「いいとき生まれた!昭和30年代」

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第1号 出産


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        いいとき生まれた!昭和30年代  第1号
  
              2004.7.18
  
               
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  はじめまして。
  発行人のひとみです。
  
  このたびは、「いいとき生まれた!昭和30年代」に登録をいただき、
  誠にありがとうございました。  
  
  楽しみながら発行していきたいと思っています。
  よろしくお願いします。
  (でも、自分だけ楽しんでしまったらどうしよう。)



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  私は昭和34年、東京下町に生まれました。
  結婚2年半後の初めての子供でした。
  
  母がかかっていたのは、近所にある大きな総合病院でしたが、
  まだ出産は女の仕事、立会い出産などもありえない時代。
  産気づいた母に付き添い、父が病院にいたときも、
  看護婦さんに、「まだ当分生まれませんから!」と言われて、
  父は追い返されてしまったそうです。
  「かわいそうなくらいだったよ」と母が言うほど、
  こわい看護婦さんだったようです。
  (ちなみに私は今の、看護士という言い方には、どうも馴染めません。)
  
  でも、実は私、数日前にも産気づかせた後に、
  気が変わったのか、陣痛が収まってしまい、
  家にいったん撤収というフェイントをかけていたそうですので、
  その看護婦さんばかりを責められないかもしれません。
  
  しかし、その看護婦さんの言葉をおなかの中で聞いたからでしょうか、
  へそまがりな私は、今度はその言葉に反し、
  父が帰ったあと、その看護婦をあわてさせながら、
  すぐに生まれました。
  7月の太陽が照りつける暑い日盛り、
  しかも最高に暑い時間の午後2時ちょうどでした。
  
  私の生まれた当時の写真を見ると、
  七福神の福禄寿のように頭が長くなってます。
  お産のとき、鉗子で頭を引っ張り出されたせいで、
  頭が長くなってしまったのです。
  でも、これは直るそうです。
  というか、直ってくれないと困ります。
  そして、確かに直ってくれました。
  それだけ、赤ちゃんの頭が柔らかいということなのでしょう。
  へそまがりな生まれ方も可愛くなかったけど、
  見た目も可愛くない子でした。

  しかも、母のお産の手伝いで愛知から状況していた祖母は、
  私を見るなりこう言いました。
  「わっ、猿みたい!」
  
  昔の赤ちゃんって、生後数日はしわくちゃで、
  目も今みたいに生まれたときから開いてる子って、
  あまりいなかったですね。
  
  それは、自分も8人の子供を生み、
  すでに私が何番目の孫かもわからないくらいたくさんの孫がいた祖母の、
  余裕の発言だったのでしょう。
  と、思ってたのですが…。
  
  思い出してしまいました。
  
  子供の頃、祖母が母に
  「この子が生まれたときは見苦しくて、どうなるかと心配したけど、
  どうにか人並みになってくれてよかった。」
  と話していたことがあったのを。
  
  ということは、本気で猿みたいになると心配してたんかい!
  
  そういえば、叔母にも言われました。
  「あんたを初めて見たとき、思わず、
   わー、見苦しい!って言っちゃったんだよ。」と…。
  
  確かに可愛い子ではなかったけど、そこまでひどくはなかったよ。
  そう思って久しぶりに写真を出してみたら、思わず言ってました。
  「しかし、見苦しい子だねえ」
  頭は長いし、顔もどう見ても女の子には見えない、
  我ながら可愛くない赤ん坊でした。
  
  
  おっかない看護婦さんに懲りたのか、
  母は妹の時は、個人病院で出産しました。
  でも、これは逆にすべきだったかもしれません。
  
  なぜなら、妹は双子でしたから。
  1人はすぐ生まれましたが未熟児、
  そして、もう1人はその後1時間生まれず、
  その間母は苦しみ抜いて、ようやく生まれたと思えば子供は仮死状態。
  
  未熟児のほうはすでに先客のいた保育器へお邪魔させてもらい、
  もう1人は逆さにしておしりをたたかれる(なんとも原始的)
  という騒ぎを経て、ようやく2人とも、
  この世での命を得ることができた次第です。
  
  でも、一番あわてたのは父だったでしょう。
  実は、双子だということがわかったのは、出産が始まってからだったのです。
  予定外に突然2人も生まれてきたら、あわてますよねえ。
  
  もっとも、父はもとから子供が3人欲しくて、
  母はお産は2度で充分と言ってたそうですから、
  神様がうまく双方の望みをかなえてくれたのかもしれません。
  
  当時は性別はもちろんですが、双子であるかも生まれるまでわからない、
  そんなこともまだあった時代だったんですね。
  
  ちなみに同級生の中には、少数派ではありますが、
  自宅でお産婆さんに取り上げてもらったという人も、
  まだ何人かはいましたね。
  
  皆さんの中にもいらっしゃいますか?
  
  
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    最後にするのもなんですが…創刊にあたってのご挨拶
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  今、昭和30年代は懐古ブームですね。
  行き詰って、どこかゆがんできている今の時代に、
  高度経済成長で日々がどんどん豊かになっていく、
  そんな希望に満ち溢れていた時代を懐かしむ思いが出てきたのかもしれません。
  
  そこには、昔ながらの日本人の美徳とか人間味とかも、
  まだ充分残っていました。
  もちろん、今では信じられないようなこともありました。
  
  人口ピラミッドで見ると、少子化の今ほどではありませんが、
  昭和30年代世代はへこんでいるのです。
  特に30年代前半世代は少ないです。
  戦後のベビーブーム世代と丙午後の世代にはさまれた谷間の世代です。
  その少ない、成長過程の日本と共に育つことのできた世代に、
  うまく生まれついたことは、
  とてもついていたのかもしれないと最近思うようになりました。
  
  人の道もまだまだまとも、戦争は知らないけれど、
  古き日本の姿の片鱗は知っている。
  今ほど豊かではなかったけれど、不自由な思いをした覚えもない。
  まさに、苦労知らずのいいとこどりではないだろうか。
  そんな時期に生まれた自分の子供時代の思い出話、
  現在や他の世代との違いなど、思いつくまま、
  いろいろな形でエッセイ風に語っていきたいと思います。
  
  今後もお付き合いいただければ、嬉しく思います。
  よろしくお願い申し上げます。
  
  ひとみ

 



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