「いいとき生まれた!昭和30年代」

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第16号 外人さん


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         いいとき生まれた!昭和30年代  第16号     


                 2004.10.29           


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  昭和30年代という時代は、100年さかのぼらなくても、
  幕末に手が届いてしまう時代です。
  新選組や坂本竜馬が活躍していた時代が、
  そこにあるのです。
  私の曾祖母は、元治元年生まれだったそうですが、
  元治元年といえば、池田屋の変があった年です。
  それだけ、江戸に近かったのですから、
  まだまだ江戸期の感覚が残っていたのも
  なるほどという感じです。
  
  以前触れた裸に対する大らかな感覚などもそうですが、
  私自身も、けっこう江戸人と変わらなかったなあと思うことがあります。
  
  それは…外人が珍しかった!
  もちろん、テレビで外人は見ることができますし、
  日本で活躍する外人なども、たくさんいました。
  そういう意味では、宿に物見高いやじうまが押し寄せたという江戸時代ほどは、
  珍しかったわけではありません。
  
  それでも、まだ日常生活で生外人(?)に出会うことは、
  少なかった時代でした。
  だから、この目で外人を見るのが、珍しかったのです。
  (そういう意味では、ギブミーチョコレートで進駐軍と触れ合った子供たちの
  ほうが、外人慣れしていたかもしれません。)
  
  といっても、生外人には都心に行けば、いくらでも出会えました。
  私にとっての都心、それは銀座です。
  文明開化以来、銀座は日本を代表する最先端の街として君臨してきたわけで、
  全国の商店街にも無数の○○銀座が出現するほど、
  日本人にとって銀座は、特別な街。
  1ドル360円時代の恩恵を受けた外人観光客にとっても、
  必ず訪れる場所だったでしょう。
  だから、銀座の大通りを歩いていれば、何人もの外人さんに会いました。
  下手すれば、今よりその割合は高かったかもしれません。
  
  当時の私にとって、銀座のイメージは、パリのシャンゼリゼ通り。
  (シャンゼリゼ通りなんて行ったこともないのに。)
  銀座に連れて行ってもらうときは、たいていディズニーの映画を見に行くとき
  でした。
  そして、映画を見た後、不二家でチョコレートパフェを食べるのが
  お楽しみのコース。
  そんな夢のお楽しみコースと、広い大通りと、外人さんのイメージが重なって、
  私の頭の中で、「オーシャンゼリゼ〜」となってしまったのかもしれません。
  
  だから、私の中では、銀座イコール外人に出会える街であったのです。
  そして、外人を見ると、思わず出る言葉。
  「あっ、外人だ!」
  それほど、じかに見る外人は、子供だった私には珍しかったです。
  このあたりの心理状態は、江戸時代とまったく同じ。
  
  今、外人を見て、「あっ、外人だ!」と叫ぶ子供います?
  今なら、都心に限らなくても、いろいろな国の人を見ることは、
  珍しくもなんともありません。
  でも、当時は都心や観光地に出ないと、
  なかなか外人を見かけることはできませんでした。
  
  そう思うと、昔日本に来た外人さんは、
  けっこうじろじろ見られていると、感じていたのかも。
  
  そういう外人さんと触れ合った経験をしたのは、
  遊びに上京してきてた親戚一家と共に行った日光。
  昭和43年ごろだったと思います。
  
  外人の老夫婦に、写真をとらせてくれと言われました。
  もっとも、言われたところで言葉はわからないから、
  実際は、身振り手振りで察した親が、
  私たちに写真を撮らせてくれって言ってるんだよと、
  教えてくれたような気がします。
  
  で、私たち姉妹と従兄弟らと並びました。
  ご主人がカメラを構えると、奥さんのほうが、
  一生懸命何か言ってますが、
  さっぱりわかりません。
  
  すると、奥さん、大きな声で何か叫びながら、
  全身使ってジェスチャーを始めました。
  外人の表現力の豊かさというか、
  オーバーアクションにちょっとびびりながらも、
  もう少しこっちへ寄れということかなと、
  動いてみますが、奥さんそれでも何か言ってます。
  
  とまどう子供ら。
  なんだかわからないまま、体をあっちへ寄せたり、
  こっちへ寄せたりしているうちに、
  奥さんがにっこり笑って動きをやめ、
  ようやくご主人がシャッターをきってくれました。
  
  そのときに帰りの車の中で、こう言ったことを覚えています。
  「もし、中学生になってたら、英語習ってるから、
  なんと言ってるのかわかったのにね。」
  
  でも、今思います。
  あれは直立不動の日本の子供達に、
  もう少し笑えとか、リラックスしろとか言っていたのかもしれないと。
  そして、もしそのとき私が中学生だっとしても、
  きっと何言ってるのか、わからなかったかもしれないと…。
  
  実は外人に写真をとられたことが、もう1回、これより以前にありました。
  昭和39年〜40年くらいのことだと思います。
  
  それは、夢の超特急と言われた新幹線の車内でした。
  私の両親は愛知県出身なので、新幹線開業で新し物好きな父が、
  帰省の折に利用しないわけはありません。
  それまでは車での帰省ばかりでしたが、そんなわけで
  比較的早くから利用する機会がありました。
  
  その新幹線の中で、私がいなり寿司を食べていたところ、
  子猿が、いや子供が箸を使って寿司を食べている姿が珍しく写ったらしく、
  外人さんがぜひ写真を撮らせてくれとやってきたそうです。
  
  「きたそうです」と言うのは、私はこのことまるっきり覚えてないんです。
  外人が珍しかったのですから、覚えていてもよさそうなものですが、
  物食ってるときは、まわりに関心なかったのね。
  
  こちらも外人が珍しかったけれど、
  外人もまだまだ日本人が珍しかった時代だったのかも。
  
  それにしても、今でもどこかの国の、どこかの家のアルバムの中で、
  小さい頃の自分の写真が保存されているかもしれないと思うと、
  ちょっと楽しくなります。
  
  
  
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    編集後記
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  ※ギブミーチョコレートと言えば、テレビで放送されていた
   戦後の記録フィルムで、進駐軍の車に子供が大勢群がって手を出し、
   米兵からお菓子をもらっている場面を見たことがあります。
   日本にも、こういう時代があったんだなと感慨に浸る私。
   でも、その中に、なぜか一人おばあさんが混じって、
   子供と押し合いへし合いしながら、手を出しているのを発見。
   すてきな勇姿を歴史の記録フィルムに残したこのおばあさん、
   一目でこの人のファンになりました。 
                          (ひとみ)

  
  ※追伸 後記の後記

   続く台風、地震と、日本列島は、天も地もおかしくなってしまいました。
   水害に続き、新潟地方を襲った震度6という揺れは、
   私は起震車でしか経験したことがありませんが、
   立っていられないくらいの揺れで怖い思いをしました。
   そんなのが、何度も来ていると思うと、気の毒でなりません。
   新潟で強い地震が起きていると放送されると、
   関東地方にも数秒後に3とか4くらいの揺れが来ることがあります。
   この瞬間、新潟ではまた大きな地震になってると思うと、
   不安も募ります。

   被害の大きい小千谷や長岡には、知り合いはおりませんが、
   旅で訪れたことはあり、そのとき出合った風景、人、建物などが無事なのか、
   と考えると心が痛みます。
   まして、ご家族やお知り合いがいる方の、心配はいかばかりでしょう。
   でも、一番大変なのは、住人の皆さんです。
   災害に会われた方々が、一日も早く、もとの生活に戻れることを、
   祈ってやみません。
   でも、そんなことを言うのも、はばかられるくらい、ひどすぎる事態です。

   被災者の方には、心よりお見舞い申し上げます。
  
   ところで新潟地震直後に、NHKで個人の伝言を放送していましたね。
   最初は、粋な計らいと思いましたが、
   考えたら、停電している現地に向けてメッセージを流したところで、
   向こうでは見られないし、仮に見たところで連絡くださいと言われても、
   電話も通じない状態ではできないのでは?と思ったのですが…。

   逆に向こうから、自分は無事というメッセージを受け付けて、
   全国に向けて流すのなら意味があると思いますが、
   その場合はどうやって受け付けられるかですね。
   災害時の対応、まだまだ課題は山積だなと思いました。

   中には住所の番地まで入っていたりするものもあり、
   こんなの放送してしまって、悪用されないかと心配してたら、
   案の定、ちんけな野郎(言葉が悪くてすいません)が考える詐欺未遂事件が
   ありました。
   NHKも依頼人が番地を入れても、放送では番地部分だけ削除するなり、
   配慮ができなかったものでしょうか。
   この調子では、不祥事の名誉挽回への道は遠そうだなと思いました。


                             



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