「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第80号 ヒトを人間に育てた社会


  
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        いいとき生まれた!昭和30年代  第80号     


                    2007. 7. 5      


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  当時のこととして、よく言われるのが、
  風呂屋では怖い親父が一人くらいはいて、
  非常識なことをすると、
  よその子供でも叱り付け、
  それで常識やマナーを身につけていったという話です。
  
  
  当時の大人はよその子供でも遠慮なく叱った、
  という例としてよくあげられることですが、
  これは風呂屋でなくても、よくあったことですね。
  
  
  それに、当時の子供側だった私達から見ても、
  親から叱られるより、
  よその大人から叱られるほうが、
  強烈に効いた、ということはありませんでしたか。


  ところが、昨今はそんな大人も子供もおりません。
  先日、車のクラクションを鳴らして騒いでいた子供が、
  注意したおじいさんに、
  「くそじじい」と言ったそうで…。
  そう言われたことに腹をたてたじーさまも、
  なんとエアガン持ち出して、
  その子を撃ってケガをさせたそうで…。


  いやはや、どっちもどっちの事件ですが、
  この事件で、一番悪いのは、
  目上の他人に対しても、
  そんな暴言を吐く子供にした、
  この子の親だと思いますけどね。
  もちろん、じーさまのほうも、
  エアガンまで持ち出すとは、
  あまりに大人気なさすぎですが、
  注意をされて、
  そんなふうに言う子供がいたら、
  当時は、親の責任はもっと追及されていたはずです。
  
  
  「くそじじい」なんて言おうものなら、
  「どこの子だ!」と、
  首根っこつかまれて、親元に連れて行かれ、
  「どういう教育をしているんだ!」
  と親もろとも叱られる。
  (妙にリアルですが、
  私の経験ではありませんから。)
  
  
  親のほうも、そういうことを言われて、
  反発することなく、
  子供の恥は、親の恥として受け入れ、
  「まったく、おまえは!
  きちんと謝りなさい!」
  と、子供の頭を押さえ込んで、
  謝らせる。
  さらには、
  「申し訳ありません。
  よく言って聞かせます。」
  と親としても謝る。
  (重ねて申しますが、
  私の経験ではありませんから。)
  
  
  そういう親の姿を見て、
  子供も自分のしたことは、
  親にも迷惑をかけるほど、
  悪いことなのだということに気がつく。
  
  
  江戸時代からあった、
  子供は社会全体で育てるという風潮が、
  まだ残っていたからこそ、
  こういう土壌もできていたのでしょう。
  そういうことが、今よりずっと健全に働いていたのが、
  昔の日本だと思います。
  
  
  「親の顔が見たい。」
  「子供を見れば、親がわかる。」
  「親は子の鏡、子は親の鏡」
  などと、親の躾責任はかなり厳しい目で、
  見られていました。
  
  
  そのかわり、すべて親任せではなく、
  みんなも自然に手を貸していたということでしょうね。
  たとえば、子供が駄々をこねて手を焼いているときなどに、
  他の人が諭してくれることで、
  子供も恥ずかしいことだと気がつき、
  (これは自分の経験ではないとは言い切れない…)
  親も助かったりすることだって、
  今よりずっとよくあったことでした。
  
  
  おかしくなったのは、
  そういう受け取り方ができない親が出てきてからです。
  「うちの子に、よけいなお世話。」とか、
  「おじさんに怒られるからやめなさい。」とか、
  注意してくれた人に対して、
  ひねくれた受け取り方をする。
  おかしな個人主義、間違った愛情がはびこってしまったんですね。
  
  
  そうやって、他人の言葉を拒否する親を見て育てば、
  子供もそうなるから、
  「くそじじい」となっても不思議はない。
  
  
  子供が、大人を大人とも思わなくなった、
  ということは、
  大人に対して話す口ぶりなどからも、
  昭和50年代くらいから感じていました。
  「最近の子供って、大人を恐れるとか、
  遠慮するとかいう雰囲気がない。」
  という感覚、持ったことなかったですか。
  

  もちろん、私達だって、
  そんなに威張れるほど、
  大人を尊敬している態度をとれていたとは言えません。
  もっと前の時代の人から見たら、
  今時の子供は、礼儀を知らんと思われていたに違いありません。
  
  
  それでも、まだ当時の社会には、
  大人と子供は違うという暗黙の線引きがありました。
  だから、28号で取り上げたように、
  乗り物でだって、席があいてる時以外は、
  働く大人に座る優先権があって、
  まだ半人前で、元気な子供は立ってて当たり前の社会でしたよね。
  
  
  「すわりたいよ〜。」
  なんてぐずる子供がいると、
  「この親はよっぽど甘やかしてるな。」と、
  みんなあきれたように親の顔を見たもの。
  

  でもそれは、決して、
  思いやりのない社会ではありませんでした。
  これも、同号で触れましたが、
  あの社会には、そばに座ってる見知らぬ大人が、
  小さな子供を、膝の上に抱っこしてくれることも、
  よくあったわけです。
  
  
  座らせるにしても、大人が子供に譲る形ではなく、
  大人の立場を崩すことなく、
  子供に優しさを示していたのです。
  また、子供にとっても、
  我慢して立っているか、
  見知らぬ人の膝の上に抱っこしてもらっても座れる方を選ぶか、
  ということで、妥協するということを覚えていくわけです。


  これができず、
  自分の要求が100%通るのが身についた子供は、
  そうしてもらえないと、
  そうしてくれない人が悪いと考えます。
  はいこれで、
  なんでも悪いのは他の人、
  自分は被害者で悪くない、と考えてしまう人間のできあがり。
  実際に、こういう人、増えてますよね。


  そういう意味でも、当時の社会は、
  大人の見識も、子供に対する思いも、
  今よりずっと正しい形の社会だったと思います。
  それゆえ、大人の威厳もあったのでしょう。
  そして、そんな社会を、
  当時の子供だった私達が、
  大人が威張っていて、子供に冷たい社会だった、
  と感じてましたか?
  席を譲ってくれない大人が悪いと思ってましたか?
  そんなことは、決してないですよね。
  

  今は、大人が子供化してきて、
  縦の関係でなく、横の関係になってしまったのです。
  時には、縦は縦でも、逆転した縦になってることさえ、
  珍しくありません。
  それを、平等精神だ、優しさだ、愛情だ、
  と勘違いしているのです。

  
  この世にヒトとして生まれて、
  人間になっていく過程では、
  既に人間となってる大人に、
  しっかりと先導してもらえなければ、
  その術を知らない子供は、人間になれません。
 
   
  その先導役が、子供化して、
  先導する立場という自覚も責任感もなくし、
  同レベルになってしまってきている。
  子供のほうも、そんな先導役には、
  威厳も尊敬も感じられず、
  好き勝手な方に行ってしまう。
  そうして、根本的な人間らしさを身につけられぬまま、
  どちらも、迷うことになってしまうのではないでしょうか。
  
  
  今の社会、
  もし、悪いことをした子供の首根っこをひっつかんで、
  怒鳴り込んできた大人がいたら、
  大人のほうが変人扱いされる確率が高いです。
  その前に、嫌がる子供をひきずっていく段階で、
  通報されてしまうかもしれません。
  一見、進歩してきたようでありながら、
  中身はからっぽの社会になっていると思います。
  それは、そういう社会を構成している
  人間の姿そのものでもあるとも言えます。  


  昔、左卜全さんが、
  「老人と子供のポルカ」という歌を、
  仲良く子供たちと歌ってましたね。
  ♪やめてけれ、やめてけれ、
   やめてけ〜れ、ゲバゲバ
  
  
  このゲバは、闘争のゲバ、
  2番目のジコジコは事故、
  3番目のストストはストのことだそうです。
  微笑ましさの中に、
  実は社会的メッセージを秘めていた歌だったようです。
  
  
  その現代版は、「老人と子供のケンカ」。
  仲良く歌に入る以前に、
  「やめてけれ、やめてけれ」と、
  喧嘩しながら、社会的メッセージを発するというものでございます。
  こんなのでいいのでしょうかね、ズビズバ〜♪
  

  (ちなみに、このときト全さんと歌ってた子供たちの一人が、
   「ひだまりの詩」のル・クプルの女性ボーカリストだそうです。
   彼女も昭和30年代の生まれみたいです。)




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    あれこれ後記
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  前号のしりとり歌で、
  ゆきんこさんからいただいた
  秋田バージョンをお伝えしましたが、
  ゆきんこさんは、
  こんなお話も送ってくれています。
  前号では紹介しきれなかったので、どうぞ。
  
  

  『さて、「ホームレス」のお話も興味深く読ませていただきました。
   「反面教師的役割として、社会に貢献していたのかもしれません」
   というのは確かにありますよね。
   街中でそうした人たちを見たときに、
   「こういうふうにならないように」と
   親から何気なく諭された記憶があります。
  
   一方で、街中でお金をもらっていた人は、ほかにもいました。
   「傷痍(しょうい)軍人」と呼ばれる人たちです。
   戦争で手や足をなくした元軍人さんが、
   通常はつけている義足や義手をはずしてそばに置き、
   松葉杖をついて白い軍服と白い帽子を身につけて立ち、
   傍らでアコーディオンが軍歌をもの悲しく奏でていました。
   戦後24年ほど経っていた当時のことです。
  
   こうした人たちは、なぜか「桜祭り」の会場にいました。
   初めて見たのは10歳ごろ、引っ越していった先の弘前の、
   弘前城公園でした。
   ウキウキした気持ちで桜見物に出かけたときに出遭った、
   その時のショックは未だに忘れられません。
   とてもいたたまれなくて、その場で泣いてしまいました。
  
   家に帰ってから親に聞けば、
   負傷した軍人さんたちには、
   国から恩給という形でお金が支給されているということ。
   そして原爆にあった人には補償はあるけれど、
   それ以外の民間人の負傷者には何の補償もないのだということ。
   とはいえ、国のために戦い、
   手や足をなくした彼らが戦後の生活を営むのに、
   どれほどの苦労があっただろうなと、
   子供なりに考えたものでした。
  
   親世代、祖父母世代の大きな犠牲のうえに、
   平和な国に変わった日本に生まれ育った私たちなんですよね。
   「日本は、二度と戦争をしない国」と教えられました。
   いま、憲法改正の論議が起こっていますが、
   これが「改正」か、あるいは「改悪」なのか、
   よくよく論議されなければならないと思います。
  
   久しぶりのメールなのに、湿っぽくなってしまいまして、ごめんなさい。
   でも、世の中の動きに流されてしまうのでなく、
   きちんと自身の意思を持って、
   この論議に参加していかなければならないのだと思うのです。
   100年、200年先の日本の人々のために。』
  
 
 
  
  同じ可哀想でも、
  17号でとりあげた、私の傷痍軍人さん体験とは違って、
  いたたまれなくて、泣いてしまったという、
  優しいゆきんこさんの幼心に、感激してしまった私です。
  
  
  私が見たのは、昭和30年代でしたが、
  ゆきんこさんの目撃証言では、
  昭和40年代の半ばになっても、
  まだその姿はあったということですね。
  
  
  それにしても、形こそ違え、
  あの姿から、ゆきんこさんも私も、
  しっかり学ぶべきことを得ていたと思うと、
  あの姿を知ってることは、
  本当に貴重なことだと思います。
  
  
  数ヶ月前、20代後半くらいの女性との会話で、
  上野の話になり、
  「私は、上野というと、
  傷痍軍人さんのイメージが強いのよ。」
  と言ったら、
  相手はきょとんとして、
  「なんですか?傷痍軍人さんて?」
  
  
  無理のないことですが、
  実際に見たことはなくても、
  話とかで聞いたことがないかと思ってみたのです。
  説明したら、
  「へえ、全然知らないです。聞いたこともないです。」
  とびっくりしてました。
  
  
  そういえば、昭和30年代をテーマにした物語でも、
  傷痍軍人さんの姿が出てくるものって、
  あまりないですね。
  あの姿も、時代を現すものだと思いますが、
  実際は、いんちきもあったし、
  いんちきでない場合は、
  国の恥ということになるから、
  どっちにしても無視されやすいのでしょうか。
  もしかしたら、あの傷痍軍人さんの姿があったことは、
  何百年後には、忘れ去られていってしまうのかもしれません。
  
  
  戦争を知らない者が知ってる戦争の名残、
  これも一つの庶民史として、
  話しておくべきことなのではないでしょうか。



                                 (ひとみ)

   



  
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