「いいとき生まれた!昭和30年代」
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第38号 ロンパールーム
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いいとき生まれた!昭和30年代 第38号
2005. 6. 9
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昭和30年世代は、テレビの普及と共に、
育った世代ですから、
当然、幼児番組というものに接しながら育った、
最初の世代でもあります。
私の場合、
前号でとりあげた「おかあさんといっしょ」が始まったのは、
昭和34年10月で、私が3ヶ月の頃、
もう一つの「ロンパールーム」が始まったのは、
昭和38年で10月で4歳でしたから、
合わせてくれたのかと思うくらい、
ジャストフィットしていました。
で、今回はロンパールームの話です。
今回は、個人的な思い出というより、
一般的な話です。
でも、そのほうが、思い出を共有できるから、
いいのかな。
ロンパールームは16年も続いていたそうですので、
昭和30年代に限らず、40年代世代にとっても、
なつかしい番組でしょう。
でも、うつみみどりのロンパールームをよく知ってるのは、
昭和30年代世代がほとんどだと思います。
うつみみどりのロンパールームと言いましたが、
正式には、うつみみどりは2代目先生です。
だから、初代のみどり先生もよく見ていたはずなのです。
なのに、あまり覚えてないのです。
替わると知らされたとき、「え〜、かわっちゃうの〜」
と思ったことは、覚えているので、
慣れ親しんでいた先生だったとは思います。
そして、2代目のうつみみどり先生の名前が知らされた時に、
「また、みどり先生だ!」
と言った記憶があります。
そう、ロンパールームといえば、
代々の先生は、
なぜか「みどり」を襲名することになってましたよね。
たまたま初代がみどり先生だったからだけの
ことなんでしょうか。
ちなみに、うつみみどり先生の旧姓の本名は、
同じく内海だそうですので、
芸名がうつみみどりになったのは、
ロンパールームのせい?
この2代目みどり先生は、言うまでもなく、
今のうつみ宮土理さん。
初代の影がぶっとんで、
ロンパールーム=うつみみどり
となってしまうのは、
やはり、長年芸能界で活躍できる、
強烈キャラだったということかもしれませんね。
そして、「ロンパールーム」は「おかあさんといっしょ」より、
教育番組的要素は、濃かったのかも。
何しろ、にこちゃんとこまったちゃんがいましたから。
もちろん教育と言っても、
あの時代は、お勉強の教育ではなくて、
しつけ教育が中心。
日常の生活行動をあげて、
にこちゃんのよい子の行動、
こまったちゃんの悪い子の行動を
教えるというパターン。
今考えれば、テレビの前の子供達が、
いいこと悪いことを教えてもらえるということでもいいし、
先生が言う前に、自分で考えてわかれば、
それはそれでまたいいことです。
もとは、アメリカの番組らしいのですが、
今の幼児番組にも、こういう素朴でわかりやすいコーナーって、
あるのでしょうか。
「♪にこ、にこ、にこちゃん、いつもげんき
おへんじはい!げんきではい!にこちゃんではい!」
はい、今でも、ちゃんと歌えますか?
(今、気がついたけど、かわいそうに、
こまったちゃんは、歌にも登場させてもらえなかったのね。)
他にも、いろいろな遊びにあわせた歌がありました。
全部は覚えてませんが、思い出せたものを少し。
ただし、曲は覚えていても、
歌詞がちょっとあやふや。
♪さあさ、みんなでギャロップ、ギャロップ、ギャロップ
みんなでギャロップ、(踏みましょう?)だったかな?
馬の頭のついた棒にまたがって、
パカパカやるだけのもんでしたけど、
これが始まると、
当時どこの家にも絶対あった、
座敷ぼうきか、はたきなんかをひっぱりだしてきて、
またがって走ってたのは、
まさかうちだけの話ではないですよね?
そして、にこちゃふーせん。
♪にこちゃん、こんにちは
ごきげんいかがです?
あなたをぶーんととばします。
おそらへとんでいけ。
(こんな、仲いいんだか、悪いんだかわからない歌詞でしたっけ?)
歌い終わって、最初にふくらませておいた風船を、
いちにのさーん!で放すと、
ぷ〜と音をさせて飛びながらしぼんでいき、
それを喜んでおっかけるだけのことでしたけど。
たまにどんくさい奴がいて、
歌の最中とか、終わりきらないうちに放してしまって、
先走ってぷ〜音がしているときもありました。
そして、みんなが喜んでふーせんを追っかけてる中、
すでにしぼんでしまったふーせんを持って、
ボーゼンと立ちつくしてたりしてました。
テレビの前では、
普通の風船がある時しか、
一緒にはできませんでしたけれど、
もちろん、ぷ〜音はしません。
で、テレビの音で、そのつもりになってました。
(あー、なんてかわいそう)
かご(中にボールかなんかを入れましたっけ?)
を頭にのせて、落とさないように歩くってのもありました。
これは、バランス感覚を、育ててたのかしら。
♪か〜ご、か〜ご、かごを、
あ〜たま〜にの〜せ〜て、
まえを〜よくみて〜さああるきましょ。
なんだか、そのまんまの歌詞ですが、
この時には、
「今度はかごか。そうだ、台所にある!」
と思いついて、早速台所からざるを持ってきて、
頭に載せようとしたら、怒られました。
まりをつく遊びもあったような。
これも、家の中でやったら、怒られたろうな。
こういう子供心をしっかり見越していたのでしょうか、
おやつは、一杯のミルク。
これにつられて、牛乳嫌いの子も、
飲んでくれるといいな、という魂胆?があったのでしょうね。
こうやって、テレビに踊らされる子供が増えていくのでありました。
じゃなくて、楽しみながら、知らないうちに、
しっかり運動やしつけなどの教育を受けていたのでした。
一方でこれも、こういった子供心を見越して、
番組の中で使われるおもちゃやグッズは、
しっかり販売されてましたけど。
もちろん、欲しい欲しいと言い続けても、
一つも買ってもらえなかった玩具卸商の娘でした。
私がロンパールームのおもちゃの中で一番欲しかったのは、
ぺたぺた貼り付ける着せ替えです。
男の子用と女の子用がありましたね。
番組では、その週に出演する子供に交代で、
一人ずつやらせてくれました。
まず、男の子用か女の子用を選んでから、
お天気とか服とか小物とかをぺたぺた貼っていく。
あれ、今見ても、子供の個性が出ていて、
おもしろいかも。
そして、最後の、
「かがみよ、かがみよ、かがみさん、
そーっとあわせてくださいな、みんなにあわせてくださいな」
では、今日は自分の名前が呼ばれるかどうか、
耳をすませて、真剣に聞いてましたでしょ。
私の場合は「ひとみ」はあまりなくて、
「ひろみちゃん」でがっかり、ってのが多かった気がします。
自分の名前がなくても、妹達の名前が出ても、
喜んでましたけど。
あの頃、ロンパールーム放送中のテレビの前の子供たちは、
多かれ少なかれ、似たような反応をしていたと思います。
ほんと、たわいもない、純真な子供時代でしたなあ。
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あれこれ後記
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◇前号に対して、
Nさんのミーハー体験のお話をいただきました。
こちらの、生まれてはじめてのミーハー体験は、
大物ですよ。
「なつかしかったです〜〜。
い〜もむし、ご〜ろごろ。
何かごろごろしながら体操してましたよねえ。
うん、うん。
子供がうまれてからも、
しばらく一緒に見たりしてた時期もあったので、
なんかごちゃごちゃになってますが・・・
ちなみに、私が最初に見た芸能人は・・・
じゃ〜〜ん(何がじゃ〜〜んだか・・・)
あの、山口百恵ちゃんなのです。
あの欽ちゃんの「スター誕生」がなんと秋田に来まして、
私もミーハー根性丸出しで見に行きました。
で、並んで待ってるときに、あのころデビュー間もない百恵ちゃんが、
チェックのワンピースで歩いてました!
あの百恵ちゃんが、伝説のスターになるとは、
あのころの誰が想像したでしょう???
蛇足ですが・・・「スタ誕」を見に行って、
何週か忘れたけど、まとめて収録することを知りました。
芸能界って、うそつき!と感じたのも確かあのころです。
かわゆい子供でしたねえ。」
懐かしいですね、スタ誕も。
あの番組から、芸能界入りした人たちも、ほとんどが、
昭和30年代の生まれですしね。
◇前号で触れた曾祖父と曾祖母の話で、
ふと思い出したのですが、
曾祖母が、娘時代に出合った有名人がいます。
もちろん、曾祖母の場合は、芸能人ではありません。
でも、思わずきゃーきゃー騒いでしまいそうな人です。
別の意味でですけど。
だって、曾祖母が見たのは、
あの清水の次郎長親分なんですもの。
曾祖母の娘時代は、明治に入ってましたから、
晩年の親分だと思うのですが、
清水の次郎長がやってくるってんで、
みんな雨戸を閉めて、
その隙間から、そーっと眺めていたそうです。
怖いものみたさだったんでしょうかね。
次郎長親分の名は、東海地方全体に
とどろいていたんでしょうか。
それとも、もはや全国区になっていたのかな。
曾祖母は、その話を孫である母に、
よく話していたそうです。
もっとも、幕末頃の親分さんたちは、
怖いだけでなく、人間味もずっとあって、
戊辰戦争で、新政府軍が片づけるのを許さなかった
幕府軍の戦死者たちの遺体を、
「ひでえことをしやがる」って、埋葬した話が、
いくつかあったように記憶してます。
次郎長親分も、確かしているはずです。
この時代の親分さんたちは、
本当の意味で仁侠の世界に生きていて、
人のためになることを、けっこういろいろしているんですよね。
だからこそ、今も名前が残っている親分さんが、
たくさんいるのでしょう。
今の世には、いなくなってしまったタイプの人間かもしれません。
(ひとみ)
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