「いいとき生まれた!昭和30年代」

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         第116号 停電しても文明的な生活


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        いいとき生まれた!昭和30年代  第116号     


                    2011. 9. 11   


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  ご無沙汰しております。
  この前に出したのは
  震災の2,3日後のこと。
  とてもこんなくだらないもの出してる場合じゃないだろう、
  なんて時でしたが、
  計画停電の話も出てきておりましたので、
  出せるときにと強行してしまいました。
  ですので、しばらくはおとなしくしていようと思い、
  お休みしておりました。
  
  
  なんて言い訳はとおらないだろうなあ。
  
  
  一応、合間を見てはかかってたのですが、
  発行に至らない中途半端で抱えてるもので、
  時節にあった書き直しが必要になってきたりと、
  ただただいじくりまわして早半年。
  
  
  そんなわけで、
  今頃、計画停電の話もなんですが、
  東電管内の方々、影響いかがでしたか。
  
  
  東京23区だけは、
  なんやかやと理屈をつけてエコヒイキされたもので、
  「うちは計画停電がない」
  なんて言おうものなら、
  殴られやしないかと
  冷や冷やしました。
   
  
  というのは冗談ですが、
  実施地域の人はさぞ腹がたったと思います。
  しかし、それよりさらに腹がたっていたのは、
  23区民でありながら、
  停電地域に入ってしまった人たちでしょう。
  停電してるのに、
  誤解を受けてはかないません。

  
  もっとも私も、
  職場は計画停電地域でしたので、
  全く不自由しなかったわけではありません。
  無計画停電と揶揄されたように、
  やるのかやらないのかが直前までわからないため、
  全く予定がたちませんでした。
  自宅と職場の両方が、
  グループの違う計画停電地域になった人などは、
  2倍の不便を強いられて、
  もはや、まともな生活はできなくなってたでしょう。
  
  
  でもあの頃は、
  計画停電どころか、
  被災して、
  ずっと停電の憂き目にあってる人も
  たくさんいましたし、
  被災地の惨状も、
  5分近くも大きな揺れに揺さぶられた後では、
  とても他人事とは思えません。


  怖い思いはしたけど、
  無事だっただけでありがたいではないか、
  ということで、
  人騒がせな騒動も、
  なんとか乗り切りました。
  

  数年前の東京大停電の時と比べ、
  この計画停電は影響が長かったせいか、
  昭和30年代と現在の、
  停電の影響の差をつくづく感じました。
  
  
  もちろん、昭和30年代の頃だって、
  停電すれば不便な思いをしたのは一緒。
  しかし、その影響は、
  なんとかわいいものだったでしょう。
  
  
  まず、電化製品の数が違います。
  しかもそのほとんどが、
  もともとない時代の方が長かった。
  
  
  ですから、それらが停電で使えなくなっても、
  今までのやり方に戻ればいいだけ。
  電気洗濯機  ー たらいと洗濯板。
  電気掃除機  ー 箒とはたき。
  電気炊飯器  ー 炊飯釜。
  という感じに置き換えれば
  すみました。
  
  
  すぐそうなれるのも、
  電化製品に取って代わられたとはいえ、
  それまで活躍していた道具は、
  当時はまだまだ家庭の必需品として、
  どこの家にもあったからです。
  

  テレビや電気冷蔵庫は元からない家もまだあるくらいで、
  使えなくなったからといって、
  困るのは電気冷蔵庫の中の食糧くらい。
  それも、毎日買い物に行ける専業主婦が多かった頃ですから、
  今みたいにたくさん入れてる家も、
  あまりないです。
  夏場に長時間という場合以外なら
  開けなければなんとかなりますし
  近所に氷で冷やす冷蔵庫がある家があれば、
  「うちのに入れとけば。」
  「悪いわね。ではこれだけお願いできる?」
  なんてこともある時代。
   

  冷凍室があるものでも、
  冷凍食品なんてまだ普及してません。
  入ってるのは氷くらいという家がほとんど。
  もしアイス程度があったとしても、 
  停電で保管に困るほどストックしてる家なんて
  ほとんどないですよね。
  
  
  部屋の電気は、
  さすがに困りますが、
  大人は戦時中の灯火管制を経験してるし?
  子供はろうそくや懐中電灯で
  灯りをとるのも、
  これまたけっこう楽しんでたり。
  
  
  まあ、トイレに限っては、
  真剣に電気がついてくれと思ったでしょうね。
  子供は怖いから、
  大人は、
  ぼっとん便所にはまらないために、
  という理由で。
  
  
  不便さは感じつつも、
  当時はまだそんな状態。
  
  
  しかし、
  社会が豊かになるにつれ、
  新しい電化製品はどんどん増えていきます。
  さらにその流れに乗り、
  電動 = 最先端
  手動 = 時代遅れ
  の構図までできました。
  

  こうなってくると、これまでの
  人間の知恵の結集とも言える、
  電気がなくても動かせた道具までもが、
  電動化の洗礼を受けていきました。
  
  
  たとえば、
  昔の床屋とか歯医者などにあった、
  高さを調節できる椅子。
  ペダルを踏んで空気圧で上げ、
  下ろす時には、空気をプシューと抜いて降りてくる。
  よく考えてありましたよ。
  今思うと、省エネですよ。
  もっともこれは踏む側としては、
  電動化は歓迎だったかもしれませんけど。
  
  
  足踏み式のミシン。
  今の感覚で言えば、
  むしろあんな大きなものが、
  電気なしで動いてたのが不思議に思えるくらいです。
  自分の足の動きと連動するので、
  上手な人も下手な人も、
  簡単に自分のペースに合わせられました。
  それは電動ミシンのペダルの踏み込み加減で調節するのとは
  比べ物にならないほど簡単。
  工業用ならともかくも、
  家庭用で使う程度のものに、
  電気代使ってまで、こぞって電動になる必要性があったのか?
  普段はコンパクトになったり、
  机代わりに使えるなど改良すれば、
  大きさの問題も解消できたはず。

  
  我々子供の身近にあったものでは、
  鉛筆削りなんかがそうですね。
  ナイフで削ってましたという時代なら、
  多少、時間の短縮にはなったかもしれませんが、
  手でぐるぐる回す鉛筆削り器から、
  差し込むだけの電動の鉛筆削り器になったからといって、
  電気代かけるほどの労力の差が
  そこに生まれたとは思えません。
  
  
  せいぜい、
  「先生、停電で鉛筆が削れなくて
  宿題できませんでしたあ」って言えるくらい?
  そして、そんな言い訳で
  世の中通るほど甘くないってことを
  学べるくらい?
  
  
  それでもまだその頃は、
  「なんで電気がなくてもできることを、
   わざわざ電気を使わなくてはできないものにするのかなあ」
  と思ったりはしてました。
  
  
  しかし、さらに時代が進むと、
  今度はコンピュータが入ってきて、
  便利な機能が次々付加されるようになっていきます。
  こうなると、
  もはや電動化に疑問を持つ意味は、
  どこにもありません。
  
  
  こうして、
  我々の生活に、
  電気ははびこりまくっていきました。
  
  
  そして現在。
  停電すると
  お風呂も沸かせない、
  電話も使えない、
  煮炊きもできない、
  水道も使えない、
  なんて家は
  いくらでもあります。
  
  
  しかし、昭和30年代に
  そんなことを言ったら
  なにを馬鹿なこと言ってるのと
  大笑いされてしまってたはず。
  
  
  実際、小さかった頃にそんな質問をして、
  大人たちに笑われた私が言うのだから、
  間違いありません。
  「それは大丈夫だよ」の一言に、
  どれだけほっとしたでしょう。
  
  
  こうなると、
  どっちが文明社会なんだか、
  わけがわかりません。
  我々は、
  生活がどんどん便利になったと思ってきたけど、
  実は、逆に不便な生活に向かっていたのでは?
  
  
  少なくともこのたびの停電では、
  高級な高層マンションで、
  現代の最先端の生活をしている人ほど
  不便な生活になり、
  昭和30年代の最先端の生活だった、
  バランス釜のガス風呂や黒電話で生活している人のほうが、
  生活への支障がぐっと少なかったはずです。
  
  
  これはひょっとして、
  原発推進の陰謀にはめられてきた?
  増え続ける消費電力をまかなうために、
  原発を作ってきたのではなく、
  原発を作りたいために、
  電力を消費しまくる社会に仕向けられていたとか?
  原発で電力をじゃんじゃん作り、
  じゃんじゃん使わせて儲けよう!
  そして電力会社も関連団体も
  天下り官僚も政治家もウハウハ?
 
  
  だいたい、節電を謳う一方で、
  オール電化住宅を推進するのも矛盾してます。
  省エネ技術がそれだけ進んだのかと思ってたら、
  とんでもない。
  東電管内では、このオール電化住宅の普及により、
  3年間に原発2基分の電力消費が増えた可能性があるそうで。
  こうなると、ますます怪しい。
  
  
  こうして、
  原爆を2度も落とされた地震国に、
  国と電力会社がつるんで、
  札束で地方自治体の頬をはたきながら、
  嬉々として原発を乱立させてったのか。
  そして、高給をむさぼり、
  その高給に比例する責任だけはすっかり放棄。
  そのツケで、原発を自爆させ、
  原爆をはるかに超える放射能汚染をばらまいて
  土地も海も産業も、
  住民の人生と生活も、
  日本ブランドの信用も
  すべてぶち壊してしまった…なんて、
  全く馬鹿丸出しではないの。
  
  
  しかもよほど学習能力がないとみえて、
  この期に及んでも
  まだ原発にしがみつきたがる。
  原発収束の知恵も技術も持ち合わせず、
  始末一つできないくせに言えることではない、
  程度のことは気がついてよ。
  

  と思うのですが、反省どころか、
  これだけ取り返しのつかないことをしても、
  自分たちは賞与までしっかり確保して、
  多大な賠償は国民に負担させるつもりと来た。
  さすが、絶対損はしない制度で守られてきただけのことはある。
  見事な腐りよう。
 

  まるで、
  お菓子を食べ過ぎてお腹を壊したのに、
  まだ食べたがり、
  そのくせ、垂れ流しの尻拭いだけは、
  人にやってもらわないとできない子供。
  食べたい一心で
  お腹の痛みを無視し続けてるから、
  ますます悪くなっていくわけだ。
  ここまでくると滑稽そのもの。

  
  あ、いけない。
  また話がどんどんそれていく。
  でも、腹がたつから
  もう少しだけ言わせてください。
  

  よく、国民も原発の恩恵を受けてきたのだから
  というようなことを言いますが、
  国民は、発電方法も電力会社も選べる仕組みには
  なってません。
  勝手に原発は安心安全と推進してきて、
  事故が起きたら、
  使ってたお前らにも責任がある、では、
  悪徳商法と何ら変わりはないことになります。
  
  
  最初私は思ってたんですよ。
  散々、安心安全と言ってきたのだから、
  放射能だけはなんとか数日でくい止める技術があるだろうと。
  汚染が広がるようなことだけは、
  避けてくれるだろうと。
  
  
  ああ、信じた私が馬鹿だった。
  半年たっても、ダダ漏れ状態。
  発表は二転三転、
  計算させりゃ間違いばかり。
  危険な作業は下請けに押し付け、
  調査資料を出させりゃ、黒塗りで隠ぺい。
  これまでの仕事ぶりは推して知るべし。
 
  
  ほんと、独占企業は百害あって一利なし。
  さっさと自由化して、
  企業努力の花盛りにしましょう。
 
  
  一方、学習能力のある大多数の国民は、
  原発反対と節電意識に目覚め、
  この夏は、
  よしずにすだれに扇子にうちわ、
  風鈴、打ち水、緑のカーテンなどなど、
  懐かしいものがあふれました。
  クーラーより消費電力の少ない扇風機もばか売れ。

  
  店などの照明が一部消されていても、
  全然不自由を感じないことにも気がつき、
  むしろ今まで、どれだけ無駄な電気をつけていたかと
  思うほど。


  でも、ここでも公共の節電はなんか変でした。
  電力不足の心配はない夜間に、
  節電だからと街灯の間引きをする必要性があったのでしょうか。
  事故や事件が増えるのは最初から予測されたことで、
  本来なら、優先すべき電気のはずですけどねえ。


  ともかくも、ちょっと節電を意識しただけで、
  当事者の東電管内では、電力不足どころか、
  東北電力に融通する余裕すらできました。
 
  
  電気がないと
  社会も生活も成り立たない時代だけど、
  使わないでもすむ電気は使わない、
  電気を使わずにできることを増やす、
  それだけでも、
  だいぶ違ってくることを、
  私たちは夏の節電で知りました。
  

  少しだけ無駄を見直せば、
  普通に生活できるのです。
  それも、昭和30年代と比べれば、
  ずっと贅沢な生活です。
  
  
  昭和30年代に戻すのは、
  生活レベルではなく、消費電力ですよ。
  ですから、推進するのは原発技術ではなく、
  より電気を使わないですむ省エネ技術。
  充電池もソーラーで充電が主流とか。
  また、昔の道具を復活させたり、
  時代に合うものに改良開発したりして、
  電気を使わなくてもできるということが、
  売りになるとか。
  

  昔と逆に
  電動 = 時代遅れ
  手動 = 最先端
  の技術が生まれてきても
  いいと思いますけど。
  

  こうして最終的には、
  自然エネルギーの発電量だけで充分まかなえる社会が実現。
  発電効率を高める研究も進めていけば、
  さらに安心。
  地球にも家計にも優しく、
  さすが、被爆国だけに思い切った素晴らしい舵きりをしたと
  世界から尊敬、賞賛され、技術国の名誉も守れる。
  

  逆に今までと同じに戻れば、
  大したことない国と思われるだけ。
  この災害をプラスに転化して、
  損失はしっかり取り戻さねば。
  

  電力会社は儲けが少なくなるけど、
  なればこそ、
  独占企業である理由がたつではないの。
  もっとも、今までを見れば、
  そうなったらなったで、
  べらぼうに高い電気料金にするくらいは
  平気でやりそうだけど。
  

  やっぱり自由化かな。
  放射能汚染では、
  今も無用の悲劇や騒動や問題が
  次々引き起こされてるし、
  今後も長期にわたって出てくることでしょう。
  こんな大きな代償がついてまわる事故を起こされるのも、
  もうこりごりだしね。
  
  
  この事故を人災でないと言うなら、
  それこそ「原発はやめなさい」
  という天の声に他ならないと私は思いますよ。
       
  
  
  
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━    

  
  ◇震災から今日で半年。
   生活には被害がなかった私も、
   震災後は普段からアナログだった部分に、
   非常に助けられました。
   私の職場は4階にあるのですが、
   いつも健康のために、
   階段を使っていたのです。


   地震の後、
   エレベーターのところに、
   閉じ込められる恐れがあるので使わないように、
   という張り紙が出たのですが、
   お陰さまで、私には全く影響のないことでした。
   この時ほど、普段から階段使ってて良かったと
   思ったことはありません。

   
   ちなみにこの張り紙、
   まだ余震の続く今でも張ってあり、
   乗る人に、
   「乗るなら自己責任だからね、覚悟して乗ってよね」
   というニュアンスをぷんぷんまき散らしておりますが、
   半年もたつと、
   やはり階段を使う人は減りましたね。

   
   一方、半年たっても当時のままなのは東北の復興状況。
   加えて、長野の震災や新潟福島の豪雨被害はどうなりました?
   さらにどじょう首相になったら早々に
   今度は紀伊半島が水と泥まみれになってしまう惨状。
   こちらも放ってはおけません。
   さらにはどじょう内閣自身にも、
   さっそく泥がとんだよう。
   もしかしたら、
   人の受け売りのどじょうなど、
   持ち出さないほうが
   良かったかも。
      
  
  
  ◇電気の話で思い出しました。
   親戚が集まった時のこと。
   狭い家ですから、ちょっと人が増えると
   食事をする場所を確保するのが大変。
   そこで姪や甥たち3人は、
   別の部屋で食べさせることになりました。
  

   そちらの部屋にテーブルを出すため、
   3人に手伝わせて、
   部屋の電気をつけました。
   そのとたん、
   3人が顔を見合わせて何やら嬉しそう。
  

   どうしたのかと思ったら、
   口々に「昭和だ、昭和だ」
  

   その時はそこの部屋に
   電球色の電気がついていて、
   その光を昭和レトロと感じたらしいのです。
  
  
   そうか、今の若者にとっては、
   白熱球みたいなこの光は
   昭和のイメージなのか。


   その感覚が意外というか、新鮮というか
   驚きだったもので、  
   大事なことを彼らに言い忘れてしまいました。
   「言っておくが、
    昭和と言っても、
    昭和30年代には
    すでに電気は蛍光灯が主流だから。
    ソケットにあるつまみで電気をつけたり消したりするような灯りも
    珍しかったし。」
    あ、そんなのは元から知らないか。
  
                           (ひとみ)




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