「いいとき生まれた!昭和30年代」

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第77号 昭和の子供たち


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        いいとき生まれた!昭和30年代  第77号     


                    2007. 5. 4      

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  昨年の12月のこと、
  私はとある地下鉄の駅で乗り換えのために、
  電車を待っておりました。


  すると、目の前を、
  赤ちゃんをおんぶして、
  4,5歳くらいの男の子の手をひいたお母さんが
  通り過ぎました。
  しかし、何気なく目に入った、その男の子の足を見て、
  私はぎょっとしたのです。


  真冬だというのに、素足にゴムぞうり。
  しかも、その足は、「洗ってあげれば」と言いたくなるくらい真っ黒。
  そして、その男の子の着ているセーターも毛玉だらけ。
 
    
  お母さんのほうは、
  おんぶした赤ちゃんに白い毛糸のケープをかぶせた、
  昨今少なくなったスタイルながらも、
  ごく普通の格好をしています。
  育児放棄が虐待かと気になって、
  何気なくちらちら見てしまいました。


  そんな心配をよそに、
  男の子は、地下鉄に乗るのが嬉しそうで、
  はしゃいでいます。  
  乗ってからも、
  実に子供らしい素直な喜び方をしている男の子を見ると、
  なんだか、こういう子、今はなかなか見ないなあ、
  とほんわかしてきてしまうくらいです。
  お母さんと屈託なく話している様子も普通の親子で、
  二人の間に問題があるようには思えません。
 
  
  とはいえ、なんでこんな格好させてるんだろうというのが気になり、
  もっと詳しく観察したかったのですが、
  あいにく私は、2駅で降りなくてはならなかったため、
  親子とはお名残惜しく(向こうは全然そう思ってないが)
  お別れするしかありませんでした。
  しかし、あの男の子の格好がいまだに気になって、
  時々思い出すのです。
  

  前回、見かけなくなった日本のおばあさんの話をしましたが、
  考えたら、あの親子も昭和20年代〜40年代を
  ミックスしたようでした。 
  あの男の子みたいな、真っ黒に汚れた足も、
  昔はよく見かけました。
  といっても、私の記憶にあるのは、
  遊びまくって真っ黒になった男の子の足です。
  

  当時の男の子は、街中の子供でも、
  相撲やかけっこや木登り
  (といっても、野原はあっても、
   登れるような大木は、
   ほとんどが個人の家にあるようなのばかりで、
   人工物を登ることのほうが多かったかも)
  などなど、
  裸足で遊ぶことも多くて、
  すねまで汚して、まっくろけなんてのは珍しくなかったですね。
  実質は土の汚れが乾いて、まっしろけというほうが当たってるかな。
  その足を、軽くはたいて、
  甲のところにUの字状のゴムがついた運動靴につっこんで帰る。
  ズックとも呼ばれることもあった運動靴の色は、
  男の子は青や白が多かったですが、
  白の場合、その状態を保ってるような靴は、
  まずありえませんでした。
  
  
  考えたら、おしとやかな私(異議ありませんね)でさえ、
  砂場や公園の人工池などで、
  裸足になることはありました。
  さすがに女の子ですから、
  男の子みたいな汚し方はしませんでしたが
  池で濡れた足を拭いて、靴下をはくと、
  ほんのり暖かく感じる感触は、
  今でも覚えています。
  

  そして、毛玉だらけのセーターも、   
  普段着でなら見かけました。
  特に男の子が多かったのも、
  どうせ汚すから、それで充分ってことだったのでしょうか。
  もっとも、私が駅で見たあの男の子が着ていたセーターの毛玉は、
  そんな時代を知ってる人間が見ても、かなり派手にありましたけど。

   
  見かけなくなった子供は、
  他にもいますね。 
  よく言われるのが、
  青っ洟をたらした子供。
  普通の鼻水ですら、いません。
  昔は、そんなんで鼻の下が、
  ぐしょぐしょになってたり、
  がびがびになってたりした子もいましたっけ。
  
  
  でも、汚いなあとは思っても、
  そういう子供が、それが理由で、
  仲間はずれにされたり、いじめられたりすることは、
  なかったです。
  鼻をかめと注意することもなかったし、
  それがその子の形として、自然に受け入れてた節があります。
  だから、ふとした瞬間に、鼻ちょうちんができて大うけ、
  なんてこともありました。
   

  そういう子供がいなくなったのは、
  栄養の差なんでしょうか。
  でも、嘘か本当かは知りませんが、
  青っ洟を出す子供がいなくなってから、
  アトピーが増えてきたという話を聞いたことがあります。

  
  汚い話続きで恐縮ですが、
  風邪をひいたりして治ってくると、
  鼻水が青っ洟になってくるではないですか。
  これは、菌の死骸が出てきているそうですから、
  それで言うと、確かに青っ洟が出ている子供というのは、
  免疫機能が誤作動することなく、
  正常に機能している証という見方はできるのかも。


  これも真偽の程はわかりませんが、
  アトピーは、
  母親の体に蓄積された有害物質が、
  妊娠で子供にとりこまれて一緒に排出されるため、
  その有害物質が増えるようになって、
  子供に影響が出てきたのだという話も、
  何かで読んだことがあります。
  確かに昔は、アレルギーという言葉はあっても、  
  アトピーなんて、あまり聞きませんでした。
  鼻たらしの子供は、
  もしかして素晴らしいことだったのでしょうか。
  

  昭和30年代にも、もうすでにいなくなってたのではないか、
  と思われる子供もいます。
  ツギのあたった服を着ている子供と、
  10円はげのある子供。
  庶民派下町の私のまわりでも、見たことがありません。


  でもわかりません。
  私のまわりには、たまたまいなかっただけで、
  まだいたのかも。
  というのも、
  昭和32年の下町の紙芝居屋さんの写真を見たことがあるのですが、
  それを見ている子供の中に、
  信じられない姿をしている子を発見したからです。
  

  「え〜!まだこんな子が、昭和30年代にいたの〜!」
  と、思わず目をまんまるにしてしまったその子とは、
  なんとおしんのような子守姿をしていたのです。
  当時は、奉公に出る子供はもういませんので、
  おそらく、弟か妹のお守りでもさせられたのでしょうが、
  ねんねこ半天に、頭には手ぬぐいまで巻いた、
  寸分たがわぬおしんスタイル。
  その格好で、熱心に紙芝居を眺めている姿は、
  子守姿で学校を覗いていたおしんを彷彿とさせました。


  でも、日本の伝統的なその姿を見ていると、
  昔の人は、すごいなあと思えてきました。
  だって、子供に赤ん坊を背負わせて、
  面倒を見させてたのですから。
  幼い子供に赤ちゃんを背負わせて、
  外に行かせるなんて、心配ではなかったのでしょうか。


  しかも、兄弟姉妹の間柄ならともかく、
  奉公の習慣のあった時代ともなると、
  よその子供に背負わせて、
  面倒を見させていたわけです。
  たとえ子供であっても、できることで責任を与え、
  社会人として扱っていたということですよね。
  昔が無謀すぎたのか、今が過保護にしすぎてるのか?
  無謀なことだったら、
  そういう習慣は根付かなかったはずですから、
  答えは出ているようなものですが。

    
  そして、見かけなくなった子供特集の最後は、
  後頭部半分の位置で、
  刈り上げ一直線のわかめちゃんカットにされた幼児。
  残された毛も、わかめちゃんほど長く伸びてないので、
  本当に刈上げ風です。
  我が家の周りでは、私が最後の犠牲者だったのかな?
  今見れば、前衛的ヘアスタイルとも言える!
  と納得させようとしてましたが、
  私がこの頭をしている1、2歳頃の写真を見た姪は、
  やはり大爆笑で、
  おばあちゃんに写真を見せるのだと、
  アルバム持って飛んで行きました。
  姪よ、そういう頭にさせたのは、その人だってこと、
  気がついてください。
  
 
     
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    あれこれ後記
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   ◇前回、日本のおばあちゃんを目指そうと呼びかけてから、
    いろいろ考えてみたのですが、
    私が日本のおばあちゃんになるのは、
    思ったより大変な道のりだということに気がつきました。


    まず、髪の毛。
    私の髪は、硬い、太い、多いという髪質。
    少女時代も、
    一晩かかってカーラーで巻いたカールは1時間で消えるけれど、
    なぜか寝癖は、一日直らずという不条理に泣き、
    ポニーテールをしても、
    重みでだんだん下がってきてしまう、
    という調子で、髪の毛いじっても、
    ちっともおもしろくありません。
    私がヘアスタイルにあまり関心を持たなくなったのは、
    ひとえにこの髪質のせい。
   

    なので、
    昔のおばあちゃんがしていたみたいに、
    髪をくるくるっと器用にまとめて、
    ちょっちょっと、ピンを挿しただけで、
    素直にお団子頭に収まってくれるようなシロモノではありません。
    だいたい、お団子が結えるほど伸ばすと重いし。
    子供の頃、日本髪結うには、最適の髪質だと言われましたが、
    さすがにそこまで本格的には、戻る気ないんですけど…。
    髪結いさん、つけてもらわねばなりませんし。
    もっとも、昔だってこういう髪質の人はいたでしょうから、
    ただ私が不器用なだけ、というのが一番の原因かな。
   
   
    それと、もっと肝心の大問題は、着付けができないことです。
    暇ができたら、習いに行きたいと思ってますが、  
    暇ができる頃といったら、すでにおばあさんになってて、
    体に馴染んだ着こなしを身につけるどころの話ではありません。
    こちらも、間に合いませんって。
  

    そんな私に比べて、着付けのできるこちらのお二人さんは、
    素晴らしいんですよ。


    まずは、ことママさんの、メールの一部をご紹介します。

    「本当にだんだんと着物姿も減り、
     寂しく思っているひとりです。
     実際に子供の卒業、入学には(この3月、4月)クラスにいても、
     まあ3人くらいです。
     かく言う私は、もちろん着物です(笑)
     幸い、着物とは縁遠くない環境にいるので
     (名古屋帯であれば、ひとりで着付けることができる)
     できない方よりは「着ていこう」と思う気持ちが強くなりますが・・・
     もし、ひとりで着ることができなければ、考えますね〜。

     友達も、着物は持っているが
     着付けのことを考えるとお金をかけてまでは・・・
     という人が多いです。
     私などは髪なども、ショートなので、
     なんとなく自分で工夫してそれなりですが、
     ロングになると、それこそお金が・・・です。

     そのことを思うと、
     ほんとに私たちの親には感謝すべきだな〜と思います
     (ひとみさんの言うとおり!)
     お団子頭のおばあちゃんも、最近はお見かけしなくなりました。
     寂しいですね〜〜〜(泣)」


    私にとっての大問題を、
    ことママさんは、きれいにクリアされているのですから、
    うらやましい限りです。
    私もことママさんレベルなら、
    絶対着物着ます。


    そして、めのうさんのメールの一部です。
 
    「私の母も学校行事のある時は必ず着物でした
     私が「着物できてねっ!!」とお願いしたせいもあるでしょうが
     余所行きの服なんてものもろくに持ってなかったのだと思います

     着物も2〜3枚位しか持ってなかったので
     いつも同じ着物だったかな〜
     (母は長野から集団就職で愛知に来たと思います)
     それでも母の着物姿は大好きでしたね〜♪

     こちらの地域では入学式・卒業式は
     最近は着物での出席も多いですよ〜
     特に多いのが小学校の入学式
     1/3位かそれ以上のお母さんが着物です

     多分ね
     お嫁入りに持ってきた着物が派手になっちゃって
     着る最後のチャンスって思うみたいw
 
     私はもう少しおばさんになったら(今でも十分おばさんだけど)
     着物で過ごすのもいいな〜と思ってますヨ^^v

     大阪に行った時に「極楽商店街」の人情活劇観てから
     昭和初期の着物が着たくてしょうがないんです(爆)」


    めのうさんがお住まいの愛知では、
    1/3以上も着物での出席者があるというのは驚きでしたが、
    補足をいただいたら、もっと感動しました。

    
    「入園・入学式に着物のお母さんが多いのは
     最近、また増えてきたんですよ〜
 
     私がその立場だった頃は
     1クラス40人で2〜3人のお母さんのみ着物で
     あとは真っ黒の礼服にコサージュという服装がほとんどでした

     最近はスーツも華やかなものになって
     着物姿も多くなってきたって感じです」


    なんと、残ってたのではなく、
    一度廃れたのが、また復活して増えてきたというのですから、
    心強いお話です。


    日本のおばあちゃん仲間に名乗りをあげてくれた
    (と勝手に解釈)したお二人共、
    しっかりご自分で着物を着られる方でして、
    言いだしっぺが一番だめな奴でした。


    その他、お二人からは、
    若い女性の区別がつかなくなったことに対しても、
    心強い賛同を頂きましたことを、 
    合わせてご報告いたします。
    みなさんもご安心を。(これまた勝手にみんなも同類と解釈)



   ◇姪と昔のアルバムを見ていたときの話をもう一つ。
    中学の卒業アルバムの中に、寄せ書きがありました。
    自分はなんて書いたんだろう、
    そういえば、この春高校に入学したこの姪にも、
    時期的にはなむけになるではないか、
    そう思って探しました。

   
    姪のほうが先に私の名前を見つけ、
    「あった!」と指差しました。
    すると、名前の上にも何か文字が。
  
      
    次の瞬間、
    大爆笑でごまかす伯母と、
    黙ってアルバムを閉じる姪。
    
    
    なんと、私の名前の上には
    「ミス○○中→」と、中学の名前と、
    ご丁寧に名前に向かって矢印まで入っていたのです。
    誰かが書いてくれたのなら威張れるところでしたが、
    しっかり自分の字で…。
    姪曰く、ミスはミスでも、
    これは間違いのほうのミスだろうということです。


    せっかく、あなたと同じ年頃の伯母さんは、
    こんな立派なことを書いていたのだと、
    いいとこ見せようと思ったのに、
    いきなりとんだ赤っ恥。
   
   
    それなら肝心の言葉で、
    名誉挽回だ〜と思ったら、
  
    「我ら青春!ひたすら前進!」
  
    くさすぎて、これまた撃沈…。
  
                        (ひとみ) 
 

             

  

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