「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー




第17号 上野の傷痍軍人さん


  ★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆


         いいとき生まれた!昭和30年代  第17号     


                 2004.11. 5           


  ★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆━★☆


  前号では、昭和30年代は意外に幕末に近かったという話をしましたが、
  当然のことながら、太平洋戦争が終結してからも、
  わずか十数年しかたっていません。
  
  すでにお伝えしたとおり、私は昭和34年生まれですから、
  自分の生まれた年は、戦争が終わってたった14年しかたってなかったのか、
  と気がついたときは、ちょっとショックでした。
  
  平成に入ってさえ、すでに16年たっています。
  その短さから考えたら、ずっと近いところにあったのですね。
  
  そんなことにすら気がつかないほど、
  町はすでに復興し、物不足もなくなった時期に生まれてきたわけですが、
  唯一、戦争の名残が感じられる光景を見ることがありました。
  
  覚えていられる方も、たくさんいると思いますが、
  傷痍軍人さんの姿です。
  
  私の場合、その姿を見かけたのは、上野の山です。
  上野の山には、動物園やら博物館やらがありますので、
  時々両親に連れて行ってもらうことがありました。
  そこにはいつも、白い服を着て、戦闘帽をかぶり座っている
  傷痍軍人さんの姿がありました。

  私にとって、このまえの銀座が外人に出会える街なら、
  上野は、傷痍軍人さんのいる街だったのです。
  
  たいてい、二人くらいで、
  盲目なのかサングラスで目を覆った一人が
  アコーディオンで物悲しい曲をかなでている横で、
  手のない人とか足のない人がうつむいて、
  言葉は悪いですが、物乞いのような形で座っていました。
  
  子供ですから、初めて見たときは、
  手をひかれていた母に聞きました。
  「あの人たちは、どうしたの?」
  
  母は、ここは戦争の悲惨さを伝えるいい教育の場とばかりに、
  「戦争で戦ってくれた兵隊さんたちなんだよ。
  ああいう人たちが、一生懸命戦って、国を守ってくれたの。
  それで、あんな体になって働けなくなったので、
  ああやってお金をもらってるのよ」
  と、教えてくれました。
  
  私は、その教育をしっかりと受け止めました。
  で、幼心に思ったのです。
  それはなんと可哀想なことだろう。
  そこで、母に言いました。
  「かわいそうだね。
  お金あげなよ。」
  
  すると母は、しんみり調から、突然現実的な口調になって、
  「いいの、あの人たちは、国からきちんとお金もらってるから。」
  と、どんどん私の手をひいて、階段を登っていきました。
  私は、混乱の中でまた教育をしっかり受け止めました。
  
  大人は、言うこととやることが違うもんだ…。
  
  真偽のほどはわかりませんが、
  これはインチキなどもあったようですね。
  
  でも、国からの支給金だけでは生活できなくて、
  国のために不自由にさせられた体を、
  屈辱に耐えながらさらすことしかできなかった人もいたと思います。
 
  お金をあげている人は、やはり戦争で息子を失くしたような
  年回りの人が多かったです。
  
  私の記憶にあるのは上野ですが、他の繁華街でもあったでしょうね。
  
  昨年くらいだったと思いますが、
  地下鉄都営大江戸線の上野御徒町駅のコンコースを歩いていたら、
  向こうのほうで何か演奏をやっているようで、
  音楽が流れてきたのですが、それがアコーディオンの音でした。
  
  先のほうだったので、わざわざ見に行って確認はしなかったのですが、
  でも傷痍軍人さんが座っていたわけではないことは確かでしょう。
  
  でも、上野で聞くアコーディオンの音色に、
  あの時代の傷痍軍人さんの姿を連想してしまう私って、
  やっぱり年かも…なんて思ってしまいました。
  
  あのときの傷痍軍人さんたちは、今はどうされているでしょう。
  亡くなられた方もお元気で過ごされてる方も、
  戦争によって狂わせられた人生の軌道を、
  再び取り戻せたのでしょうか。
  
  
  
  
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    編集後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  
  何号か前に、私の高校時代の友人が亡くなったという話をしたと思います。
  その告別式の晩、今度は別のクラスメートの訃報。
  その人は、先の友人と2日違いで亡くなったようです。
  いったい、今年はどうしてしまったんだろうと思っていたら、
  この前の日曜は、クラスは違うけれど、
  クラブの同期だった男子生徒(もちろん当時ね)が亡くなったとの知らせ。

  ここへきて、知ってる人だけで、3人も亡くなってるということは、
  学年全体では、もっとたくさんいるのかも。
  しかし、こんな早くから本人の訃報が次々と入るようになってくるなんて…。
  
  40代は健康の曲がり角なのかもしれません。
  今までと同じつもりで、体を過信しないように、気をつけましょう。
  健康診断はきちんと受けて、ふだんの健康管理もしっかりしましょう。
  
  それだけで、防げるものではないけれど、
  寿命といってしまえばそれまでだけど、
  健康管理に気を配ることは、無駄にはならないはず。

  体を大切にして、人生としっかり向き合っていくことは、
  まだ生きることを許されている者の役目だと思います。
  
  頑張ろう!昭和30年代生まれ!  

  
                             (ひとみ)
  
  
  
  ======================================================================
   
   発 行 「和・は・は」
       http://wa.hitokiwa.com/

    このメールマガジンは『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/を利用して
    発行させていただいております。

   「いいとき生まれた!昭和30年代」
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000135400
    購読・解除   まぐまぐ(マガジンID:0000135400)
            又はhttp://wa.hitokiwa.com/merumaga.htm 


  姉妹サイト やる気元気前向き!「あっぱれぷらすサイト」
        http://www2.ocn.ne.jp/~aps/
        よりこんなメルマガも発行しています。

   「あっぱれ長屋のプラス話」
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000115032
    購読・解除   まぐまぐ(マガジンID:0000115032)
            又はhttp://www2.ocn.ne.jp/~aps/nohohon.htm

   「脱!惰性生活〜惰性で生きるな、自分を生きよう」
    バッグナンバー http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000117051
    購読・解除   まぐまぐ(マガジンID:0000117051)
            又はhttp://www2.ocn.ne.jp/~aps/nohohon.htm
  

   
    ※メールはこのメールの返信ボタンをクリックすれば、
     返信用のメールが開きます。



  ====================================================================== 


←前の号      次の号→

一覧から選ぶ


登録する



このページのTOPへ戻る









あっぱれぷらすサイト ぷらっとネットショップ


和ははホーム


今の日本を楽しむ和はは生活

懐かしの昭和30年代

幕末維新の時代

日本の物産名産入口

日本の旅

日本のエコロジー

こだわり国産品



日本の伝統文化を取り入れた和はは生活

日本の衣

日本の食

日本の住

日本の癒し

日本の美

日本の縁起物

日本を知る本

寄り道・和はは生活

松竹梅子の小遣い稼ぎの口入屋

メールマガジンのご案内

和ははの日本人講座

お休み処