「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー




第25号 もちつき


  ★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆


         いいとき生まれた!昭和30年代  第25号     


                 2005. 1. 7           


  ★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆

  
  
  みなさま、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
  私のメルマガとして3番目にスタートした、
  この「いい時生まれた!昭和30年代」も、
  発行開始からもうすぐ半年がたとうとしております。
  
  これもひとえに、購読いただいている皆様のおかげです。
  みなさまの暖かいメールに励まされたり、
  いろいろと教えていただけたりで、
  このメルマガを出してよかったなと思い続けて、
  あっという間の半年でした。
  他の2誌と共に、続けていける限り、
  続けていきたいと思っておりますので
  今年もよろしくお願い申し上げます。
  
 
  -=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-=*-
  

  うちの近所のお豆腐やさんでは、
  店のスペースを利用して、
  暮れになると親族が集まって、
  いまだに臼と杵を使って、
  本格的なおもちつきをするそうです。
  子供たちにとっても、いい思い出になるでしょうね。
  
  昭和30年代生まれとしては、
  家でおもちつきをしていた方は、
  どのくらいいるのでしょうか。
  
  もちろん、私の家でもおもちつきはしませんでした。
  だいたい、臼も杵も、昔話のなかに出てくるものでしたし。
  が、1回だけおもちつきの経験があります。
  母の実家のおもちつきです。
  しかもこれは、自分のために開催されたような
  おもちつきだったのです。
  
  ある年の、暮れも押し迫った頃、
  母の兄が仕事がらみか何かで東京に用事があり、
  愛知から上京していました。
  その伯父が帰るときに、私についていくか?
  と聞いたところ、私ががぜん行く気になったのです。
  
  どうせ来るお正月には、
  車で家族で行くつもりでいた時だったようで、
  一足早く私だけが行っていても、
  なんの問題もなく、ついていくことになりました。
  
  まだ、新幹線は通ってない時代、
  時間もかかる旅だったと思います。
  伯父も大変だったでしょうに、
  よく連れて行ってくれました。
  
  そのとき、生意気にも私はハンドバックなぞを、
  持っていったのですね。
  どこだったのかはわかりませんが、
  どこかの駅で乗り換えの列車を待っているときです。
  持ちなれないものを持ってる上に、
  何もそんなときに開けなくてもいいものを、
  そのハンドバックの口を開けたんです、このガキ、いや私は…。
  そのとたん、中身を線路の上にぶちまけてしまいました。
  ほんとにしょーもない奴です。
  
  あっと思って泣きそうになった瞬間、伯父がすばやく線路に飛び降りて、
  中身を拾い集めて、またパッとホームに這い上がってきました。
  昔のことゆえだったのか、駅員さんに怒られることもありませんでしたし、
  他のホーム上の客も、別に注目することもありませんでした。
  
  しかし、ホームから落ちて、
  線路上で電車にはねられる不幸な事故がおきるたびに、
  私はあのときを思い出して、
  電車が来ないときで、本当に良かったものだと、
  冷や汗ものになるのです。
  
  でも、そんなことを思うようになるのは、後のことで、
  そのときのこのガキときたら、
  ほっとして足りないものがないか中身を確かめ、
  伯父があわてて拾い集めたせいか、
  太い針金が1本混じってたのを、
  こんなのが混じってるわい、これはいらなかったなーなどと、
  のん気に思ってたりしたのですよ。
  
  そんな大迷惑をかけて、ようやく着いた母の実家。
  当時は祖父、祖母もおりましたし、
  伯母やいとこたちもいますから、
  昼間は良かったのですが、
  子供の常で、夜になると急に寂しくなってきました。
  そうホームシック。
  
  今度はここで大泣きです。
  さあ、実家のメンバー大弱り。
  家に電話して、母に言いきかせてもらおうが、
  「もう眠いんだよ」ということで祖母に抱っこしてもらおうが、
  この頑固者の思いはひとつだけ。
  
  母親の声を聞いても仕方ない!眠くて泣いてるんでもない!
  ただ帰りたいだけなんだ〜!
  何がなんでも帰る、帰してもらいたい、帰してくれ〜!
  
  しかし、愛知と東京では、いくらなんでも離れすぎ。
  思えば遠くにきたもんだ〜ってなもんで。
  でも、子供にはそんなことは通用しない。
  きっと、伯父は、後悔してたことでしょう。
  「俺が、連れてくなんて言わなきゃな〜」。
  
  で、その慰め策というか、納得させる案として出たのが、
  「そうだ、明日はおもちつきをしよう!」
  ということだったのです。
  
  おもちつき?
  あの月でうさぎがやってるおもちつき?
  おー、これはおもしろそう!
  とたんに気持ちは、明日へと向かう。
  そんならおとなしく寝ようっと!
  
  みんな、ほっとしたことでしょう。
  その代わりに、暮れの忙しいときに、
  大人たちはやるつもりのなかった行事をやるはめに、
  なりました。
  
  再び、伯父は、後悔してたことでしょう。
  「俺が、連れてくなんて言わなきゃな〜」。
  
  そして、翌日のおもちつき。
  庭に、あの絵本でしか見たことのなかった臼と杵が出され、
  本物のぺったんぺったん。
  
  これは、家では絶対にやらない、やれないことですから、
  私の好奇心を満たすには充分なことでした。
  いまだに、その光景も覚えています。
  つきたてのおいしいおもちも、つまみ食いして、
  昨夜大泣きしたことなどすっかり忘れてしまいました。
  
  やがて到着した家族に向かって、
  祖母が、
  「おかげでやるつもりのなかったこと、
  やっちゃったよ。」
  と言ってたなあ。
  昭和30年代、すでにいなかの家でも、
  おもちつきは、もう家ではやらないものになりつつあったのですね。
  
  そして当のガキといったら、そんなことは我関せずで、
  「おもちつき見たんだよー」
  と、得意気に報告していたのさ。
  
  今、自分のそばにこんなガキがいたら、
  張り倒してやるぞー。
  
  でもそのおかげで、たぶん私にとっては、
  一生に一度になるであろう、家でやるおもちつきの雰囲気を、
  味わうことができたのです。  

  ちなみに我が家のおもちは、お店に頼んでました。
  暮れになると、鏡もちと共に、まだ柔らかいのしもちが何枚か届けられ、
  母がそれをさらに細かく長方形に切り分けていました。
  それがおもしろそうで、やってみたくて仕方なかったものですが、
  それすら、今はあまりない光景になってしまいましたね。



  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    編集後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  
  
  ◇おもちといえば、お雑煮。
   土地柄が表れる一品です。
   私は生まれ育ちは東京でも、東京のお雑煮は知りません。
   両親が愛知県の知多半島の真ん中あたりにある半田市というところの出身。
   当然、この地方のお雑煮で育ちました。
  
   徳川御三家尾張藩の領地だったこのあたりのお雑煮は、
   とてもシンプル。
   おしょうゆ味の汁に、具は小松菜だけ。
   成長して、各地のお雑煮をみるにつけ、
   うちの場合、母が手抜きをしているのだと思ってました。
  
   ところが、お正月いなかに行くことがあると、
   出てくるのは、やはり同じお雑煮。
   父方のほうでも同じお雑煮が出るとわかれば、よかったのでしょうが、
   父方の祖父母は、父と母が結婚した年に他界しており、
   いなかに行くと、たいてい母方の親類関係の家に泊まってたせいで、
   母方のお雑煮しかわかりません。
   もちろん、近所の父の実家にも、顔は出しましたが、
   そちらでは偶然に、お雑煮を食べる機会がありませんでした。
   そこで、これまた思ったものです。
   そうか、これは、母の実家が代々手抜きなのに違いない!
  
   これがれっきとしたこの地方のお雑煮と納得したのは、
   新聞に載っていたのを見たときのこと。
   もちろん、今ではシンプルで一番おいしいお雑煮だと思ってます。
   誰でも、自分の慣れ親しんだお雑煮が、
   一番おいしく感じるのでしょうね。
   こればかりは、時代が変わっても、
   変わらず受け継がれていくのでしょう。
  
  
  ◇ふと気がついたら、お正月の週は、発行をお休みしてしまってました。
   まあ、曜日も日にちの感覚もなくなってしまうのが、長いお休みですから。
   お正月休みにはふだんできないことを、なんて思っててても、
   結局中途半端な時間しかとれないで終わってしまうもので…。

   おととしは、早々と年賀状を出したとたん、
   友人のお父様の訃報が飛び込んだり、
   明けた年も吉凶波乱の年になってしまったので、
   郵便局には怒られそうですが、
   「きっと年賀状をあまり早く用意して出すのはよくないのだ、
   今年はいつもどおりにしよう」と、勝手に解釈してたら、
   いつもどおりどころか、元旦には間に合わないほど、
   ぎりぎりになって慌ててやる始末。
   大掃除も、雪に見舞われたりで、8割程度で終わってしまったし。
   仕方ない、残り2割は暖かくなってから…(?)
   
   しかし、なんでこんなに、
   次々とやらなきゃいけないことができるのだろう。
   もっとも、私の要領が悪いことにも、
   原因はあると思いますけどね。
   
   以前に書いたように、不定期発行にしていたときは、
   定期的に週刊として出せてたのに、
   「ほぼ週刊」にしたら、忙しくなって不定期発行状態に。
   また不定期に戻そうとも思いましたが、
   こういうときこそ不定期にするより、
   「ほぼ週刊」のままのほうが良さそう。
   ということで、今年は「ほぼ週刊」続行で、
   金曜発行から、金〜日あたり発行(このビミョーなあいまいさ)
   ということでいきたいと思います。
   
   よろしくお願いいたします。                
                        (ひとみ)




   ======================================================================
   
   発 行 日本の小粋な和みの暮らし「和・は・は」
       http://wa.hitokiwa.com/

    このメールマガジンは『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/を利用して
    発行させていただいております。

   「いいとき生まれた!昭和30年代」
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000135400
    購読・解除   まぐまぐ(マガジンID:0000135400)
            又はhttp://wa.hitokiwa.com/merumaga.htm 


   姉妹サイト やる気元気前向き!「あっぱれぷらすサイト」
        http://www2.ocn.ne.jp/~aps/
        よりこんなメルマガも発行しています。

   「あっぱれ長屋のプラス話」
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000115032
    購読・解除   まぐまぐ(マガジンID:0000115032)
            又はhttp://www2.ocn.ne.jp/~aps/nohohon.htm

   「脱!惰性生活〜惰性で生きるな、自分を生きよう」
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000117051
    購読・解除   まぐまぐ(マガジンID:0000117051)
            又はhttp://www2.ocn.ne.jp/~aps/nohohon.htm
  

   
    ※メールはこのメールの返信ボタンをクリックすれば、
     返信用のメールが開きます。
     (件名はそのままでけっこうです。)


  ====================================================================== 
  

←前の号      次の号→

一覧から選ぶ


登録する



このページのTOPへ戻る









あっぱれぷらすサイト ぷらっとネットショップ


和ははホーム


今の日本を楽しむ和はは生活

懐かしの昭和30年代

幕末維新の時代

日本の物産名産入口

日本の旅

日本のエコロジー

こだわり国産品



日本の伝統文化を取り入れた和はは生活

日本の衣

日本の食

日本の住

日本の癒し

日本の美

日本の縁起物

日本を知る本

寄り道・和はは生活

松竹梅子の小遣い稼ぎの口入屋

メールマガジンのご案内

和ははの日本人講座

お休み処