「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第113号 持ち帰りもお届けもあった給食



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第113号     


                    2010. 5. 30   


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  お久しぶりです。
  またまた大変ご無沙汰してしまって、
  申し訳ございません
  
  
  理由は4つ
  その1 
   何度も言い訳のように繰り返しておりますが、
   時間がなかなかとれなくなった。
  
  その2 
   そこで、細切れ時間に
   少しずつ書くようにしてるのですが、
   のってきたころに時間切れなど、
   集中できないのでなかなか進まない。
  
  その3 
   しかも、書く時間が分散すると、
   取り上げようとするテーマが、
   その時の気分で次々変わってしまい、
   やっぱりこっちにしよう、いやあっちにしようと、
   浮気ばかりしてしまって、
   さらに収拾つかないはめに。
  
  その4 
   ならば、睡眠時間を削っても落ち着いて、
   という根性は絶対にない。   
  
  あれ?
  その1以外は私が原因か。
  
  
  皆様、今までの話はすべて忘れてくださいまし。
  
  
  さて、今回の話にまいりましょう!
  
  
  姪2人が卒業した公立中学では、
  給食は2種類のメニューから選べるように
  なっていたそうです。
  なんとまあ、贅沢な。
  一方で、甥が卒業した公立中学は、
  今の時代でも、給食そのものがなかったそうです。
  なんとまあ、手抜きな。
  
  
  姪たちは千葉、甥は神奈川県内の、
  どちらも東京近郊の市ですが、
  自治体によって、
  ずいぶん違うものですね。
  
  
  さらに驚くことには
  姪たちが出た中学では、
  給食にびわが出るらしいのです。
  千葉には、房州びわという特産品がありますから、
  そのせいかもしれませんが、
  自分の頃の給食にはありえませんでした。
  
  
  でも、姪は、
  「びわが出る時は、
   皮をむくのに時間がかかって面倒なんだよ」
  と贅沢なことを言ってたので、
  「なら、持って帰って、
   家でゆっくり食べればいいじゃない」
  と言ったら、
  なんと、
  給食で出たものは持ち帰ってはいけないのだそうで、
  これまたびっくりしました。
  
  
  皆さんのお子さんの学校でも、
  そうなのでしょうか。
  いつからそうなったの?
  食中毒を心配して?
  しかし、それでは、
  食べ物を無駄にすることを
  強制してるようなものではないかいな。
  
  
  私達の頃は、
  持って帰れるものは、
  持って帰るのが当然のことでしたよね。


  休んだ子の分だって、
  近所の子に託して届けるほど、
  徹底されてました。  
  といっても、おかずや牛乳などは無理なので、
  届けられるのはパン程度ですが、
  (マーガリンやジャムなど、
  パンにつけるものも一緒だったかな。)
  でもたとえそれだけでも、
  届けさせませした。
  
  
  もちろん、
  その他に持っていかれそうなものがあれば、
  それも託されます。
  そうやって、
  持っていかれそうなものを、
  先生がわら半紙(そういえば久しくお目にかかってない)
  にくるみ、
  家が近いクラスメートに頼んだもの。
 
   
  食べ物を無駄にしない姿勢が
  当たり前にあったと思います。
  
  
  とはいうものの、
  正直言ってこの給食の食パン、
  まずかったですわ。
  よく、まずい給食の代表として
  引き合いに出されるのは、
  脱脂粉乳ですが、
  私の場合は、なんといっても、
  この食パンです。
  
  
  そもそも私は、
  脱脂粉乳との付き合いは
  短かったんです。
  というのも、夏は牛乳で、
  脱脂粉乳は寒い時期だけのもの。
  しかも3年生の6月には、
  引越しで転校、
  転校先の学校では、
  冬でも冷たい牛乳でしたので、
  実質、小学校2年生までの2シーズンだけでした。
  

  まあ、冬でも冷たい牛乳というのは、
  それはそれで
  つらいものがありましたけど。
  
  
  そういうわけで、
  もしかしたら、あれが脱脂粉乳だったのかなあ、
  程度の印象しか残っていません。
  しかも、言われるほどまずかった記憶もないので、
  あれは脱脂粉乳ではなかったのかも、
  という気さえしています。
  
  
  でも食パンは、
  小学校、中学校の9年間、
  じっくりつき合わさせていただきました。
  忘れるわけにはまいりません。
  
  
  ぼそぼそパサパサの食パン。
  焼いてごまかすこともできない。
  冬など、そのパンに、
  冷えて溶けないマーガリンをこすりつける。
  マーガリンが溶けるのが先か、
  パンがぼろぼろになって穴が開くのが先か、
  私があきらめるのが先か、
  三者三つ巴の根比べ。
  冬はストーブで焼いている子もいましたが、
  私は人より食べるのが遅いので、
  そんな余裕もありません。


  何せ、小学校で給食を食べるようになって、
  不思議で不思議でならなかったのは、
  私が食パン1枚を食べる間に、
  なぜかみんなは2枚を食べ終わっている、
  ということだったんです。
  私にしてみれば、
  幼稚園時代はそんなことはなかったので、
  何でだろうとずっと思ってました。


  ところが、この間、母から衝撃の事実を聞かされました。
  以前幼稚園バス騒動の話のときに書きましたが、
  私は3年保育のため、3歳で幼稚園に入りました。
  入園して間もなくの頃、
  母が何かの用事があって幼稚園に来ました。
  ちょうど子供たちがお弁当を食べ終わって外で遊ぶ時間。
  先生たちはその間に、
  部屋の掃除をするので、
  そのために机が隅に寄せられておりました。
  が、ふと見ると、
  反対側の隅にぽつんと取り残された机が一つ。
  見ればそこには、
  一人残っても、
  まだゆうゆうのうのうと食べ続けている我が子が。
  もう、あきれるやら、おかしいやら、
  ということがあったらしいです。
  「道理で園庭を見渡しても
   あんたらしき子がいないなあと思ったわけよ。」
  さようですか。
  
  
  でも、私自身は幼稚園時代、
  みんなと同じに、
  普通に食べて、普通に遊んでいた記憶しかないですから、
  一応、年少クラスのうちには、
  追いつけるようになってたはずです。
 

  それが小学校に入り、
  再び遅れをとるようになったのは、
  このぼそぼそパンのせいではないかと、
  多分無実であろう罪をかぶせております。
  だって今でも私、食べるのは、
  そう早い方でもありませんから。


  とはいえ、学校では、幼稚園の時みたいに、
  いつまでもゆうゆうのうのうと
  食べてはいられません。
  そこで私なりに考えました。
  そうだ、2枚を一緒に食べればいいんだ!と。
  しかしその結果、
  ぼそぼそパンの味も2倍、2倍。
  それを急いで食べるとなると、
  これはもう苦行の世界に近づいてまいります。
  
  
  ということで、
  その方法で頑張って食べた時期もありましたが、
  結局1枚はふきんにくるんで持って帰るのが、
  習慣になっていきました。
  
  
  給食の人気メニューといえば、
  揚げパンやソフト麺ですが、
  この人気の高さには、
  ふだんの食パンのまずさも、
  大いに貢献していると思っています。
 

  わら半紙にガリ版刷りの、
  今月の給食メニューが配られると、
  揚げパンとソフト麺の日はもちろんですが、
  パンが食パンでない日もチェックしたもんです。
  
  
  特にごはん党というわけでもありませんでしたが、
  ごはんの給食のほうがいいのに、
  と何度思ったことか。  
  今はごはん給食も普通のようですが、
  遡って母の時代だって、給食はごはんです。
  (もっとも母の時代は、おかずは自分持ちだったようです。)
  そのハザマの、
  ちょうど、まずいパン時代に当たってしまって、
  こればかりは残念。
  それでも昭和40年代の学校でしたから、
  もっと上の世代よりは少しはましになってたのでしょうか。
  
  
  もともとごはん給食だったものが、
  戦後、パン給食に変わったのは、
  小麦粉を売りつけたいアメリカの言いなりになったため。
  でも、あのまずさから言って、
  大した品質ではないものを売りつけてたに違いありません。
  

  その結果、食生活も変化し、
  米離れ、米余りを招き、
  お金を出して米を作らせないという、
  馬鹿らしい税金の使い方をして、
  農業を衰退させる事態に。
  あわれ、かつては農業国だった国が、
  今や食糧自給率40%という
  とんでもない状態。
  食生活の洋風化で、
  病人も増えた。


  自国の利益のために、
  他国の食習慣にまで立ち入るとは、
  アメリカのすることは、
  やはりいつも勝手で横暴。
  もっとも、
  言いなりになる日本も日本。
  それに、これは私の想像ですが、
  パンを作る側も、
  どうせ子供が食べるもの、
  予算をなるべくかけずに大量生産するもの、
  程度の認識だったかもしれません。
 
  
  ともかく、その結果、
  私は給食にまずいパンを
  食べるはめになったのよ。
  どうしてくれる。
  あ、結局はただの個人的な恨みか。
  
  
  でも、そのパンだけは、
  休んでも必ず家までやってくる。
  
  
  こうして子供たちは、
  世の理不尽さを学び、
  いや、違った、
  食べ物を大事にする姿勢を
  当たり前のこととして受け入れていくのでありました。
  
  
  と書くと
  今の子供から言われそうです。
  「でもおばさん、いや、成長したお姉さん、
   そのわりには、
   まずいと文句言ってるし、
   持って帰っても、食べないんじゃないの?」
  
  
  おっしゃるとおり。
  しかし諸君!なのです。
  持って帰るのと帰らないのとでは、
  大違いなんですぞ。
  
  
  一応、
  家まで持って帰る時には、
  食べるかもしれないという思いがあるのです。
  結局は食べなくても、
  食べ物として、
  ふきんにくるんでランドセルに入れて、
  持って帰る。
  だから、持って帰ってすぐ捨てるということは、
  絶対にしません。


  「でも、おばさん、
   いや年がたくさんあるお姉さん、
   遅かれ早かれ、
   結局捨てるなら一緒でしょ。」


  いえ、それも大違いです。
  学校で残してくる場合は、
  容器に戻す形になります。
  それが、ゴミと確定させる行為となります。
  もちろん、食べ物を粗末にしているのですが、
  ゴミとして捨てる感覚は、
  こちらのほうは、
  漠然としたものにしかなりません。
  だから、ためらいも少ないわけです。
  
   
  それが、家に持ってくると、
  まずいパン1枚でも、
  なかなか自分では捨てられなくなるのです。
  持ち帰れないおかずなどを残して来る場合とは、
  明らかに違っていました。
  それだけ、捨てる罪悪感は違いました。      
  
  
  さらに、学校では、
  あとの処理も、
  自動的に給食のおばさんや、
  業者が処分します。
  もしかしたら、
  きちんと残飯リサイクルされて、
  有効活用されてたかもしれません。
  それなら安心ですが、
  一方でこの安心は曲者でもあります。
  

  だって、なお罪悪感が、
  薄らぐことになるではないですか。  
  もし実際そうされていて、
  それを生徒たちも知っていたとしたら、
  どうせリサイクルされるからと
  もっと食べ残しが増えてたかもしれません。  
  

  しかし、持って帰る場合は、
  処分も自分の責任になります。
  だからこそ、
  そこに、葛藤が生まれてきます。
  いずれ食べるさという感覚で、
  置いておくことになるのは、
  そのせいもあるかもしれません。


  でも家族も、給食のパンは食べませんでした。
  やはりそれだけまずかったのでしょうね。  
  母は、時々パン粉にしてましたが、
  パン粉だけでは、
  使い切れませんから、
  やはり捨てることもあったでしょう。


  あったでしょうというのは、
  結局、その処分はすっかり母任せにして、
  自分で手を汚すことをしなかったからです。   
  それだけ、良心の呵責を感じていたのです。
  
  
  食べ物として、
  持って帰る手間をかけ、
  捨てる痛みを予感する。
  無意識のうちに、
  それを感じていた。

  
  食糧難でもない時代に生まれ育った自分が、
  年を重ねるほど、
  戦争を知っている親たちより、
  食べ物を捨てるのを極端に嫌うようになったのは、
  もしかしたら、
  この日々の積み重ねで、
  罪悪感が大きなものになっていったのかもしれません。
  もったいないことしてたなあ、という思いは、
  むしろ今のほうが、さらに大きくなっていますし。

   
  昔の学校が、
  なるべく持ち帰らせていたのは、
  食べ物をできるだけ無駄にしない為とは思いますが、
  そういう面もあったことに、
  今更ながら気がついてます。
  

  そうなると、
  無駄にしてしまったことが、
  無駄にはならない形となって残ってくれたと言えるのかなあ。
    
 
  でも、手をつけてなくても、
  残飯として処理してしまう社会より、
  休んだ子の分まで届けさせるほど、
  食べ物として扱った時代のほうが、
  やはりまっとうな気がしませんか。
  
  
  「食べ物を粗末にしない」
  という原点に根付いた習慣を、
  合理的な観点だけで、
  あっさりなくしてしまっていいのでしょうか。
  
  
  社会でも、
  持ち帰りを推奨する方向になってきているのですから、
  給食の持ち帰りも、
  認めるべきではないかなあ。
  せめても、
  すべての自治体が、持ち帰りを禁止しているわけではないことを、
  願うばかりです。



  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  
    
  
  ◇食べ物といえば、
   宮崎では、食肉用の牛さんや豚さんが、
   とんだ災難に巻き込まれてますね。
   いずれ、食肉として殺される運命にあるとはいえ、
   こんなことで殺されてしまうのは、
   酪農家ならずとも無念だと思います。
  
  
   ある酪農家の言葉として、
   食肉にするために出す時には何も感じないが
   こんな殺され方は嫌だという話がありました。
  
  
   この言葉は、
   金になれば何も感じないけど、
   金にならないで殺されてしまうのは嫌だ、
   という見方もできますが、
   もちろんそうではありませんよね。
  
  
   手塩にかけて育てた動物を、
   殺して肉にするために出荷するなんてことは、
   ビジネスライクで見なくては、
   とてもやってられない仕事です。
   そのビジネスを離れて見なくてはならないからこそ、
   殺されていく動物たちに対して、
   悲痛な思いががわいてきてしまって、
   辛くていたたまれない。
  
  
   だからこそ、
   処分が遅れてエサ代がかさんでも、
   やがて無為に殺されるだけの動物に、
   むしろ腹いっぱい食べさせてやりたいと言って、
   餌を与え続ける。
  
  
   こういう時、
   どうせ殺すのだから、
   餓死してもいいじゃないかとは
   誰も考えないし、
   できるものでもありません。
   人間の心って合理的にはできてないからこそ、
   価値があるんですよ。
   人間の心があることって、
   本当に素晴らしいことなんだなと、
   つくづく思いました。
  
   
   一方で、一例でも発生すれば、
   万単位で皆殺しという、
   乱暴な対策がとられるのは
   合理的な方法が優先されるため。
   鳥インフルエンザの時でもそうですが、
   大量虐殺でこれまで犠牲になった数は、
   いったいどれほどになるのでしょう。
  

   抵抗力が強くて、
   感染しない動物もいるわけだから、
   皆殺しばかりではなくて、
   そういう遺伝子を選別する機会という一面もあるのでは?
   そんな悠長なことを言ってたら、
   ますます広がってしまうのでしょうが、
   それにしても、
   発生のたびに、
   こんなかわいそうなことを繰り返さなくてもいい対策、
   何とかできないかなあと思います。
  

   しかも、これほど多大な命を犠牲にしてまで、
   人間が守ろうとしているのは、
   あくまでも、
   人間が食べるための命なんですから。

   
   今回は、割と
   殺されていく動物の哀れさも報道されてるほうですが、
   それは、食肉として殺されていく場合だって同じ。
   そんな動物、植物の命の犠牲の上に
   生かさせてもらってることに、
   改めて感謝しないといけませんね。
   簡単に食べ物を捨てることなど
   本当に、許されないことです。
   

  

  ◇私は、銀行で待っている時、
   雑誌などを読んでいると、
   呼ばれても気がつかない心配があるので、
   読まないことにしています。
   (もっとも、読んでいなくても、
    逆にぼーっとしすぎていて気がつくのが遅れる、
    ってこともあるんですけど。)


   でもその日は、
   なぜか週刊誌を手にとる気になり、
   自然に手がのびてました。
   何気なく開くと、
   生年月日による、
   宝くじを買うのに当たりやすい日時の記事。
   見ると、なんとまさにその日のその時間帯が、
   私の当たりやすい時ではないですか。


   こ、これは神の啓示か?
   そういえば、今日は父の月命日でもある。
   父の教えか?
   と一人で盛り上がって、
   「よし買うぞ」


   でもね、
   よくよく考えてみたら、
   その周辺には、
   肝心の宝くじ売り場がないんですわ。
   仕事中だったもので、
   宝くじ売り場を求めて、
   さすらいの旅に出るわけにもいかない。
   掴んだと思った金運は、あっけなく崩壊。
   いや待てよ、金運があったから、
   衝動的に無駄金使ってしまうのを防げたんだわ、きっと。
   どうせ天下り役人の、
   高額報酬に消えるだけだったかもしれないのだから。


   そういえば、その宝くじ協会の事業仕分けでは、
   官僚出身の鹿児島県知事による
   感覚ずれまくりの
   トンチンカンな発言連発がすごかったですね。
   腹たつのを通り越して、
   笑えてきましたわ。


   報酬が高い理由を聞かれた時に、
   自信たっぷりにおっしゃった、
   「それは簡単です。人数が少ないからです!」
   にいたっては、
   あちゃー、そこまでやっちゃいましたね、
   って感じで。


   人数が少なくて、
   仕事が大変だから高額報酬という意味にとっても、
   人数が少ないから、
   分け前が多いという意味にとっても、
   全く理由にならないおかしな話になることに、
   気がついてらっしゃらない。
 

   おかげで、
   官僚の頭が、
   公金を使うのは自分たちの特権と勘違いしてること、
   予算消化思考で構成されていることは、
   よーく見えました。
   天下りや癒着がはびこり、
   無駄遣いも減らないわけだわ。


   このずれまくり度で、
   今年の流行語大賞候補になることは確実かも。
   まあそうならなくても、とりあえず私が
   今年の「ああ大きな勘違いズレまくり大賞」を
   差し上げましょう。
   あ、鳩山さんと争うことになるかもしれませんけど。
   いや、あっちは「ブレまくり大将」か。
   
  
   ともかく、天下りを潤す金がそんなにあるなら、
   もっと宝くじの当選確率を上げて還元すべきでしょ。
   金返せー!


   あ、でも私って、
   宝くじ、買ったことなかったんだっけ。


   撤収!

                           (ひとみ)

 
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