「いいとき生まれた!昭和30年代」

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第43号 医者騒動と今昔待合室の差


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         いいとき生まれた!昭和30年代  第43号     


                    2005. 7. 29        


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  幼い頃の医者通いは、
  私の場合は、ほとんど歯医者でした。
  妹たちは表彰されたくらい、歯の質がいいので、
  私1人で3人分の歯医者に通った、
  といってもいいくらいです。
  
  
  乳歯なんて、自然に生え変わるのより、
  虫歯になって抜かれてしまったほうが、
  多いのではないかという気もします。
  
  
  だから、歯がしくしく痛み出すと、
  その痛みより、また抜かれるのかということが嫌でした。
  運良く、抜かないですむときは、
  本当にほっとしたものです。
  
  
  ある日、今日は歯を抜くという日、
  どうしても、気がのらないことがありました。
  
  
  診察台に座るところまで行っても、
  「絶対嫌だ」という思いがなくなりません。
  でも、私も、だんだん知恵がついてきます。
  で、その日の私は、こう考えました。
  
  
  「にげる」
  
  
  そこで、隙を見て、
  診察台からするりと抜けると、
  逃亡を謀ったのです。
  
  
  歯医者さんも、今でいう歯科助手さんも、
  母も、あわてました。
  
  
  でも、もう今までのように、
  されるがまま抜かれる私ではないぞ!
  そう思って必死に逃げたのです。
  
  
  が、しかし…。
  
  
  そこまでの知恵は良かったのですが、
  後に続く知恵が、まだなかった。
  
  
  逃げまわったのは、診察室の中だけ。
  ついに、戸棚と戸棚の隙間に追い詰められて、
  ねずみ並み、いや、
  ねずみより簡単にあえなく御用となってしまいました。
  
  
  歯医者さんの顔は覚えていないのに、
  そのときに、歯医者さんの体がえっちらおっちら重そうに揺れながら、
  あわてて取り押さえにやってきたのを、
  泣き叫びながら見ていたことだけは、
  よく覚えています。
  
  
  再び、椅子に座らされ、
  今度は母と歯科助手さんに、
  がっちり押さえつけられ、
  抵抗もむなしく、
  私の虫歯は、予定通り抜かれていったのでした。
  
  
  母は、ふだんはエプロンで、
  割烹着はたまにしかつけなかったのですが、
  その日はたまたま白い割烹着をつけてました。
  
  
  抜かれた後、その割烹着の中で、
  ぎゃーぎゃー泣いたことも覚えています。
  でも、泣きわめいているわりに、
  エプロンより割烹着の感触のほうがいいなあと
  考えていたゆとりがあったことも、確かです。
  
  
  (こういうとき、文を書くのを生業としている人は、
  『母の割烹着の優しい感触が、私を暖かく包んでくれた』
  みたいに書くんだろうなあ。)
  
  
  ちなみに、さすが姉妹、
  考えることが同じようで、
  妹の一人も、
  耳鼻科だったと思いますが、
  (こいつは耳鼻科担当でしたから)
  逃亡を謀ったことがありました。
  
  
  しかし、妹はもっと利口で、
  私より、ずっと高度な手法を使いました。
  
  
  もちろん、逃げる先は、
  診察室ではなく、外です。
  
  
  それだけではありません。
  
  
  逃げるときに、母親のサンダルをはいて、
  逃げたのです。
  
  
  当然、追いかけて出てきた母には、
  小さな子供の靴しかないわけで、
  仕方なく、これをはいて追いかけることになり、
  「これには、まいった」
  とこぼしてたのを覚えてます。
  
  
  私は目医者でも一度、
  泣きわめいているのを、
  やはり看護婦さんや母に、
  総出で押さえつけられたことがあります。
  
  
  ひどいものもらいができて、
  ちょっと切開をするために、
  麻酔でもしたのか、
  それとも何か他のことをしたのかもしれませんが、
  とにかく私は、目に注射される〜!と
  思い込んでしまったのです。
  
  
  いや、正直言って、私は大人になってからも、
  目ん玉に注射されたって思いこんでました。
  でも、よくよく考えたら、
  そんなのありえないか、
  って思って聞いてみたら、
  やっぱり単に、ものもらいの治療でした。
  
  
  でも、そう思い込んだ私の恐怖ったら、
  わかります?
  注射針が、目にせまってくる〜!
  そりゃ、死に物狂いになりますって。
  「ギャオ〜!!!!」
  
  
  あの叫び声で、帰った患者がいるかもしれません。
  
  
  単純な私は、帰りにアイスかなんかを買ってもらっただけで、
  復活しましたが、
  デリケートな子なら、
  その後トラウマになってしまったでしょう。
  
  
  ところで、叫び声を聞いて患者が帰ったと言えば、
  昨年の大河ドラマ「新選組!」で、
  こんな場面がありました。
  労咳の兆候が表れた沖田総司を心配した、
  新選組屯所の家主の娘が、
  彼を無理やり医者に連れて行きますが、
  待っている間に、
  前の人が怪我の治療で、
  大声をあげているのを聞いて、
  恐れをなした沖田が帰ってしまうのです。
  
  
  この場面を見ていて、
  私は、昭和30年代の社会に残っていた名残を、
  一つ見つけたのです。
  
  
  (どうも今回は、前置きが長くて、
  本題にようやくたどり着いたと言う感じになってしまいました。
  すみません。)
  
  
  それは、待合室で患者さんが待っていて、
  中から、「次の方、どうぞ〜」
  と声がかかると、患者が入っていく形式。
  
  
  つまり、順番は、患者たちの自己管理でなりたっていたということ。
  
  
  町医者に行くと、まず、
  自分より前に来ていた人たちの、
  顔ぶれを覚えます。
  
  
  テレビドラマでは、表の縁台だか腰掛に、
  来た順番に座るような感じになっていましたが、
  昭和30年代は、
  もちろん表で待つような待合室はありませんし、
  座る場所も自由でしたから、
  なおさらこの作業は、欠かせませんでした。
  
  
  その人たちが、全員いなくなると、
  次が自分の順番だとわかるのです。
  今みたいに、看護婦さんが、
  名前で順番に呼んではくれなかったです。
  
  
  もちろん、時々間違えて、
  二人が立ってしまうということもありましたが、
  そういう時も、もめたことはありません。
  
  
  「おたくは私の後ですよ。」
  「ああ、そうですか。すみません。」
  で、すんでしまいます。
  
  
  待ってる間に、自分が次かどうかわからなくなると、
  「おたくが先でしたっけ?」
  「いえ、あなたですよ。私はその後です。」
  なんて会話も聞かれました。
  
  
  もっとももし、1人や2人がわかんなくなっても、
  誰かしら他の人が教えてくれたりしましたので、
  そう心配もなかったです。
  時には、みんなで順番を確認しあったり、
  時には、みんながわからなくなって、
  中から声がかかっても、
  誰も立たなくて、
  お互いが顔を見合わせていたり。
  
  
  「おたくではないですか?」
  「あら、そうですか?では、お先に。」
  なんて、のんびりした光景が展開したりもしました。
  
  
  今、このシステムだったら、
  めちゃくちゃになって、トラブル多発でしょう。
  
  
  でも、昔は混んでいても、覚えきれたんでしょうか?
  今だったら、私は、混んでたら(混んでなくても?)
  覚えきる自信もないけど。
  
  
  まだまだ心のゆとりのあった時代だから、
  なりたっていたシステムだと思います。
  それを考えたら、昔の社会のほうが大人で、
  もしかしたら、記憶力も昔のほうが、
  良かったのかな
  
  
  こういう感じ、昭和40年代前半くらいまでは、
  町医者には残っていたように記憶しています。
  
  
  親がついていってくれれば親任せでしたけど、
  一人で医者に行くときは、
  いっしょうけんめいに覚えた記憶がありますから。
 

 
  
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    あれこれ後記
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  ◇昨年の秋、区の歯科無料健診を自信満々で受けてみました。
   体のほうは、毎年健康診断をうけてましたが、
   歯のほうは、痛みもないし、
   歯が弱いのは自覚しているので、
   きちんとケアしていたつもりでしたから、
   歯の無料健診は、受けてませんでした。
  
  
   ところがどっこい、痛みはまだないとはいえ、
   10本も虫歯が発見されて、
   その後、1ヶ月ばかり、
   おとなしくせっせと治療に通うはめに。
   やっぱり、いまだに虫歯になりやすい歯のようです。
  
  
   すべての治療が終わったあと、
   「これからは半年に1回くらい、
   定期健診を受けたほうがいいですよ。
   はがきを差し上げますから。」
   と言われて、深く反省した私は
   「はい」
   と返事をしました。
  
  
   半年後、はがきはきちんときました。
   でも、ひとみさんのほうは、まだ歯医者には、
   きてないそうです。
  
  
   イヤー、行かなくては、行かなくてはと気にはしてるのですが。
   どうも、歯医者行くのって、
   最初の一歩が、いまだに勇気がいります。
   でも、大人になっても、歯医者って嫌なもんですよね。
  

   もっとも一病息災ではないけれど、
   歯医者にかかる機会が多かったせいか、
   まだ失った歯はありません。
  
  
   私の、小さいほうの姪は、
   歯医者が大好きで、
   歯医者に行くとなると、
   ニコニコしている変な子です。
  
  
   あの、歯をガ〜っとやられる感覚がいいのだそうです。
   変態です。
  
  
   母のサンダルをはいて逃げたのは、
   この子の母親ですが、
   どうやら、自分の子供たちには、
   逃亡されることはなかったようです。
  
  
   それを考えると、私ら、やりすぎたかな。





  ◇江戸風俗研究家の杉浦日向子さんが亡くなったことを、
   テレビで知って、
   昨年友人が亡くなった時の気持ちを思い出してしまうくらい、
   ちょっとショックでした。


   もちろん、彼女と知り合いとうわけではありませんが、
   昨年亡くなった私の友人と、
   顔の雰囲気が似ているところもあり、年も近いので、
   そう思ってしまったのかもしれません。
   

   でも、それだけでなく、
   江戸風俗にも興味を持つ私には、
   同年代で、実にそういうことをたくさん知っている杉浦さんは、
   憧れの人でもありました。


   彼女の著書をすべて集めるほど、
   入れ込んでいたわけではありませんが、
   歴史考証の大家稲垣史生に師事したというのも、
   すごいなあなんて思ってたし、
   賞もとった漫画家でもありながら、
   江戸風俗研究家になってからは、
   江戸に関するたくさんの本は出すわ、
   テレビにも出るわ、の活躍ぶりで、
   しかも、いつも笑顔は絶やさないし…、
   と尊敬できることを、ばんばんあげられる人でした。


   彼女は私より、一つ年上ですが、
   私の46歳の誕生日に、彼女が46歳で亡くなったというのが、
   唯一のご縁になってしまいました。
   もっと、いいご縁があったら、よかったのに。
   

   酒豪で日本酒をこよなく愛し、
   その飲み方も、江戸っぽく枡のはしに、
   塩をちょっとのせて飲んだりという粋なものだったそうです。
   仮性高血圧の域に、足を踏み入れている私には、
   聞いただけでぶっ倒れそうな飲み方ですが、
   彼女の場合、病んだのは血圧でも肝臓でもなく、
   喉に癌ができたということですので、
   本当に、油断はできないものです。


   テレビ番組から降りたのも、そのためだったようです。  
   かえすがえすも残念です。
   
  
   また、同世代が逝ってしまった…。 
   でも、今度は、時空を超えて、
   大好きな江戸に向かっているのかもしれません。
   今度生まれ変わったらなりたいと言っていた、
   江戸の馬鹿息子の若旦那になるために。


   ご冥福をお祈りします。




   そして、体の曲がり角を迎えた昭和30年代世代の皆さん、
   やっぱり、健康管理には、本当に気をつけましょうね。
   健康に関しては、自己過信は禁物ですよ!
   (みたいなこと、何度書いたろう。
    そのうち、「今日も元気だ、昭和30年代!」とか、
    「いつもお達者、昭和30年代!」って、
    改題してたりして?)


   あっ、しまった!
   今日は、歯医者嫌いと歯の健診さぼりの話を、
   してしまった…。


   歯は別です…。
   
   
   と言っても、説得力ない?
   仕方ない、やっぱり、歯医者も行かなくては。
   歯を悪くすると、体にも影響あるし、
   歯だって失いたくないですからね。

     
   なんだか、今日は、やぶへびになってしまいました。
   おあとがよろしいようで〜。


                         (ひとみ)

                       


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