「いいとき生まれた!昭和30年代」

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第37号 着ぐるみ人形


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         いいとき生まれた!昭和30年代  第37号     


                 2005. 5. 28           


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  ある日、近くの公会堂に、
  NHKの「おかあさんといっしょ」がやってくることになりました。
  いくら東京といっても、都心でもないところでは、
  そうあることではありません。
  幼稚園からも、園児対照にそのチケットの斡旋販売があって、
  母につれていってもらえることになりました。
  
  お金をとったのだから、
  公開録画ではなくて、
  巡業みたいなものだったのでしょうか。
  
  当時の私は、特別なおでかけのときに、
  母と二人きりで出かけるのが嬉しかったです。
  きっと、普段は双子の妹たちに手をとられるので、
  母を独り占めにできるのが、
  嬉しかったのだと思うのですが、
  その嬉しがり方が、ちょっと変でした。
  
  どういうふうに、嬉しかったのかというと、
  母と二人で歩くと、
  「金持ちの家の子供になった気分」に、
  なれて嬉しかったのです。
  わけわかりません。
  喜ぶ理由が、屈折してます。
  なぜに、金持ち?
  もちろん、母がいかにもお金持ち風に見えたわけでもありません。
  どう見ても、庶民です。
  
  そして、もう一つわかんないのが、
  ここに妹たちが加わる場合は、
  母だけに連れて行ってもらうのは嫌で、
  父も加わらなくては、気が進みませんでした。
  
  ふだんのおつかい程度では、どういうメンバーでも、
  なんとも思わないのに、
  特別なお出かけの時には、
  母と二人きりか、家族全員のどちらかの形でないと、
  だめだったのです。
  ほんと、わからない子供です。
  
  ともかく、この日の私も、
  金持気分で、出かけたことでしょう。
  
  でも、舞台はほとんど覚えてません。
  「ほら、テレビで見ている体操のおにいさんだよ。」
  って言われて、思わず乗り出して見た、
  当時の体操のおにいさんだった佐川啓介さんが、
  今ではもうできないだろう身軽さで、
  舞台の上で飛んだり跳ねたりしていたことを思い出すくらいです。
  
  ミーハー的なところがあるもんで、
  そういうところだけ、よく覚えているようです。
  
  考えてみれば、私が生まれて初めて出会ったテレビの人って、
  佐川啓介さん、ということになるのかな。
  今では大山のぶ代さんとのおしどり夫婦で、
  静かに余生を送っているというかんじですが。
  (まだ、そんなに枯れてないか)
  
  ちなみに、
  「元気にいち、に!おはようさん!
  お手々を振って、おはようさん!」
  で始まる体操、覚えてますか?
  私も、部分的にしか覚えてませんが、
  「いもむーしごーろごろ」
  とか、ありましたよね。
  見たら、もっと思い出すのでしょうけど。
  
  でも、私がこの日のことで、
  強烈に覚えているのは、
  実は、舞台ではなくて、
  終演後のことなのです。
  
  終わって出てくると、
  出演していた着ぐるみ人形たちが、
  ロビーでお見送りしてくれていました。
  ブーフーウーでなかったのは確かですが、
  とにかく、木みたいな感じの硬い材質の
  でっかい被り物をした人形たちでありました。
  それだけは、確かです。
  なぜ、そんなことだけ覚えているのかというと…。
  
  まあそういう人形って実際間近に見ると、
  でかくて不気味でもあるんですが、
  「握手してくれば?」
  の母の言葉に、再び私のミーハー気質の血が反応しました。
  
  一番近くにいた、お人形のところに行って、
  手を出すと、人形もすぐ握り返してくれました。
  
  が、しかーし!
  
  子供心に、こういう人形は、
  ピノキオみたいな感覚でした。
  だから、顔が硬ければ、
  当然手も硬いと思ってたのです。
  
  ところが、人形のしている薄手の手袋から得た感触は、
  意に反して柔らか。
  妙な違和感と失望感…。
  「なんだ、これは人間ではないか。」
  
  一つ、現実を知ってしまった瞬間でした。
  
  大人たちよ、子供をあなどってはいけないぞよ。
  だますなら、いや、ごまかすなら、
  いや夢を与えるなら、
  指の先まで、手を抜いてはいけないのだよ。
  
  かくして、私は少し大人になったのです。
  さすが、教育番組!ってか?
  
  
  (「おかあさんといっしょ」が出たなら、
  次回はロンパールームの話にも触れないと片手落ちかな。)
 

 
  
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    あれこれ後記
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  ◇昔のトイレの紙、「茶ちり」と言ったというメールを、
   Nさんからいただきました。
   私は、便所紙とかおとし紙とか言う言葉しか知らなかったので、
   きっとそういう言葉を忘れてしまったんだろうと思ったのですが、
   親にも聞いてみたら、親も便所紙しか出てきませんでした。
   でも、ネットで探したら、確かにそう言うようです。
   単に、私が知らないだけだったようで。
   「茶のちり紙」が略された、っぽいですよね。
   うちで使ってたのは、
   グレーがかった再生ちり紙だったから、ねずちり。(うそ)
   ところで、ついでにわかったのですが、
   この茶ちりって、今でも、張子やふすまには、
   使われているそうですよ。
  
  
  
  ◇本文でも触れましたけど、
   私はミーハー的なところがあります。
   ミュージカルとか大好きで、
   若い頃は見まくっていましたが、
   その際にも、楽屋待ちとかして、
   役者さんからサインをもらったりして、
   喜んでました。
  
   宝塚にはまったときも、楽屋待ちはもちろん、
   ファンクラブもいろいろ入ったり、
   東京公演だけではあきたらず、
   兵庫の本拠地や、地方公演もよく見に行ったりしてました。
   もっとも、こんな程度のファンは、
   宝塚ではあたりまえのレベルで、
   本当にはまってしまうファンは、
   こんなものではありません。
  
   「ズームイン朝!!」に出ていた地方局のアナウンサーに
   はまったときは、
   その地方に行って、中継現場に押しかけ、
   一緒に写真をとってもらったりサインをもらったり、
   お話してもらったり…。
  
   なんかこう書いてたら、汗が出てきました。
   まったく、ヨンさまフィーバーしているおばさま方を
   笑えるものではありません。
  
   この気質は、母方の曾祖父によるものではないかと思うのです。
   (と、勝手に決めつけてますが。)
   この曾祖父は、芝居好きで、
   自ら田舎芝居の女形をやっていたそうです。
   当時は、芝居にうつつを抜かすなんて河原乞食だってことで、
   道楽者の封印を押されてしまい、
   財産も少ししか分けてもらえず、
   本家に怒鳴り込みにいったという話もあるようです。
  
   そんなふうでも、
   明治の世になっていたからできたことでしょうが、
   背が高くて嫁の貰い手がなかったということで、
   武家からお嫁さんがきました。
   幕末、池田屋の変があった年に生まれた曾祖母は、
   170センチくらいあったそうですから、
   当時としては、確かに背が高いでしょう。
   でも、それが理由で嫁の貰い手がないなんて、
   今なら信じられないことですね。

   母はおばあちゃん子で、その曾祖母と18になるまで、
   一緒に寝ていたそうですが、8人兄弟の6番目の母が、
   18になっていたということは、
   かなり長生きできたほうです。
   寿命も背の高さも、時代を先取りしていたという意味では、
   この曾祖母も、気づかぬうちにミーハーしてたかも。
   
   当時、田舎では、
   お正月三が日明けに、お坊さんが読経にくる習慣があったそうで、
   曾祖父は、隣の部屋で、
   まだ数ヶ月の赤ん坊だった母と一緒に寝ていて、
   その読経を聞きながら、亡くなっていたというのですから、
   好きなことをやって人生を楽しみ、最後も大往生という、
   うらやましい一生、
   ぜひ、会ってみたかったご先祖さんです。
  
   でも、母方の親族を見渡すと、
   反面教師にされてしまったのか、
   こういうことにうつつを抜かす気配が、
   ちらりともありません。
  
   ところが、この血が、私たちひ孫の世代になって、
   ところどころ出てきました。
   いとこの中には、子供を劇団に入れて、
   「中学生日記」に出させたのとか、
   モデル事務所に登録して、
   チラシや地方CMに出させていたなんてのがいます。
  
   こんなミーハー的な血が、
   昭和30年代世代に出てきたというのは、
   やはり、テレビの普及した時代と共に育ったということが、
   大きな原因ではないかと思うのです。
   封印された遺伝子が、刺激されてしまったんでしょうね。
  
   曾祖母の背の高い遺伝子も、ひ孫や、やしゃごの世代になって、
   ちびの親族の中に思い出したように、
   ぽつりぽつりと出てきます。
   これも時代が、大きく影響を与えているのかもしれません。
   こちらのほうも、
   私に、せめて少しでも出てほしかったのですけど。
   (もし、出ていたら宝塚受けることだけでもできたのに。
    速攻で落ちたろうけど。)
   
  

  ◇牛乳のCMで、かつての「悟空の大冒険」のエンディングテーマを
   替え歌にして使っていますね。
   これを聞くとつい歌い出し、CMはとっくに終わっているのに、
   歌が止まらなくなってしまいます。
   中年を喜ばせて、年甲斐もなく惑わしてしまうこのCM、
   どうにかならないでしょうか。
   しかし、この歌に即座に反応してしまうのは、
   限られた世代であることは、間違いなさそうです。
   
  
                              (ひとみ)



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