「いいとき生まれた!昭和30年代」

メールマガジンバックナンバー



 第107号 核家族でも安心子育て


  
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        いいとき生まれた!昭和30年代  第107号     


                    2009. 6. 26   


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  核家族化が進み、
  最近の若い母親には、
  周りに相談できる人がいないという悩みがあるようですね。
  対策に乗り出す行政もあります。
 

  人間関係の希薄化もあるようですが、
  この点に関しては、
  若い母親のほうにも、責任の一端はあると思います。
  今の母親は、昔の母親に比べると、
  近所の年代の違う母親世代との交流に積極的ではない人が
  多い気がします。

  
  昭和30年代だって、
  すでに核家族が増えてましたが、
  こういう問題がおきだしたのは、
  比較的新しいことです。

  
  昔の若い母親たちは、
  当たり前に、先輩の母親たちに歩み寄る姿勢があり、
  年代の違う母親たちとも、
  積極的に交流していませんでしたか。


  我が家の母も、そんなもんでした。
  核家族で、しかも親も遠方とあらば、
  子育てを助けてもらえる人などいません。
  しかし、都営住宅時代の当時、
  ご近所で一番若かった母は、
  他の年代の母親たちに
  どれほど助けられて子育てをしていたでしょう。
  おばあちゃん世代から、姉世代まで、
  相談相手、手を貸してくれる相手にはことかきませんでした。
  
  
  これは別に、母が、
  持ち前のちゃっかり精神を生かしてたわけではありません。
  当たり前のごとく交流し、
  どこそこのおばあさんがこう教えてくれた、
  どこそこの奥さんがこうしてくれた、という具合に、
  積極的に先輩のアドバイスや指導を仕入れてたものです。
  そしてその結果、子供はこのように、
  大変いい人間に育ったわけです。
  (どなたですか。
   ここで、一気に説得力がなくなったとおっしゃる方は。)
  
  
  だからこそ、当時は、
  近所はもちろん、行きずりの先輩母親たちからも、
  アドバイスを受けられる社会環境、
  子育てを手助けしてもらうコミュニケーションが、
  あったのではないでしょうか。
  
  
  初期の頃のこのメルマガを読み返してもわかるとおり、
  私が、近所総出の手を借りて育ってきているのは確か。
  そのことは、子供だった私にも、
  ありがたい思い出になるわけで、
  子供の情操教育としても、
  いい結果を生むことになりますよね。
  
  
  なんて書いてたら、
  お隣のおばちゃんのことを思い出してきましたので、
  今日はひさびさに個人的な話をしましょうか。
  お隣のおばちゃんの話も、ひさびさですしね。
  
  
  いつだったか、
  子供の前で、
  「子供は嫌い」と話している女性がいて、
  当時子供だった私が
  聞こえてないふりをしながら、
  「自分だって子供だったくせに」と思ったという話をしましたが、
  母より11歳年上で、
  立派な子育てを果たしていた
  おとなりのおばちゃんは、
  やはり違います。
  
  
  ある日、母とおばちゃんが、
  玄関先に座って、おしゃべりしてました。
  私は、脇の部屋で遊んでいたのですが、
  何やら、母が深刻な話をしだしたのです。
  真剣になって聞いていたおばちゃんでしたが、
  突然、はっと気づいたように、
  声をひそめて母に言いました。
  
  
  「ちょっとあんた、子供のそばでそんな話をしちゃだめよ。
   子供って聞いていないようで聞いてるんだから。」
  
  
  遊びに夢中になってる風を装いながら、
  実は耳ダンボになってた私。
  おばちゃんの鋭さにびっくらこいて、
  平静を装うのに大変でしたわ〜。
  おかげで、おばちゃんのこの一言は、
  今でもよく覚えてますが、
  肝心の深刻な話の中身は、
  きれいさっぱり忘れてしまいました〜!
  さすが、おばちゃんの技は、
  奥が深い。
  
  
  これも情操教育に一役かいましたかね?
  
  
  さらに私の記憶にはないほど、
  小さい時の話。
  母とおばちゃんが、
  またまた、うちで世間話をしていると、
  幼馴染のMちゃんの家に遊びに行っていた私が、
  帰ってきました。
  そして、突然茶だんすの前に座ると、
  茶だんすに向かって、
  何やらぶつぶつと言い出したそうです。
  
  
  わけがわからず、
  きょとんとしている母に対して、
  おばちゃんは、
  すぐぴんときて、母に耳打ちしました。
  Mちゃんのお母さんが、
  ある宗教を熱心に信仰していて、
  仏壇をよく拝んでいるので、
  その真似をして、つぶやいているのだろうと。
  
  
  それで謎がとけた母は大笑いだったそうですが、
  その話をした時に、
  めったにそんなことを言わない母が珍しく、
  「その時の、
   あんたのちょこんと座った小さな足の裏が、
   もうかわいくてね〜。忘れられない!」
  なんて、親ばかなことを言ったのは、
  「馬鹿な子ほどかわいい」という心理が、
  強力に作用したせいでしょう。
  それでも、足の裏しかほめられないのか、
  ということは、さておくとして。
  
  
  しかし、
  この世に生まれて、
  初めて拝んだのが茶だんすという人生。
  道理で、ちょっとずれてるわけね。
  
  
  でも、この場にもしおばちゃんがいなかったら、
  私は「馬鹿な子ほどかわいい」ではなく、
  「馬鹿な子でかわいそう」と思われてしまうところでした。
  
  
  普段でもこんな感じで、
  母にとって、お隣のおばちゃんは、
  年の離れた姉のように、
  ともかく頼りになる存在。
  
  
  ですから、おばちゃんに民謡を習おうと誘われた時にも、
  喜んで一緒に習いに行ってました。
  
  
  それまでの私は、
  民謡といえば、
  盆踊りの時の炭坑節か東京音頭しか知らなかったのに、
  「八戸小唄」という子供にはずっとマイナーな曲を、
  早くから覚えたのは、
  ひとえにこのせいです。
  
     唄に夜明けた かもめの港
     船は出てゆく 南へ北へ (ハァ ヨーイヤサ)
     鮫のみさきは 潮けむり
  
  歌詞だけだと普通の民謡ですが、
  この唄、
  前奏や間奏の囃子言葉で、
  「つるさん、かめさん」を繰り返すんですよね。
  なぜに漁港に、
  突然つるさんとかめさんが登場するのか、
  今でも不思議に思ってますが、
  子供だった身には、これがおもしろく、
  受けたのが運のつき。
  
  
  気をよくした母が、
  この唄を練習する時に、
  子供たち三人を前に並べて教えました。
  で、この唄だけはよく覚えているのです。
  唯一親子で覚えた民謡として、
  思い出の曲です。
  
  
  というと、ほのぼのする気がしますけど、
  私が若い頃、
  嫌いな音楽のジャンルに、
  民謡が入っていたのは、
  この時期に、母の歌う民謡をさんざん聞かされたことが、
  暗い影を落としていると思うんですけど。
  
  
  二人が飽きるまで、
  どのくらい習ったかは覚えてませんが、
  おばちゃんが間接的に与える情操教育は、
  いつも奥が深いです。
  だって、今は民謡ものどかでいいなあと、
  しみじみと思えるのは、
  民謡と聞くだけで、
  拒否反応をおこしていた時代を経たからこそ、
  かえってわかる良さ、
  という気がしてならないからです。
  
   
  もっとも、おばちゃんと言っても、
  今考えれば、
  当時のおばちゃんは、
  今の私よりずっとずっと若い年だったんですけどね。
  
  
  世代を超えた交流は、
  母親にとっては手助けになり、
  子供にとっても、
  子供時代の人間関係が豊かになること。
  
  
  そういう考え方ができる若い母親が増えて行けば、
  今だって、いくらでも相談にのってくれるお付き合いは
  生まれると思うのですが、
  どんなものでしょう。
  
  
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    あれこれ後記
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  ◇母は、ご近所運がいいのか、
   都営住宅時代も、引越した後の現在の土地でも、
   気さくな人たちに恵まれました。
   引越し先では、どちらかというと、
   今度は年が上の方になり、
   新参者ながら先輩づらしてましたが、
   すっかり溶け込んでしまったのは、
   母の人柄の良さというより、
   ご近所さんの人柄の良さにあると思います。
   今でも、毎日にぎやかです。
  
  
   ここのご近所のおばさんたちは、
   9歳以降の私を知っているわけで、
   昔は当たり前に○○さんのおばさんと呼んでましたが、
   さすがに、自分もおばさんになってくると、
   「おばさん」と呼ぶのが気がひけて、
   今は、○○さんと名前で呼ぶようにしてます。
  
  
   でもおばさんたちのほうは、
   もうすぐ五十に手が届くこのおばさんを、
   相変わらず「ひとみちゃん」と呼んでくれる存在なわけで、
   子供の頃を知ってくれている人って、
   だからありがたいんですよね〜。
  
  
   子供時代の人間関係を豊かにしてあげることは、
   そういう人も増やすわけだから、
   やっぱり大事よ。うん。
  
  
  
  ◇前号の舶来品の話、
   大阪のかっちゃん思い出の舶来品は万年筆です。
   こんなお話をいただきました。


   『私にとって子供の頃(中学時代)の舶来品といえば
    絶対に「万年筆」ですね。

    丁度私の中学生の頃「万年筆」が流行って、
    万年筆を持つことが一種のステータスでしたね。

    昭和44,5年頃にはパイロットが大橋巨泉を使って
    「はっぱふみふみ」なんて流行語をはやらせましたね
    (覚えてますでしょうか?)

    又、学習雑誌の付録に万年筆が付いてたりもしてました。
    そんなこんなでクラスの多くが万年筆を持ってました。

    そんな中、何人かの「くそ生意気で、厭味なやつ」が
    パーカーやモンブランといった舶来の万年筆を持って来て
    見せびらかしてたものです。
    (なかには同じ舶来でも中国の「英雄」と言う
     わけのわからないパチモンみたいな万年筆を持ってた子も
     いましたが:決してパチモンじゃなくて、
     ちゃんとしたメーカーです・・・・)

    私も欲しくて親にねだったところ、
    親父が使わなくなったお古の万年筆を持たされました。
    この万年筆は当時主流だった
    カートリッジのインクを交換するタイプじゃなくて、
    中に入ってるスポイドのようなチューブに
    瓶のインクを吸い込ませて補充する旧式の物でした
    (うまく説明できませんが)

    けれども、すぐにシャーペンが普及し始めて、
    いつの間にか万年筆は時代遅れになってしまったようですね。

    そう言えば、高校に入学した時に叔父さんが
    「パーカー」の万年筆とボールペンのセットを贈ってくれましたが、
    ほとんど使うことが無かった様に思います。
    (単に勉強しなかっただけ・・・・・)

    「舶来品」と聞いてふっとそんな思い出が蘇って来ました。』


  
   この中に出てくるスポイト式の万年筆。
   実は私も、もらっているんです。
   母が中学入学時に買ってもらったもの。
   どこの親も似たようなことをしていると
   笑ってしまいましたが、
   今では貴重品ですね。  
  

   かっちゃんの万年筆は、写真も届いてますから、どうぞ。
  
   http://wa.hitokiwa.com/photo2-4#mannenhitu


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