「いいとき生まれた!昭和30年代」
メールマガジンバックナンバー
第27号 前の人の荷物を持つ習慣
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いいとき生まれた!昭和30年代 第27号
2005.1.23
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昔の電車やバスの中ではよく見られたけれど、
今はほとんど見られなくなった光景がひとつあります。
大きな荷物や、重い荷物を持って乗り物に乗ってきた人が、
あいにく座れるところがなくて、
つり革につかまって立ちました。
そんなときに、よくあった光景。
そう、前に座っている人が、
「お持ちしましょうか」
って、その荷物を膝の上に抱えてくれたこと。
こういう光景は、日常的によく見かけていました。
最近は見ませんねえ。さっぱり。
見ることもないんだから、
今の子供は、こういう習慣も知らずに育つのでしょう。
もっとも今は、見ず知らずの人に荷物を渡して、
持ち逃げされないかって不安のほうが先立って、
たとえ復活させようとしても、根付かないかもかもしれません。
その点、昔は大らかでしたね。
乗り物が混んできて、荷物の持ち主だけが、
どんどん奥へ追いやられてしまうこともありました。
持ち逃げするなら、今がチャンス!
ってなものですが、もちろんそんなことはありません。
どちらかが降りるために、2,3人ずれたところで、
「ありがとうございました」なんて言いながら、
荷物の受け渡しをしていることもありました。
これは、なにも昭和30年代に限らず、
私の最後の記憶でいうと、
昭和50年代の頭くらいまでは、
まだ見られていました。
私も、そういうのを見ながら育ちましたから、
前に大変そうな荷物を持った人が来た時には、
持ったこともありますし、
持ってもらったことも多数あります。
座っている人にとっても、持ち主にとっても、
他の乗客にとっても、これは一番邪魔にならない合理的な方法でした。
でも、いつのまにか、消えてしまいました。
そういう習慣の、最後の記憶を、昭和50年代頭のことだったと、
よく覚えているのは、
それが実に心に響いた思い出となったものだからです。
私は高校生でした。
学生かばんを持って、バスに乗ったときに、
前に座ってたおばあさんが、
「学生さんのかばんは重くて大変でしょう。持ってあげますよ。」
と言ってくれたのです。
人の好意は遠慮しないで受けてしまう私ですが、
そのときは珍しく「いえ、大丈夫ですから」と遠慮しました。
でも、おばあさんは親切でした。
「そんな遠慮しなくていいから。」
私は恥ずかしながら、かばんを差し出しました。
おばあさんが、一瞬変な顔をしました。
私は、あばあさんが心で思ったことが、
よくわかりました。
「か・る・い」
そうです。
教科書もノートも、すべて学校のロッカーに放り込んで置いてきてたもんで、
かばんの中はすっからかん。
軽かったんですねー。
とっても。
恥ずかしかったー。
その日以来、持ち帰る教科書やノートが増えたことは、
言うまでもありません。
でも、それ以降、誰にも持ってもらえる機会はありませんでした。
まことにもって、心に響いた思い出となったしだいで…。
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編集後記
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◇以前メールをご紹介したとほほほドクターさんから、
こんな情報をよせていただきました。
「今朝 日テレのズームインスーパーで知ったのですが
西岸良平の「三丁目の夕日」が映画化され今秋公開されるそうです。」
実は私もこの放送は見ていたのですが、
最初の部分を見ていなかったので、
その話題でやっていたこととは知らず、
羽鳥アナウンサーが通行人で出た様子や、
昭和30年代の町並みや物を紹介しているところだけを、
見てたんです。
だから、このメールで、そういうことだったのかと、
初めてわかりました。
しかしあの時代に触れると、年代を問わずに、
人は思わず笑顔になるようで。
しかし、その放送を見ていた両親の場合は、
こんな展開になってました。
もちろん、両親も懐かしがって、
「あれ、うちにもあったね」なんて、
会話もはずんでいたようです。
ところが、スタジオに運ばれていたチャンネルテレビに、
話題が移ったとき、母は、以前メルマガでも紹介した、
父が、昭和32,3年頃に、
まだ高かったテレビを買ってきてしまった一件を
思い出してしまったようです。
「月収1万4千円の時代に5万円もしたテレビを買ってきて、
腹がたってしかたなかったわよっ、ほんとに!」
金額までいまだに覚えているのも、すごいと思いますが。
「それで、しゃあしゃあと、
あとで○○○○○○電気(なんか長ったらしい名前だった)
が来るからって、ったくあの電気屋の名前も絶対忘れない!」
どうやら母は当時の怒りが、数十年を経て再びふつふつと
湧き上がってきてしまったようです。
女の恨みは、いつ復活するかわかりません。
男性諸氏、お気をつけあそばせ。
しかし、それが、売った電気屋にまで及んでいたとは…。
きっと、テレビを持ってきた電気屋さんは、
殺気を感じながら、取り付けていたのかもしれません。
実は、父は、昨年胃がんが発見され、9月に胃の全摘手術を受けて、
ありがたいことに事なきを得ることができました。
これで、旺盛だった食欲も落ちるのだろうなと思いきや、
逆に、ますます食べることへの執着が強くなって、
何かを食べているか、何を食べるかを考えているかの
どちらかしかしていないんじゃないかと思えるほどです。
そのときも、せっせと朝食を食べていたところを、
懐かしい話題の放送に、思わずその手をとめて、
母と一緒に楽しく見入ってたようです。
が、母がその話をはじめたとたん、
急に下を向いて、その声が聞こえていないように、
ひたすら無言で、食べることに集中しておりましたとさ。
◇前号にどぶ掃除の話をしたら、嬉しいことにお仲間がいました。
めのうさんからいただいたメールです。
『私もやってました!どぶそうじ ^^
暇だった時とか、思いたった時など結構やってました
楽しかったですよね?
私の住んでた住宅も同じような側溝があり
2件長屋が2つ並んだ状態で1本
じゅうのうであらかじめ砂をすくいだしてから
デッキブラシで端からゴシゴシやっていきます
蓋のかぶったところは
こちら側から押して向こう側から引き出す感じで
がんこなところは
家の風呂からバケツに残り湯をくんできて
勢いよくザッパーンと何度もぶっかけて
ストレス発散にもなってたかもしれないですねぇ
私はちょっくら言ってもらえましたよ
「ありがとね」って
で、1番端のお家の人がたまたまいたりすると
仕上げにお風呂のお湯を落としてくれたりして
端からシャーっと走っていくのは
いやぁ、爽快爽快
なんだか
こんなんで楽しんでたっていうのは
何とも幸せな時代でしたなぁ 大爆笑 』
いやー、わかります、わかります、この気持ち。
そして何よりも、これを読んで一番わかったことがありました。
つまり、どぶ掃除は、娯楽だったんだ!ってこと。
おもしろかったわけですな。
(ひとみ)
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