「いいとき生まれた!昭和30年代」

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         第120号 自転車の荷台


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        いいとき生まれた!昭和30年代  120号     


                    2014. 3.31  


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  昔、まだ小さな子供を
  親の自転車に乗せる場合、
  今のような子供用の椅子なんざございません。
  必然的に子供自ら、
  サドルの下あたりにあったわっかにつかまったり、
  親につかまったりして乗る必要がありました。


  当然、気を抜こうものなら
  我が身が危ないという環境設定。
  こうして、
  乗せてもらっていくと受動性より、
  自分も乗っているという自主性が育ち、
  注意力が向上致しました。


  というのは、
  私のこじつけですが、
  チャイルドシートが前提の今とは
  明らかに子供の意識には差が出ると思いませんか。


  工事現場の作業員にしても、、
  たとえ東京タワーのような高所作業でも命綱なしが当たり前の世ですから、
  子供が自転車に乗る時に
  この程度のことを強いられても
  不思議はないです。


  今、チャイルドシートの上で半分居眠りしながら乗っている子を見ますと
  隔世の感がございます。


  しかも荷台にしたって、
  今の自転車とは違い、
  見るからにお尻が痛くなってきそうな
  荷物仕様の頑丈無骨な鉄枠。


  今なら、
  こんなところに子供を座らせるのはかわいそう
  と思えてしまいそうなもので、
  当時も苦肉の策として、
  小さな座布団などをくくりつける親なども
  いましたね。


  それでも、
  本来なら荷物を載せることを想定している場所に
  子供を勝手に乗せるんだから致し方ないと
  誰もが普通に思ってました。


  それを強引に子供を乗せる場所に変革させたのが
  自転車用チャイルドシート。


  私も乗ってみたかったなあ。


  私はたまにしか自転車の後ろに乗った記憶はないけれど、
  けっこう怖かったのを覚えてます。
  私はもっぱらわっかにつかまることが多かったです。
  ただでさえ不安定ですから、
  母にしがみついてたほうが安心でしたけど、
  母がくすぐったがってよろよろするので、
  そっちのほうがさらにスリル満点。
  学習しました。
  

  しかしこの体勢、
  ことにカーブの時には
  なかなか恐怖。
  倒れるんではないかとびびりまくってました。
  ですから乗ってる間は気を抜けません。
  あの時代にチャイルドシートがあったら、
  守られてる感があって、
  ここまで怖い思いをしなくて済んだかも。


  当時の大人もすごいですよね。
  もしうっかり子供が手を放したらとか
  思わなかったんでしょうか。
  それだけ子供を信頼してた、
  いや私たちが信頼できるしっかりした子供だったんですねー。
  

  でも、危険はそれだけではありません。


  ある日、私達3姉妹は
  母の弟である叔父の家に遊びに行ってました、
  そこの家には3人いとこがいますが
  当時はまだ上2人でした。
  下の子がまだ1,2歳だったと思いますが、
  叔母が上の子を自転車に乗せて近くでちょっと買い物してくるからと
  私たちに下の子を託して出かけました、


  上の子は私より8歳下で当時自転車の後ろに座れるくらいですから
  最低でも3,4歳くらいだったとすると
  私は小学校5,6年くらいにはなってたのかなあ。
  自分の中ではもっと小さかった時の記憶になってるんですけど。


  出かけてほどなく、
  叔母が足を血まみれにして泣き叫ぶいとこを抱えて
  あわてて戻ってきました。
  びっくりする私たちに、
  足を車輪に巻き込んだと言い、
  医者に行ってくるからと保険証を持って
  再び飛び出して行きました。


  子供が後ろに乗る時に、
  足が車輪につかないよう、
  足を開いて乗るというのは
  基本中の基本で、
  大人も口を酸っぱくして言ったものですが、
  そこは子供、
  ついうっかりのこういう事故も
  よくあったのでしょうね。


  いとこは
  包帯で足をぐるぐる巻きにされて
  帰ってきましたが、
  幸い大事にならずに済みました。


  今の自転車の子供用の椅子を見ると
  ちゃんと足もガードされて乗せられるようになってますから、
  至れり尽くせり。
  ここに至るには相当の子供たちが足を怪我したんでしょうね。


  でもね、安全になるのは誠にけっこうですが、
  こういう危険性があるから、
  こういうものがあるということを親子共々踏まえないと、
  危険に対する想像力の欠如を招きかねませんよ。
  
  
  それに、思うんです。
  少なくともチャイルドシートなどなかった時代の子供たちは
  自分で自転車に乗るようになってからも、
  何かしながら自転車に乗るということはしませんでした
  目と耳は運転のために駆使する常識が身についていました。


  でも今の若者の中には、
  音楽聞いたりスマホ見たりしながら自転車に乗ってるのがいますよね。
  あの危険行為をしてしまう発想は
  絶対チャイルドシートで育ったせいだろう、
  と勝手に思ってます。


  もちろん、昔は移動中に音楽聞くことも、
  ましてやスマホもないですから、
  手段がなかったからしなかっただけかもしれません。
  でも自転車の荷台に乗る環境の差は、
  明らかに育む意識に差を生んでいると思うんですけどね。


  しかしあんなありえない発想、
  無防備にも程がある。
  どうせ無防備なら、
  本を読みながら歩くくらいのことにしとけ!
  (二宮金次郎か?)


  なんて思ってたんですが、
  この間、前から来たんですよ、まさかの二宮金次郎が。
  夢中になって本を読みながら歩いてくる中学生。


  なんかの小説みたいですが終わり近かったから
  終盤の盛り上がりだったんでしょうね。
  それにしても今時珍しいその姿。
  その姿に思わず思ってしまいました。


  車にぶつかったら危ないから、
  二宮金次郎はやめろ!


  ったく、このおばさんは手がつけられません。




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    あれこれ後記
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  ◇早いもので、手術をして1年以上が過ぎました。
   お陰様で元気で忙しくしております。

   ここのところ、毎年10月か11月に開かれる
   高校のクラス会に参加してます。
   会場はいつも幹事役をしてくれるクラスメートの家の貸しスペース。
   しかもその家は酒屋なので
   生ビール飲み放題、
   という好環境。

   高校3年間はクラス替えがなかったので、
   私もそうですが親しいクラスメートとは
   今もよく会ってる人が多く、
   バトン部にいたその幹事も、
   同じクラブのクラスメートと、
   顧問だった1年の時の担任を招いて、
   集まっていたそうです。

   そのうち、どうせこうやって集まるなら、
   クラス全体に声をかけようということになり、
   先生のお誕生祝という名目で
   毎年のクラス会が恒例となったのです。

   で、その時に毎年近況報告をするのですが、
   昨年参加した時に
   私が、実は2月に甲状腺を全摘したという話をしたら、
   がんで手術をしたという人が続々出てきたのには
   驚きました。
   
   まあみんな元気になってるんだからよしですけどね。
   実は親しい友人しか知りませんが、
   やはりこのクラスの一員でもある私の大親友も、
   ここ数年、がんと闘病中で
   入退院を繰り返しており
   気が気ではありません。

   つくづくがん年齢なんだなあと思いました。
   皆さんも気をつけてくださいね。

   とこんな具合に生徒たちはぼろぼろなのに、
   一番元気なのが先生。

   70歳をとうに超えたのに、
   少しふくよかになったくらいで、
   見かけも一番変わってません。

   教職を定年で辞した後もバトン協会の要職を務めたり、
   バトン教室を運営したりで、
   海外も含めてあちこち忙しく飛び回っているパワフルさ。
   日にちを決めるのに一番苦労するのが
   先生のスケジュールと言っても過言ではありません。
   現在でも老眼もないそうです

   私が高校の時にはまっていた頃の宝塚の生徒達とも交流があるし、
   バトン教室の生徒で2人ほど宝塚に入った人もいるとのことで、
   宝塚通いも熱心です。

   私がはまってた当時の先生が今のような状況だったら、
   私も目の色変えてたところですが、
   先生は現役の時はあえて見ないようにしていたとのことですから
   昔から好きは好きだったのかも。
   
   そういえばこんなことがありました。

   授業の中で、夢は何になりたいかという話になって、
   宝塚にはまってた私は、
   夢というなら当然宝塚に入りたい!なわけですが、
   容姿だの素質だのとかいう大問題以前に、
   そもそも身長がない。
   受験すら不可能の、
   努力の余地も許されないレベル。

   そんなわけで、
   さすがに口に出せずに笑ってごまかしていたら、
   クラスメート達の方が「たからづか、たからづか」
   とささやき出したんですね。

   それを聞いた先生、即答。
   「たからづか?無理ね。」
   
   だから、わかってるわい!

   昔からすごくさばさばした先生ですが、
   あまりの即答ぶりにクラス中が爆笑したことを
   今でも時々思い出して笑ってしまうんです。  
   
   この毎年のクラス会は先生がお元気なうちは続けるとのことですが、
   この調子だと一番最後に残るのが先生という気がしてなりません。 




  ◇仕事で銀行に振込に行きました。
   特殊なものなので窓口での手続きです。
   その日は混んでいたせいか、
   慣れない男性行員も窓口応援で出ておりました

   私が振込書類3件とそれぞれに対応した出金伝票を差出すと、
   その人は書類をつけあわせながら言いました。
   「こちらとこちらの金額がピッタンコとなるんですね。」

   一瞬我が耳を疑いました。

   窓口の銀行員の口からピッタンコ。
   今確かにピッタンコ。
   言ったよね、ピッタンコ。

   今度からこの銀行に行くと
   窓口係から
   「ピッタンコお預かりいたしました」
   という言葉が聞けるのではないかと
   楽しみにしております。
   
      
                               (ひとみ)

   (悪いことを考える奴がいて、
    メルマガの返信用アドレスが集められた為、
    対策をしたのでアドレスを変えてほしいと
    まぐまぐさんからお知らせがあり、
    私も変えました。

    今回、発行前のテストメールを送るのに、
    その返信用アドレスに送信してみたらなぜか届きません。
    一時的なものかわかりませんが、
    頂いたメールには時間がかかってもお返事しておりますので、
    もし届かないようでしたら着いてないとご判断ください。

    と書かれてメールをくださる人はいませんけど、
    とりあえず今は調べてる時間がないので
    もしご無礼をしてしまいましたらご容赦ください。)
    
   

   

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   発 行 日本の小粋な和みの暮らし「和・は・は」
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    発行させていただいております。

   
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