「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー

 


第68号 洋風への憧れ


  ★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆


        いいとき生まれた!昭和30年代  第68号     


                    2006. 10. 24      


  ★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆



  前回の美容室の話では、
  母親が今よりずっと時間のかかるパーマをかけている間、
  おとなしく待っていられた当時ならではの理由があると書きました。
  さて、その訳とは。
  
  
  実は私は、ここの待合スペースが好きだったのです!
  
  
  どこが当時ならではなんだ〜!
  そんなお叱りの声を受けないうちに、
  きちんと付け足さねば。
  
  
  この美容室は、
  入ると靴を脱いで、スリッパにはきかえて上がる形式でした。
  これだけでも、今はない美容室でしょ。
  そして、当時の私には、
  このスリッパをはいて、フローリングの床の部屋に上がる、
  というのは、洋風の香りがしたのです。
  今思うと、靴を脱ぐところで、
  もう充分日本的なんですが。
  
  
  上がったところが、待合スペースで、
  そこには、椅子があり、
  椅子の後ろには、布をドレープ状に張った間仕切りがあり、
  横には、大きな観葉植物も置いてありました。
  
  
  それも、私から見ると、
  洋間という雰囲気をかもしだしていました。
  母は、案内されて鏡の前に行きますが、
  私は、何も言われなくても、
  そのお気に入りスペースに座りました。
  
  
  この空間にいると、
  お金持ちの家の洋室の応接間にいる気分になれました。
  そして、気分はもうどこぞのご令嬢。
  
  
  今思うと笑えます、というより泣けるのか?
  町の小さな美容室の入り口にある一角。
  それだけで、金持ちの令嬢気分になれる庶民の子。
  いやー、なんて幸せな奴だ。
  
  
  不思議に思うのは、ここにいるときに、
  妹たちも一緒にいた記憶がないのです。
  小さいから妹たちだけは、お隣にでも預けて行ったのかな。
  まさか、妹たちの存在を忘れるほど、
  想像の世界に入り込んでいたということはないと思うのですが。
  もし、そうだったら、かなり危ないです。

  
  とはいえ、それだけで、
  何時間も待てたわけもないでしょうから、
  おもちゃや本なども持っていったのかもしれません。
  まあ時には、「まあだ〜?あとどれくらい?」って
  おかまに入って週刊誌読んでる母親に聞きに行ったりしたこともありますが、
  待つのが嫌いで、
  お店でも行列でも並びたくない大人になった今からは、
  想像もつきません。
  それだけ、私にとって、
  そこは憧れの場所だったのです。
  
  
  でも、洋風への憧れは、
  別に私だけでなく、
  当時の日本では、
  今よりずっと強かったですよね。
  和風はしみったれて野暮ったく、
  洋風は金持ち的でかっこいいもの。
  そんなイメージがなかったですか。
  
  
  もっとも西洋文化が日本人の憧れとなのは、
  幕末明治頃からの伝統ですから、
  仕方ありません。
  洋風のものがハイカラとして、もてはやされたのですものね。
  太平洋戦争中には、徹底的な排斥ぶりでしたが、
  敗戦と共に、何もなかったかのように、
  再びステータスにするんですから、
  日本人は鷹揚というのか、手前勝手というのか。
  戦後は、さらにその熱が高まり、
  高度経済成長を向かえて、
  日本人の洋風化には拍車がかかりました。
  
  
  今でこそ、日本人には和風の暮らしが一番と思ってる私も、
  そういう当時の日本人の風潮には、
  幼くしてしっかり染まっていたようです。
  洋風の暮らしは豊かな暮らしの象徴、
  テレビドラマや映画や本から知る欧米の暮らしは、
  本当に夢のようでした。
  
  
  そして、我が家にはちらっともなかったそんな洋風の雰囲気を、
  美容室の待合スペースで見つけた思いだったのです。
  
  
  余談ですが、昭和43年に父が家を建て、
  引っ越すことになったとき、
  都営住宅の人たちが、
  餞別と新築祝いを兼ねて、
  いろいろお祝いをくれました。
  それは、ワゴンであったり、
  ホテルの部屋にあるような大きなスタンドであったりと、
  洋間で使うようなものばかりでした。
  当時の洋間への憧れがわかるような気がします。
  
  
  もっとも、建てた家にある洋間は、
  8畳の3人共同の子供部屋と3畳の小さな部屋だけでした。
  (洋間を畳で数えるのも変だけど、
  そのほうがわかりやすいのが日本人ということも確か)
  
  
  引っ越して落ち着きしばらくすると、
  家を持てた嬉しさからか、
  親たちは、当時の日本人が憧れてた洋風の応接間が欲しくなったようです。
  それには、洋間しかありませんが、
  3畳のほうの部屋では狭いので、
  必然的に子供部屋が候補に。
  でもこの部屋2階。
  2階に応接間というのも変だと思うのですが。
  ともかくもこの計画は実行に移され、
  おかげで、私達3人は隣の4畳半の和室に
  追いやられました。
 
  
  そして、両親はさっそく、
  洋風の応接間には欠かせない、
  応接ソファ4点セットなるものを買ったのです。
  ところが、例の頂き物のスタンドとか、
  スピーカーをこの部屋に取り付けてしまったので動かせないステレオなど、
  この部屋にしか置く場所がない物がいくつかありましたから、
  その応接セットを入れたら、
  かなり窮屈になってしまいました。
  売り場では小さく見えますもんね。
  もっとも、買うにあたって、
  サイズくらい考えなかったのかい、
  とも言いたいですが。
  
  
  その部屋の先にはベランダがあるのですが、
  そこに行くには、
  応接セットのぎりぎりの隙間を、
  体を半分横にするようにして抜けていくか、
  椅子の上を踏み分けて、
  野を超え山を超えという感じで行くという状態に。
  すごい応接間ができました。
  
  
  結局、この洋間はめでたく?もとの子供部屋に戻り、
  応接セットは、
  苦労して家のあちこちに分散され、
  2度とセットで使われることなく、
  20年くらいの間に、
  老朽化で1つ減り、
  2つ減りでなくなっていきました。
  
  
  庶民が建てられる家には、
  不相応な応接セットだったわけです。
  洋風に憧れても、人間のほうが、
  ついていけてなかったということさ。
  
  
  
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  
 

 
  ◇ディープインパクトの話で、
   馬主は庶民には縁のないものと書いたら、
   「知り合いで一口馬主をやっている人がいる」という
   メールをいただきました。
   会員制で共同馬主になるという方法です。
   これなら、その気になれば手が届くというわけですね。
  
  
   私は、賭け事的なものは弱いので、
   競馬もやりませんが、
   馬券買うのと、一口馬主になってその馬に賭けてみるのと、
   どちらが儲かる確率高いのでしょうね。
  
  
   たとえ、耳1個分くらいだとしても、
   「自分の馬」には変わりありません。
   馬主になりたい方は、検討してみてはいかがですか?
   ただし、損しても責任はとれません。
   教えていただいたOさん、ありがとうございました。  
 



 
  ◇開国当初からあった西洋文化崇拝は、
   意外にも開国した幕府より、
   攘夷だ〜と外国排斥をスローガンにしていた明治の元勲たちのほうが、
   強かったと思います。
   そもそも、尊皇攘夷派の伊藤博文にしろ、井上馨にしろ、
   幕末には、こっそりイギリスに密留学してるんですから、
   攘夷なんて本気で言ってるわけありません。
   というわけで、今日はちょっと維新前後のお話を。

  
   幕末勝ち組のやり方は、
   尊王と言ってるわりには天皇のいる御所に大砲ぶちこんだり、
   風の強い日を狙って御所に火を放ち、
   混乱に乗じて天皇をさらおうとしたり、
   (これは池田屋事件で、新選組により未然に阻止されましたけど)、
   暗殺をやったり、イギリス公使館を焼き討ちしたりなど、
   今で言うと立派なテロ行為をしていたわけですが、
   勝てば官軍とはよく言ったものです。
  
  
   そして、もともと攘夷は方便みたいなものですから、
   念願の政権を握ったら、国づくりの参考にと
   外国視察にお出かけに。

  
   この視察団というのがまたすごい。
   政府の要人のほとんどが参加する100名を超える大団体ツアー。
   当時は船ですから、時間がかかります。
   しかも、アメリカとヨーロッパを視察してまわるので、
   さらに時間もかかります。
   そんなこんなで、期間はなんと1年10ヶ月ほど。
  
  
   実に、2年近くの間、政府の中心となる要人のほとんどが、
   国内を留守にしたのです。
   今なら考えられないことです。
   激動の時代を乗り越えたとはいえ、
   まだまだのん気な時代だったのですね。
  
  
   すでに政権を朝廷に返上していた幕府を、
   徹底的にたたきつぶしたのは、
   自分達が政権を握りたかったこともあるでしょうが、
   まさかこのときに備えてとか?
   まあ、それはないでしょうが、
   留守中に、よくクーデターが起きなかったものです。
  
  
   まあ、今の政治家の視察ツアーよりは、
   きちんと見るとこ見てきたと思いますよ。
   早速、作りましたもん、鹿鳴館。
  
  
   日本が文明国であることを外国に示すための、
   外国人接待所。
   ほら、文明国の証が洋風って発想は、
   攘夷の志士が生んだと言える証拠がここにも。
  
  
   でも、今思うと、日本建築風の建物と日本庭園のほうが、
   外国人にとっては、風格あるものに見えたのでは?
   日本に来た外国人は、
   思ったより日本の文化が高いことに驚いてますから。
   小柄な日本人が、洋装して、
   にわかに西洋社交界の真似して踊ってみたところで、
   様にならなかったと思いますし。
  
  
   もっとも、進んだ西洋文化を真似れば、
   文化人、上流人という安易な発想をしてしまうのは、
   何もこういう人たちだけでなく、
   100年以上たった日本にも、
   まだ色濃く残っていたのですから、
   彼らが特別だったというわけでもないでしょう。
  
   
   洋風が目指すものではなくなったところまで追いついた今だからこそ、
   昨今、和を見直す余裕も出てきているのだと思います。


   ところで、日本人の意識では、
   フローリングの部屋が洋室、
   畳の部屋が和室という感じになっていますが、
   伝統が古いのはフローリングのほうです。
   庶民までが畳を部屋に敷きつめられるようになったのは、
   江戸時代になってからのことで、それ以前は板の間。
   その頃は、畳は寝具や座布団みたいな役割でしたし、
   庶民には縁のないものでした。
  
  
   床の生活のほうが古いのですから、
   フローリングは元祖和室、畳が標準和室、土足のまま入るのが洋室、
   としたらいかがでしょうか?
   やっぱりだめ?

    
                                  (ひとみ)
  


  
  ======================================================================
   
   発 行 日本の小粋な和みの暮らし「和・は・は」
       http://wa.hitokiwa.com/

    このメールマガジンは『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/を利用して
    発行させていただいております。

   「いいとき生まれた!昭和30年代」(月1〜2回発行)
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000135400
    購読・解除    http://wa.hitokiwa.com/merumaga.htm



    姉妹サイト やる気元気前向き!「あっぱれぷらすサイト」
        http://www2.ocn.ne.jp/~aps/
        よりこんなメルマガも発行しています。

   「あっぱれ長屋のプラス話」(月1〜2回発行)
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000115032
    購読・解除    http://www2.ocn.ne.jp/~aps/nohohon.htm


   「脱!惰性生活〜惰性で生きるな、自分を生きよう」(月1〜2回発行)
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000117051
    購読・解除    http://www2.ocn.ne.jp/~aps/nohohon.htm
  

   
    ※メールはこのメールの返信ボタンをクリックすれば、
     返信用のメールが開きます。
     (件名はそのままでけっこうです。)


  ====================================================================== 
  
  


    
←前の号       次の号→

一覧から選ぶ


登録する



このページのTOPへ戻る









あっぱれぷらすサイト ぷらっとネットショップ


和ははホーム


今の日本を楽しむ和はは生活

懐かしの昭和30年代

幕末維新の時代

日本の物産名産入口

日本の旅

日本のエコロジー

こだわり国産品



日本の伝統文化を取り入れた和はは生活

日本の衣

日本の食

日本の住

日本の癒し

日本の美

日本の縁起物

日本を知る本

寄り道・和はは生活

松竹梅子の小遣い稼ぎの口入屋

メールマガジンのご案内

和ははの日本人講座

お休み処