「いいとき生まれた!昭和30年代」

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         第117号 いい教師がいい教師になれた



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第117号     


                    2012. 3. 10  


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  またまたお久しぶりです。
  ここのところ、
  こんな挨拶ばかりですみません。
  

  しかしこの冬の寒波ってのは
  もう少し遠慮ってもんがないんかあ!
  と言いたくなります。
  もう3月というのに、
  図々しいったらありゃしない。
 

  でも、雪国の方の苦労を思えば、
  寒いくらいは我慢しなくては。
  あの雪国を悩ますとてつもない大雪を見てると、
  何かこれ、有効活用できないのかなあと思います。
  さらにお金にでもなれば、
  雪国の人の苦労も報われるのにね。 
  
  
  そんな雪国の方には不謹慎な話なのですが、
  雪国以外の地域では、
  子供は雪が降ると間違いなく大喜びするもの。
 

  私もそういう子供でしたが、  
  そんな私の雪の一番の思い出は、
  小学校3年のある雪の日です。
  

  その日は、朝降りだした雪が、
  だんだん積もってきて、
  私たちは授業中も窓の外が気になり、
  ウキウキソワソワ、
  もう授業どころじゃありませんでした。
  
  
  するとそんな様子を察したか、
  先生が夢のようなことを言ってくれました。
  「これからみんなで雪合戦をやろう!」
  その後の私たちの歓声は
  間違いなく学校中に響き渡っていたと思います。
  
  
  他のクラスへの影響を考えたか、
  先生は校庭を抜けると、
  私たちを学校の外へ連れ出しました。
  そして学校の前の文房具屋さんに行き、
  横にあるその家の田んぼのスペースで
  遊ばせてくれないかと頼んでくれて、
  本当にその授業時間を
  雪合戦で楽しんだのです。
  
  
  先生も、
  私たちと同じように、
  いやもしかしたらそれ以上?に
  喜んでやっていた姿が記憶に残っています。
  
  
  この先生、
  以前にもどこかでチラと書いてる先生ですが、
  小学校3,5、6年の時に担任として
  お世話になった恩師です。
  教師になって初めてこのクラスを受け持ったという
  女の先生でした。
  

  私は学生時代を通して、
  教師運は良かったなと感謝してますが、
  中でもこの先生はダントツで、
  小学校時代の先生の思い出といえば、
  ほとんどがこの先生のこと。

  
  新任1年目にして、
  それだけの技量があったなんて、
  すごい教師だったと思います。
  でもね、そんな素晴らしい先生も、
  今だったらその教師の才能を開花できなかったかも
  と最近思うのです。
  
  
  この先生、学校でばかりでなく、
  千葉県内の自分の家にまで
  生徒を招待してくれたこともあります。
  団地暮らしで1度に全員は無理なので、
  3,4回くらいに分けてのご招待。
  そのたびに一緒に、
  子供たちを迎えてくれた旦那さんも
  すごかったと思いますけど。
  

  この団地は、
  東京のベッドタウンの距離でありながら、
  海沿いにあり、潮干狩りもできて、
  当時はとてもいいあさりがとれました。
  ここで潮干狩りをして
  お土産に持って帰ってきた記憶もあるので、
  それがこの時のことだとすると、
  泊まりで招待してくれたのか、
  それともまた別の機会だったのか、
  いずれにしても
  大変な手間です。
  

  その他にも休日を返上して
  アイススケート場へ連れて行ってくれたりとか、
  5年の時に歩行者天国が始まって話題となると、
  さっそく銀座へも、
  連れていってくれました。
  
  
  学校外の時間まで割いて、
  ここまでしてくれる先生、今はなかなかいないでしょう。
  たとえそういう気持ちを持つ先生がいたとしても、
  今はやりにくいってこと、ありそうですよね。
  
  
  授業をやめての雪合戦、
  生徒全員を自分の家へご招待、
  大勢の子供を連れての休日のお出かけ、
  校長とか他の教師、親たちのどこかから、
  授業をやめるとは何事か、
  プライベートで連れ出した子供に
  途中で何かあったらどう責任とるのか、
  一緒に遊びに行かれない子はかわいそう、
  など、今の感覚なら、
  いくらでも苦情の種となりかねない要素が
  含まれてます。
 
  
  もちろん、
  よく遊んでくれたからいい先生というわけでは
  ありませんよ。
  

  生徒の個性もよく捉え
  長所を伸ばし短所を直すように、
  一人一人に対して
  真摯に向き合っていました。
 
 
  あの頃はまだドラえもんはなかったけど、
  ちょうどあのマンガの
  ジャイアンとスネ夫みたいなのが
  クラスにいたんです。
  
  
  ジャイアンは体も大きくて乱暴者、
  スネ夫はひねくれていて意地が悪い。
  二人で男の子をいじめたり
  女の子に意地悪したりで
  よく先生に叱られてました。
  
  
  ある時も、スネ夫が授業中に叱られました。
  

  今思うと、スネ夫には
  家庭の問題のような何かがあって、
  ひねくれてたのかもしれません。
  そんなスネ夫は喧嘩したり、
  叱られたりした時、
  耳まで真っ赤にして
  机につっぷして泣いてることも
  よくありましたが、
  その時は、意外な行動に出ました。
  
  
  先生にこぶしを上げて
  つっかかっていったのです。
  今ならそんなこと、
  珍しくもないのかもしれませんが、
  当時は大人にそこまでやる子は
  あまりいなかったですし、
  先生に対してそんな行動に出たことに
  みんなびっくり。
  
  
  とはいえ、まだ3年生の男の子ですから、
  女の先生でも十分に
  たちうちできます。
  先生はスネ夫の手をつかみ、
  がっちり抱えると、
  そのまま教室の扉へと向かいました。
  
  
  そうして、
  どうなることかと固唾をのんでいる私達に、
  「みんなは自習してて」
  と言い残し、そのまま二人で
  出て行ってしまいました。  


  もちろん、そう言われて
  自習する子はいません。
  スネ夫のおかげで
  授業がなくなったわい、
  とみんな驚きと喜びでがやがや。
  (あー、あのクラスはまたうるさいとか
   思われてたかなあ)
  

  こうして、一人の子のために、
  他の生徒と授業をほったらかしにしてしまった
  わけですが、
  この時の先生は、
  スネ夫を廊下に立ってろと追い出して、
  授業を優先させることより、
  スネ夫の心とじっくり向き合うことを
  選んだのです。
  

  大人になった自分が考えても
  その選択は間違ってなかったと思いますが、  
  これも今なら
  文句が出てきそうじゃありません?
  

  そんな先生ですから、
  ジャイアンに対しても、
  ことあるごとに
  厳しく叱り、話し、聞かせました。


  体の大きさをいいことに弱い者いじめをするのは卑怯者、
  おまえの体が大きいのは、弱い者を守るためなんだ、
  その力をいい方へ使えなんてことも
  言ってましたね。
 
  
  おかげでこの二人、
  卒業するころには、
  元気で明るくひょうきんなスネ夫と
  たのもしいリーダージャイアンに
  すっかり変わってました。
  
  
  昔を知る人間としては
  信じられない出来事でしたけど、
  ジャイアンなんか
  中学行ったら
  生徒会長にまでなっちゃいましたから。
  
  
  人間、いくらでも変われるもんだわ、
  と思ったものです。
  当人も先生には感謝したようで、
  噂では結婚式にも
  先生を呼んだとか。
  
  
  3年生の6月にこの先生のクラスに転校してきた私が、
  すんなりクラスに溶け込めたのも、
  先生のお膳立てがあったからです。
  
  
  それを知ったのは
  毎日帰る前にやっていた
  その日にあった出来事の報告会。
  その日、人によくしてもらったこと、
  悪いことをされたことなどを
  手をあげて発表するという場でした。
  
  
  よい出来事には
  みんなでそれをした人に拍手、
  悪い出来事には
  した人がごめんなさいと謝る。
  
  
  これも先生の考えたホームルームですが、
  私は最近まで、
  これはいいことをする子が増えることを
  狙ってやってたんだろうと思ってました。
  が、よく考えたらそれでは偽善が増える可能性もあるわけで、
  むしろ、
  その日のしこりを残さないことが
  最大の狙いだったのかなと思ってます。
  まあ、その狙いどおり?で、
  発表されるのは、
  悪いことのほうが多かったですけど。
  
  
  そんなある日、
  私も言いました。
  「○○くんは、
   ジャングルジムにいるとき、
   私の手を踏みました」
  
  
  今思うに、
  これわざとじゃなくて
  知らないで踏んでたと思うんですけど。
  当人がびっくりした顔してましたから。
  それでも
  「ごめんなさい」
  と謝ってくれました。
  
  
  するとそばにいた子が
  ぼそっとつぶやきました。
  
  
  「先生が
   転校性はお友達と別れてきて
   さみしいんだから、
   いじめちゃいけないって言ってたのに」
  
  
  小さくつぶやいたその言葉を覚えてるのは、
  子供ながらに感動したんでしょうね。
  初めて受け入れる転校生に対しても、
  こうした地ならしをしておいてくれたのでした。 
  

  それにしても、
  言いつけを素直に守ってくれるみんなにひきかえ、
  ささいなことを発表する私の器の小さいことったら
  ありゃしない。
  このことを思い出すと
  今でも恥ずかしくなります。
 
    
  もちろん肝心の勉強でも熱心でした。

  
  歴史などでは教科書の範囲を超えて
  詳しく教えてくれました。
  たとえば、士農工商を教える際には、
  実はその下に、
  不等に差別される階層もあったこと、
  原爆のところでは
  被爆者の手記を読んでくれたり、
  「原爆を許すまじ」
  という歌を教えてくれました。
  (この歌は今でも覚えてますが、
   この歌詞、
   今回の福島原発事故のことも
   言われてるような気がします。
   下記にメロディー付でありました。
   開くと音がしますので。
   http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo1/genbaku.html)


  こういうことも
  賛否両論わきそうですが、
  教科書の内容からはみだすことで、
  ただの勉強としての知識ではなく、
  人々の営みの話として入るようになっていきます。
  私が日本史好きになったのは、
  こんな先生の授業ゆえだったと思うのです。
  だって小学校でやらなかった世界史には
  全く興味ないんですもん。
  
  
  だから小学校の必修クラブも歴史クラブ。
  顧問もまたこの先生。
  ここでも休日に生徒達をはるばる埼玉の行田
  というところにある古墳まで
  連れて行ってくれてます。
  どこまでも熱心です。


  テストの時に、
  早く終わった子が答案を裏返してから
  空き時間を無為に過ごしているのを見て
  考え出したのは、
  県と県庁所在地を覚えて、
  そういう時に裏に書きなさい
  というもの。
  正しく書いた数で試験とは別枠でしたでしょうが、
  点数をくれました。
  

  書く時間を捻出するためには
  テストを早く終える必要があるから勉強する。
  知識も増える。
  テストの余り時間を遊ばせないですむ。
  一石三鳥です。
  
  
  ある程度みんなが覚えてくると、
  今度は国と首都など
  テーマを変えていきました。


  この時のおかげで、
  まだけっこう覚えていたりします。
  
  
  昼休みを百人一首ブームに変えたのも
  先生。
  ここでもみんな喜んで競うように歌を覚え、
  夢中になってやりました。
  

  こういうことなら苦情もないとは思いますが、
  常識はずれの親がいる時代、
  「テストの空き時間くらい寝させてあげて」
  「テストに出ないことまで覚える時間がもったいない」
  なんて言うのが出現するかしら。
 

  現実に、
  うちの子は塾で忙しいんから、
  学校では寝させておいてという
  馬鹿親がいるらしいですから、
  全くありえない話ではないですね。  
  
  
  転校前の小学校では、
  各学年で5クラスずつあり、
  そのせいかクラス替えも2年ごとでしたが、
  この学校は、同じ東京でも
  1学年で2、3クラスだったせいか、
  クラス替えも低学年から高学年に変わるときだけ。
  私の学年は2クラスだったので、
  変えても実質半分が変わるだけ。
  そのため、
  私のように3、5、6年でお世話になった人も多く、
  先生が初めて受け持ち、
  初めて送り出した卒業生となった子もたくさんいて、
  先生自身の思い入れも大きかったかもしれません。


  卒業式の最後のホームルームで
  言葉を発したとたん泣き出した先生に
  みんなも大泣きしたものです。
  

  その後、ご近所の年下の子を
  受け持ったりしたときも、
  私たちと同じように、
  家にご招待とかしてくれていたようですので、
  相変わらず熱心でいたようです。

  
  教師とは適性がものをいう職業です。
  しかし、どんなに適性があっても、
  それが発揮できない環境であれば、
  ことなかれ教師ばかりに
  なっていくのは当然のこと。


  昔もいいかげんな教師はいたけど、
  今ほど教師がぼろぼろなのは、
  資質の問題の他に、
  いい教師がいい教師に育つことができない社会の風潮も、
  絶対に無視できない要因だと思うのです。


  あの先生も、
  今の世だったら、
  ことあるごとに苦情にさらされ、
  実力を阻害されてたかもしれません。
  
  
  数年前、同じく妹の小学校時代の担任が、
  新しく赴任した学校に行くルートだということで
  我が家の横を自転車通勤するようになりました。
  当時は若かった先生も、
  定年間近となっておりましたが、
  たまたま外にいた母をみかけ、
  声をかけてきたそうです。


  妹のことなど、四方山話をする中で
  こう言っていたそうです。
  「あの頃と今では
   もうまるっきり違います。
   昔は本当によかったですよ。」
  


  
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━    



   ◇中学に入ってから、先生に出した暑中見舞いの返事の中にあった
    一文が忘れられません。
   
    『字がとてもしっかりしてきたのに驚きました。』
   
    ええ、どうせへたくそですよ。
    なーんてことは思いませんで、
    「先生はいつまでも先生であってくれてる」
    と感じたことが強く残り、
    今でも覚えているのです。


    そんな先生と偶然、電車の中で会ったのは、
    私が社会人になってからのこと。
    声をかけてきたのは先生のほうで、
    よくわかったものだと思います。
    (大して変わってなかったんだか)


    そこでそのまま途中下車して、
    食事に行きました。
    私がミュージカルとかが好きで
    今は舞台を見まくっているなんて話などをすると、
    学生の頃、演劇をやっていて、 
    私たちにも毎日屋上や教室で
    演劇の発声練習などをさせていた先生は、
    びっくりしたり喜んだり。


    昔と変わらない話ぶりが
    嬉しかったものです。
   
 
    それ以来、先生には会ってませんが、
    母が近所から漏れ聞いてきた話などでは、
    教師は途中でやめてしまったようです。


    いい教師がいい教師でいられなくなる時代の
    始まりだったのかもしれません。   
   

    今では連絡先もわからなくなってしまい、
    どこでどうされているのか、
    と時々思い出しています。




   ◇3月10日は東京大空襲、11日は東日本大震災、
    多くの命が失われた日が続いてしまいました。
    

    昨年の震災後は
    じっとしてると、
    揺れてなくても揺れてる感覚がして、
    電気の紐で本当に揺れてるのかを確認したり、
    家はもちろんのこと、鉄筋のビルにいても
    風が吹いただけで揺れてる感覚があったりしました。


    私もデリケートだったんだわ、
    と思っていたら、
    どうやらそれは地震酔いというもので、
    長時間、大きな揺れにさらされたことで起きる、
    いわば乗り物酔いと同じことなんだそうです。
    そういえば子供の頃はよく車に酔ったわ。
    しかし、同じような人は多かったようです。
    私も1ヶ月くらいはあったかな。

    
    それでも、
    地震の時の映像は見たくなかったり、
    またあの時刻を迎えるのが怖いような気もします。
        
    
    揺さぶられただけでもそんなですから、
    大津波の被害まで受けた被災地の人の心の傷が
    どれだけ深いものかは、
    はかり知れないです。


    1年たった今、
    震災は忘れてはいけない、
    でもテレビは見たくないという人も
    被災地にはまだたくさんいるのでしょうね。
    
    
                             (ひとみ)   
   



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