「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第79号 子供の寝る時間は8時


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        いいとき生まれた!昭和30年代  第79号     


                    2007. 6. 15      


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  当時は、子供が夜遅くまで起きているものではない、
  という感覚は、当たり前にありました。
  子供の寝る時間は8時というのが相場でした。
  
  
  38号で取り上げた、
  ロンパールームのみどり先生も言ってました。
  「にこちゃんは、夜8時に寝ます。
  こまったちゃんは、夜遅くまで起きています。」
  って。
  8時をさしている時計の下で、ベッドに入り、
  すやすや寝ているにこちゃんの絵と、
  11時の時計の下で遊んでいるこまったちゃんの絵が並んでました。
  
  
  当時はベッドで寝ている幼児のほうが少なかったと思いますが、
  元はアメリカの番組だからか、
  「畳に敷いたふとんに入るにこちゃん」では、
  様にならないからか
  ともかくそういう絵だったことを覚えています。
  
  
  でも今、8時に寝ている子供って、
  どのくらいいるのでしょう。
  そんな子供が減った原因は、
  8時に寝させるための生活ができなくなったことに、
  大きな原因があるように思います。
  
  
  専業主婦が多かった当時に比べ、
  今は共働きなどが増えたり、
  子供もお稽古事だ、塾だと忙しくなってしまいました。
  子供を8時に寝させようとすると、
  夕食や入浴をその分、早くさせなくてはいけませんが、
  そういう生活の中では、とても無理です。
  その点を見ても、
  当時とは、だいぶゆとりがなくなっていることを感じます。
  
  
  我が家でも、私達が寝る時間は8時でした。
  そこで、銭湯に通ってたころは、
  3時か4時頃の一番風呂に近い時間帯に行ってました。
  家にお風呂を作ってからは、
  さすがに、そんな早くからは入りませんが、
  ともかく、5時か5時半頃には夕食です。
  だから、帰りが遅い父とは、
  平日の夕食は別でした。
  もっとも、5時台では、
  サラリーマンで定時に帰るお父さんでも無理ですが。
  家族の食事が、ばらばらになりだした時代でもありました。
  それでも、朝と休日の食事は必ず一緒でした。
  
  
  当時でも、うちの夕食は早いほうだと思います。
  とはいえ、5時台の夕食は、
  子供やお年寄りのいる家庭なら、
  それほど珍しくなかったのではないでしょうか。
  昔は病院の夕食は4時が普通で、
  これはさすがに早いと言われてましたけどね。
  従業員の勤務時間の都合でそうなってたみたいですが。
  
  
  3時4時から、お風呂に行き、
  5時台に夕食を食べてれば、
  子供向けテレビ番組も、
  落ち着いて見られるので、
  8時に寝ても、せわしく感じたことはありません。
  
  
  これまでも、母の鉄の掟をいくつか紹介しましたが、
  この8時に寝るということも、その一つでした。
  我が家のすごすぎるところは、
  なんとそれが中学生まで続いたことです。
  さすがの昭和30年代生まれの皆様でも、
  えー!!とのけぞる方続出のことと思いますが、
  本当にそうだったのです。
  
  
  さすがに、小学生になってくると、
  休みの前日はフリー(といっても、実質10時くらい)
  あと木曜日だけは9時までOKとなってました。
  
  
  なぜ木曜日かというと、
  「肝っ玉母さん」などの、平岩弓枝シリーズのドラマのため。
  祝日の前日とかの何かのきっかけで見て、
  おもしろかったのか、
  おっかさんだけ見てずるい!
  ということで、
  母親も自分だけ楽しむのは、
  気がひけるとみえて、ここは折れました。
  でも、中学になると、
  「太陽にほえろ!」も見てたから、
  金曜日も9時までだったのかな?
  
  
  中学生くらいになると、
  深夜放送を聞いていた方たちも多いでしょう。
  そういう話題も出るようになりましたが、
  私にとっては、
  「なんで、12時、1時頃まで起きていていて、
   昼間そんなに元気なのー!」
  という思いのほうが先で、自分も聞こうとまでは
  思いませんでした。
  そう、すでに、遅くまで起きていられない体になってたのです。
  
  
  それでも、受験を迎えたら、
  そうもいかないだろう。
  そこで、3年が目前になった頃、母に言いました。
  「受験生になったら、寝る時間はもう関係ないでしょ。」
  
  
  でも、母の答えは、たった一言。
  「昼間、もしくは朝早く起きて、
   一生懸命勉強すればいい。」
  でした。
  考えようによっては、
  「受験生なんだから、夜遅くまで勉強しなくてはだめ。」
  と言われるよりはずっといいとは思います。
  
  
  でも、私は勉強がしたかった。
  そこで、毎晩、布団の中で、こっそり本を広げて勉強したのです。
  
  
  〆(。。)
    ・
    ・
    ・
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  〆(。。)
  
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    ・
  \(^o^)/ なーんてこと、するわきゃありませんでしょ!
  
   
  実を言うと、こうも聞いていたんです。
  「受験で夜遅くまで勉強するようになったら、
  夜食を作ってくれるの?」
  憧れだったんですよー、夜食。
  これが原因かな?
  
  
  で、結局、受験生になっても、
  寝る時間は変わらなかったですね。
  もともと、うちの両親は、
  躾には厳しくても、勉強はわりと放任主義。
  宿題以外は、あまりうるさく勉強しろとは言いませんでした。
  「勉強しなくて困るのは、あんたたち本人。
   親は痛くも痒くもない。
   だから、言わない。」
  そういう考えでした。
  
  
  でも、そう言われると、
  ちょっと不安になって、
  困らない程度(「一生懸命」ではないところが我ながら情けない)には
  勉強しようという気になるものです。
  
  
  そんなこんなで、
  中学3年生まで続いた8時に寝る習慣でしたが、
  高校生になると、
  通学時間も違うし、
  クラブでも遅くなるし、
  8時に寝るのは不可能になり、
  この掟は自然消滅しました。
  
  
  でも、もし高校も歩いていかれるくらい近くて、
  部活もやってなかったら、
  昭和30年代から続いていたこの習慣は、
  まだ続いていたかもしれないと思うと、
  国宝級になってたかもしれません。
  
  
  今は、子供は、
  おおむね9時くらいまでに寝かせるというのが、
  早い部類に入るでしょうか。
  同じように早く寝かせられてた妹たちも、
  自分の子供たちが小さい頃、
  8時に寝かせることには、
  こだわっていませんでした。
  
  
  でも、その子供たちも、
  おばあちゃんの家に泊まる時には、
  私達がさせられたように、
  早々に寝かしつけられてしまいました。
  もちろん、小中学生くらいになっても、
  させられてました。
  もう、ここまでくると、
  これは母の確固たる信念みたいなものです。
  
  
  ところが、そんな時間に寝ることに慣れていない、
  当の子供たちが、文句を言うかと思いきや、
  おとなしくグーグー寝てしまうんですね。
  子供たち曰く、
  「うちだと眠れないけど、おばあちゃんの家だと、
  なぜか眠れちゃうんだよね。」
  母の信念、恐るべし。
  
  
  でも、私達は、成長期に今の子供よりたっぷり寝ていられた、
  とも言えるのです。
  その中でも我が家は、ひときわたくさん寝ていたわけです。
  それでも、早く寝ていたことは、
  良かったなあと思います。
  だって、大人になると、
  早く寝たくたって、寝られなくなってしまうじゃないですか。
  今の子供も、せめて成長期くらいは、
  たっぷり寝かせてあげたいものです。
  
  
  私みたいな例もあるので、
  説得力はないかもしれませんが、
  早く寝かせている子供のほうが、
  成績もいいそうで、
  子供の成績をあげるなら、
  小さい頃は勉強させるより、早く寝かせることのほうが、
  ずっといいそうです。
  
  
  それに、今、落ち着きのない子、切れやすい子が多いのは、
  食べ物のせいばかりでなく、
  早く寝ないことにも原因があるそうですよ。
  
  
  うちの近所でも、
  どこの人だか知りませんが、
  夜中に幼い子供の声と共に、
  にぎやかに帰ってくる家族の声がすることがあります。
  居酒屋にでも連れて行ってるんでしょうかね。
  真夜中まで子供を寝させずに、
  連れまわしていることも、
  夜遅いことに対する配慮も全く感じられないこんな家族、
  今でも非常識ですが、
  この家族を、昭和30年代において考えてみたら、
  さらに、その異常さが浮き立つと思います。
  
  
  それだけ当時は、
  感覚がまだ健全だったということでしょう。
  
  
  
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    あれこれ後記
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  ◇前号の私が思い出したしりとり歌の、
   秋田バージョンをいただきました。
   秋田のゆきんこさんが歌っていたのは、
   こういうのだそうです。
  

   「さよなら三角 また来て四角 
    四角は豆腐 豆腐は白い 
    白いはウサギ ウサギは跳ねる 
  
    跳ねるは蚤 蚤は赤い 
    赤いはほおずき ほおずきは鳴る 
    鳴るは「へ」 「へ」は臭い 
  
    臭いは便所 便所は深い 
    深いは穴 穴は暗い 
    暗いは押入れ 押入れは怖い 
  
    怖いはおばけ おばけは消える 
    消えるは電気 電気は光る 
    光るは「とっちゃ(父ちゃん)」のはげ頭」
  
  
   出だしは完全に違いますし、
   ぴったり一致もしてませんが、
   けっこう、前号にのせた私の歌ってたものと、
   近いと思います。
  
  
   わたしのほどひどくはありませんが、
   途中で、ちょっと落ちるのも同じ。
   また、時代性を表わすものとして
   私のにも「バナナは高い」というのがありましたが、
   こちらは
   「便所は深い」
   今の子供には、意味不明でしょうね。
   方言が入っているのも、
   その土地で歌われている歌らしくて、
   いいですね。
  
  
   そして、かっちゃんさんから届いた大阪バージョン。
   こちらは、全く変わります。
  
  
    「ダイヤモンド高い
     高いは煙突 
     煙突は黒い 
    
     黒いは土人
     土人は強い 
     強いは金太郎
  
     金太郎は赤い  
     赤いはりんご 
     りんごは剥ける
  
     剥けるはバナナ
     バナナはすべる
     すべるは親爺の禿げ頭」 
  
  
   こちらで時代性を感じるのは、
   土人という今は差別用語となった言葉が入っていることでしょうか。
   私達が子供の頃は、
   土人というのは、
   アニメやお話などにもよく登場してくる
   親しみのある存在だったですね。
   そういえば、昨年Gyaoでやっていた、
   「マッハGoGoGo」でも、
   土人が出てきたものがあって、
   土人という言葉が、
   普通に使われていましたっけ。
   久しぶりに聞いた言葉だなあ、と思いました。
   これも、時代ならでは。
  
  
   かっちゃんさん曰く、
   なぜ金太郎は赤いかがわからない
   とのこと。
   私も、
   「金太郎は赤ら顔だったのか?」
   程度に考えていましたが、
   ふとひらめきました。
  
  
   「強いは金太郎」の金太郎は、
   足柄山の金太郎さんでも、
   「金太郎は赤い」の金太郎は、
   腹掛けの金太郎さんのことではないでしょうか。
 
  
   そういえば、これしてる赤ちゃんも、
   見なくなりましたね。  
   私の赤ん坊の時の写真には、
   白い金太郎さんしてる写真がありますが。
   (もちろん、金の字は入ってません。)
  
  
   でも、これだけ場所によって歌詞が違うと、
   メロディーも違ってくるのかもしれませんね。
   私の歌っていたのも、
   CMでやっていたのとは、
   全然違ってますから。
  
  
   そして、ゆきんこさんもかっちゃんさんも
   同じ感想を述べていたのが、
   どれだけ違っても、
   必ず最後だけは「はげ頭」に行き着くこと。
  
  
   私のもそうでしたが、
   他に調べたのも、全部そうでした。
   「ひかる」から入るか、「すべる」から入るかの差くらいです。
  

   前の部分は、
   無数ともいえるくらいのバリエーションがありながら、
   最後だけは申し合わせたように一致するとは、
   「ここだけは、絶対に変えたくない!」という
   日本人の熱い思い?が伝わってくるようです。
  
  
   なんだかんだ言っても、日本人は、
   それだけはげ頭を愛しているのではないでしょうか。
   だって、みんな、
   そういう話題になると笑顔になるでしょ。
   七福神にも、はげ頭キャラが多いし、
   日本のお地蔵さんもそうだし、
   日本人の潜在意識には、
   はげ頭は、笑顔と幸福をもたらす象徴として、
   刻印されているのかもしれませんよ。
  
  
   これが、外国式に、
   スキンヘッドとか言ったら、
   怖そうなものに変わってしまうではないですか。
  
  
  
  ◇以前、かっちゃんさんが
   木の電柱の写真を
   送ってくださって、
   HPに掲載しました。
   それは、今は電柱として利用されているのではなく、
   何かの線の引き込み用として、
   使われているものでした。
   ところが、
   今度はなんと、
   今でも現役で電柱として使われているものを、
   見つけたそうです。
  
  
   なぜだか、たった1本だけ、
   木のまま使われ続けている電柱。
   謎です。
   動かしたら、祟りがあるとか?
  
  
   これまでの木の電柱の写真の下に、
   追加しましたので、
   ごらんになってみてください。
  
   http://wa.hitokiwa.com/photo2.htm
  


                            (ひとみ)

  
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   発 行 日本の小粋な和みの暮らし「和・は・は」
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