「いいとき生まれた!昭和30年代」
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第2号 道のど真ん中騒動
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いいとき生まれた!昭和30年代 第2号
2004.7.22
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当時住んでいたのは、都営住宅でした。
でも、今のような高層建築ではありません。
庭付きの2階建て、というと聞こえがいいですが、
それが4軒つながっている長屋です。
そんな長屋棟が、いくつも並んでいる住宅でした。
昨今はとんとお目にかからなくなった形式ですが、
おわかりになる方もいらっしゃるでしょう。
それだけまだ土地がぜいたくに使えたのでしょう。
各戸の庭もある程度の広さはありましたし、
住宅の中には広場や公園もありました。
さらにまわりには空き地もまだありました。
それも駅からすぐ近くの場所だったのですから、
今の都内なら考えられません。
とはいえ、家自体は広くありません。
下は4畳半一間、二階は4畳半と3畳。
台所も2畳あるかないか位のスペースですし、
トイレはもちろん汲み取り式。
そこに一家5人、しかも一時期は2人の男性が居候してました。
よく住めたと思うのですが、
子供だったせいか、狭いと感じたことは一度もなかったです。
居候の男性は、蔵前で人形問屋をやっていた父のもとに、
仕事の見習いに来た人でした。
一人は浜松からやってきた商売仲間の息子さん、
一人は愛知から来た父の姉の子、つまり私のいとこにあたる人でした。
期間的にはそんな長くはなかったと思いますが、
今考えると、2人のほうは落ちつかなかったでしょう。
とくに浜松のお兄さんにはよく遊んでもらいましたが、
裏返せばこの環境では、嫌でも相手をせざるを得なかったのかも。
しかし、9歳までのこの長屋暮らしは、
私の原点であり、かけがえのないものであったと思います。
これからこのメルマガでお届けしていくエピソードは、
この住宅時代の話が中心になります。
我が家は2番目の棟でしたが、
1番目の棟と2番目の棟の間には広場があり、
横も広場でしたので、2番目の棟は、見晴らしは良かったです。
私がまだよちよち歩きの時代、
母は玄関の前にたらいと洗濯板を出し、ざぶざぶ洗濯をしていました。
すでに洗濯機は私の生まれたときからあったのですが、
夏になると水をさわってたほうが気持ちいいと言って、
母は旧式に回帰してました。
でも、まだそんな光景は珍しくない時代、
夏は皆、玄関前にたらいと洗濯板を出して、
井戸端会議よろしく、よく洗濯していました。
電気代節約の意味もあったのかもしれません。
ところで私の一番古い記憶にある洗濯機は、
いまや博物館でしかお目にかかれないしろものです。
おわかりですか?
ローラーで洗濯ものをのしいかみたいに絞リ出す、
あの子供心をわくわくさせてくれたタイプです。
いや今考えても、あの発想をした人を表彰したくなるくらい、
充分わくわくしますが。
で、その日も母は、玄関先でじゃぶじゃぶやってました。
家の前の広場の向こうには、駅前に続く道路があり、そこを通る車も、
そのまた向こうを走る電車もよく見えました。
ところが、どうしたことか、その日は車が大渋滞しているのです。
そのころは、まだそんな大渋滞もなかったですから、
母は不思議に思いながら、洗濯をしていました。
そこへ長屋の大工の留さん、だったかどうかは知りませんが、
同じ住宅に住む大工さんが、私を抱っこしてやってきました。
私は家の中で寝ていると思っていた母は、びっくり。
で、留さん(と勝手に決める)の言うことにゃ、
今日は車が混んでるなあと思いつつ、
駅へと向かうその道を歩いていくと、
その渋滞の先頭には、道路のまんなかでくつろいでいる子供がいる。
しかも、よくよく見たら知ってる子供。
びっくりして、あわてて連れ帰ってくれたのです。
玄関先にいた母が気がつかなかったのだから、おそらく、
裏の庭のほうから、出て行ったのでししょうが、
出て行くのは見過ごしたとしても、
母は外にいたのですから駅前に向かう私の姿に
気がついてもいいようなものです。
母ものんきなものでした。
いずれにしても、留さんが通らなかったら、
私はよちよち歩きの時代にして、
もう警察のごやっかいになっていたかもしれません。
いや、それから数年もたたないうちに、
実際にごやっかいになったこともあるのですが、
それはまた別の機会にでも。
いずれにしても、その日の仕事に留さんが遅刻しなかったことを祈ります。
でも、同じことが今の時代に起きていたら、と思うとぞっとします。
事故にせよ誘拐にせよ、
その危険性は比べものにならないでしょう。
そして一番の違いは、子供が道をふさいでいるからって、
渋滞の列を作って様子を見ているような、
悠長なドライバーたちは存在しないってことです。
きっと、牛が道の真ん中で寝そべっているのと同じ感覚で、
止まっていてくれたんだとは思いますが、
そんな心のゆとりがある人は、今は皆無でしょう。
自分の子供が原因の渋滞を眺めていたのんきな母と、
実にはた迷惑な子供は、
そんなドライバーたちと、
仕事に行く途中なのに、わざわざ私を連れ帰るために
戻ってくれた留さん(なぜに留さんか?)に助けられ、
無事ことなきを得たのでした。
今でなくて、良かった。
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編集後記
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今日は私の誕生日。
で、生まれた時刻午後2時に合わせて配信しようと思い立ち、
ちょっと早いのですが、2号を発行しました。
予約配信ですけどね。
創刊号をこれに合わせて出せばよかったかな。
自己満足だけで、他の人にはなんの意味もないことですけど。
創刊号に対しては、何人かの方から早速メールをいただきました。
ありがとうございます。
前号のお産の病院騒動の話の最後に、
お産婆さんに取り上げてもらった人もまだいたと書いたら、
読者さんの中にもいらっしゃいました。
31年生まれの方で、35年生まれの妹さんもお産婆さんだったそうです。
私はお産の経験がないのですが、
陣痛の始まったお腹をかかえて、病院までいく負担を思うと、
自宅にお産婆さんが来てくれるというのは、
いい制度だったと思います。
何かあったときに不安ということはもちろんありますが、
いつ生まれるかではなく、
医者の都合でいつ生むかという選択をさせられることもある時代。
人間の都合を優先させる風潮が、
こんなとこまで及んでいいのかなって気がします。
でも自然の摂理に合わせるのが当然のお産婆さんて、
お産がだぶってしまったときは、どうしてたんでしょうか。
(ひとみ)
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