょっと長いですが、引用させていただきます。
  
  
    『Bを支持する人は、「Aのようにすると、
     子どもは『いつも自分が座るのが当たり前』と考えるようになる」
     と言います。
     でも、私は決してそうは思いません。
     その反対に、親から席を譲られるといううれしくもありがたい経験が、
     ゆくゆくは自分が誰かに喜んで席を譲ることにつながるのです。
     そういう経験がない子が、喜んで他人に席を譲れるようになるのか、
     大いに疑問です。
  
     さらに、子どもを座らせるときに
     「なんでお母さんが座らないと思う?」と
     子どもに考えさせるといいと思います。
     そして、「大切なあなたに転んでけがをさせたくないからだよ」
     「お母さんの方があなたより強くて転ばないからだよ」
     などと教えてやってください。
     そうすれば、「ありがとう。お母さん、お父さん」
     「大きくなったら私が立ってお母さんお父さんを座らせてあげるからね」
  
     「自分より弱い人がいたら、ぼくも代わってあげようっと」などと
      思うようになります。
  
      Bのように、決定権を持つ親が自分だけ座って
      子どもを立たせておくとしたら、 
      子どもはその親の姿から何を感じるでしょうか?
      「自分ばかり座っていいな」
      「ぼくも座りたいよ」
      「やっぱりバスの中で立ってるのは大変だよ。
       ぼくも何とかして座らなくちゃ」
      「大人はいいな〜。誰にも文句を言われずに座れて。
       私も早く大人になって座りたいよ」
      こういう気持ちになるのではないでしょうか?
  
      では、子どもにそう言われないように言葉で説明するとしたら、
      どう言えばいいのでしょうか?次のようにでも言うのでしょうか?
      「こういうとき、子どもは立っているべきなんだよ。
       それが世界のしつけの常識だよ」
      「子どもより親の方が偉いからだよ」
      「お父さんは働いているから座る権利があるんだよ」
      「年上の人に席を譲るのがマナーだよ」
      「子どもは体力があるから立っているべきなんだよ」
      「子どもに座らせると、『いつも自分が座るのが当たり前』
       と考えるようになるからだよ」
      「人に席を譲れる子になって欲しいからだよ」。
  
      どれもこれもナンセンスです。
      また、Bを支持する人は、
      「年上の人が優先的に座ることを教えるべきだ。
       それが年寄りへの配慮につながっていく」とも言います。
      でも、私は決してそうは思いません。
      基準は「年上の人」ということではなく、
      「弱い人」または「必要がある人」ということにすべきだと思います。
  
      バスの中では、30代の大人より
      子どもの方がはるかに「弱い人」であり
      「座る必要がある人」なのです。
      そして、もちろんお年寄りが乗ってきたら、
      すぐに子どもに席を譲るように教えてやるのです。
      Aのようにしてもらっている子は大喜びで立ちます。
  
      自分を思いやられた子が人を思いやれるようになるのです。
      親が子どもを座らせるのは、
      子どもを思いやる親の自然な気持ちの表れなのです。
  
      人を思いやる気持ち、人を思いやって席を譲ることのできる気持ち、
  
      このような気持ちは、
      親子の日々の生活のいろいろな場面で養っていくものです。
      Bのように理屈が優先してしまうと、
      親の自然な愛情としての子どもへの思いやりが
      押さえられてしまうということがよくあります。』
  
  
  
  
    正解がAとはいえ、ただやみくもに座らせるのではなく、
    座らせた理由を考えさせるという大事なポイントがあります。
    私は、「お母さんの方があなたより強くて転ばないからだよ」
    と言うのが、なかなかいいなあと思いました。
    「だから、あなたが大きくなったら、
     あなたより弱い人を座らせてあげてね。」       
    というメッセージを暗に送ることもできます。
  
  
    座る基準が、「年上の人」ではなく、
    「弱い人」「座る必要のある人」にすべきというのも、
    納得できますし、利にかなってます。
    
    
    ただ、B方式が間違いだとする説明には、
    すんなり受け入れられないものを感じました。
    ここに書いてあるとおりになってしまうのは、
    それ以前の、親子間の関係に問題があるからだ、
    と思うのです。


    もし親子の絆がしっかり構築できていれば、
    同じことを教えるにしても、
    親はこういう言い方はしないでしょう。
    たとえこういう形で言ったにしても、
    親子の心がつながっていれば、
    親の愛情は普段から感じていることだし、
    親への信頼もできているのですから、
    その親の言動から、
    人間の冷たさや恨み、自己中心的考え方を、
    先に感じ取ることはないはずです。


    Bの結果になるのは、
    親子関係が希薄な状態だから、
    親は子供に誤解を与えるような言い方しかできず、 
    子供は愛情の欠如しか感じとれない結果になるのでは
    ないでしょうか。        
    そして、今はそういう親子のほうが多いから、
    ただの理屈先行方式になってしまって、
    心が育たないだけなのではと思えるのです。
    
   
    教育の専門家の意見と、
    子供を育てたことすらない者の意見では、
    比べ物にならないのは百も承知ですが、
    自分が小3の子供の立場で考えると、
    親がそう言って座ったからって、
    私は別にこうは感じないけどな、
    と思えるのですけど。
      
  
   
    先生の回答は続きます。
 

      『私の知り合いの編集者Kさん(子育て中のママさん)は、
       電車で自分の子どもを座らせようとしたら、
       知らないおじさんに「子どもは立ってろ」
       と怒鳴りつけられたそうです。
       同じような目にあった人はけっこういるのではないでしょうか。
       そして周りの目が気になって、
       割り切れない思いを持ちつつ
       自主規制したことのある人はもっと多いと思います。
  
       多くの人がそれを正しいと思い込んで、
       集団で思考停止になっているようです。
       一般に言われていることが本当に正しいのか?
       その理屈は自分の実感と違和感がないだろうか?
       そういったことを常に自分の頭で考えることが
       大切だと思うわけです。
  
       子ども、お年寄り、妊婦さん、
       どこか体にハンディキャップがある人、
       みんなが安心してバスや電車に乗れる社会にしたいものです。』
  


    これを読むと、先生は、
    まだ昔式が幅を利かせているというところから、
    見解を述べられてる気がするのです。
    そこも、私の見方とは反対ですから、
    すんなりこないのも無理ありません。


    私はむしろ、このおじさんみたいなのは少数派で、
    今の世なら、この問題のような場では、
    大人が座るほうが、
    昔よりもずっと勇気のいることになってると思うのですが。

    
    私が見た、おばあさんと孫の組み合わせでさえ、
    おばあさんは小3くらいの孫を、
    優先席に座らせてましたから。
    平然とふんぞり返る子供を見て、
    これはこれで問題があると思ったのですが、
    それくらい、
    子供を立たせるほうが少数になってきてると思います。

    
    でも、この怒鳴ったおじさんの話からは、
    ちょっと見えたものがありました。


    当時は、親子の絆もしっかりしていたし、
    見知らぬ人が膝に抱っこしてくれる習慣もあった社会だったからこそ、
    B方式であっても、正しく機能して、
    子供が、人の冷たい心を感じるより先に、
    もっと意味のある大切なことを、
    感じ取ることができていたのかもしれないなあと。
    
  
    子供は立ってて当たり前が正しい教育とされていたことが、
    問題なのではなく、
    そういう社会を、正常な形で成り立たせられるだけの、
    心の下地が作れなくなってることに、
    大きな問題があると思うのです。
    
  
    私は素直でないもので、
    先生の意見に賛同する点と受け入れられない点を、
    感じてしまったのですが、
    違う意見に触れたことで、
    教えられること、気づかされることは、
    いろいろありました。
    Kさん、有意義なお話を教えていただいて、
    ありがとうございました。


  
                                  (ひとみ)
  
  
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