「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第106号 舶来品は高級品


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        いいとき生まれた!昭和30年代  第106号     


                    2009. 5. 17   


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  この間、衣替えをしていたら、
  20代の頃の服が出てきました。
  何気なく裏返してみると、
  安物だらけの私の服でも、
  みんな日本製の表示。
  
  
  思わず感激の声をあげてしまいましたが、
  考えたら、昔は当たり前のことでしたよね。
  まさかこの3文字に、こんなに感激する日が来ようとは。
  
  
  私たちの20代といえば昭和5、60年代。
  その頃でも、まだそうだったのですから、
  昭和30年代まで遡れば、
  もっと日本製だらけです。
  
  
  でも、世の中うまくいかないもので、
  その頃の日本は、
  今とはまったく逆。
  外国製の価値のほうが高い時代でしたね。
  外国製品と言えば、舶来品、舶来物として、
  高級品の代名詞みたいなものでした。
  
  
  今でこそ、メイドインジャパンと言えば、
  世界に通用する品質の高さを誇ってますが、
  戦前くらいまでは、
  粗悪品の代名詞だったそうです。
  我らが昭和30年代は、
  そんな汚名を返上すべく、
  外国製品に追いつけ追い越せと、
  頑張っていた頃。
  
  
  外国からは
  猿真似と蔑まれて、
  今のどこかの国みたいに思われていた時もありましたが、
  どこかの国と違うのは、
  同じ猿真似でも、
  そっくりコピーして偽者を作るのではなく、
  それを元に、さらにいい製品を生み出す力があったこと。
  その力が日本の発展にどれだけ寄与したか。
  それも、外国製への憧れの強さから生まれたものでしょう。
  
  
  なにせ、海に囲まれている上に、
  鎖国の経験もある日本では、
  外国の品は希少価値という時代が
  ずっと続いてます。
  歴史的にも、唐物とか南蛮渡来の品々となれば、
  ごく一部の人しか手に入れられない、
  大変な貴重品だったのです。
  舶来物への憧れには、年季が入ってます。
  
  
  昭和30年代になっても、
  まだ、海外に行く人は限られていましたから、
  外国製品であることだけでも、
  充分ステータスになりました。
  南蛮渡来の時代と大差ない意識が残っていたのです。
  
  
  私なども、
  かなり大きくなってからでも、
  外国製品というだけで見る目が変わり、
  尊敬してしまいました。
  たとえ、それがお菓子であってもです。
  外国からやってきているこいつは、
  私より広い世界を知っているんだ…
  (尊敬するわりには、こいつ呼ばわりしてますが)
  
  
  この感覚、今の人にはないものでしょうね。
  え、あなたにもないですか?
  
  
  子供の頃、
  なぜ、外国の物が高いのかが不思議で
  父に聞いたことがありました。
  「遠くから運んでこなくてはいけないから、
  そのためのお金が余分にかかるんだよ。」
  実際には、運賃だけの問題ではないですが、
  その答えは、ますますはるばると海を越えて、
  遠い異国からやってくる物への憧れをかきたてたと思います。
  
  
  あれからウン十年。
  外国製が珍しくなくなったばかりか、
  国産品のほうが高級、高品質の証になっているなんて、
  当時の誰が想像したでしょうか。
  
  
  今では、
  文字通り、船舶で来るという、
  「舶来」という言葉さえ、
  ほとんど使われなくなりました。
  今の子供に、
  「これって舶来物だよ」
  と言ったら、
  「どういう意味?」
  と聞かれそうです。
  
  
  若い人のブランドバッグに対して、
  「あら、舶来品ね。」
  と言ったら、
  ドン引きされるでしょう。
  しかも、今は物そのものより、
  マークのほうがステータスになってるような状況ですから、
  そういう意味でもピントはずれ。
  だからといって、
  「舶来のマークね」
  などと言ったら、
  もっと引かれます。
  

  外国製への憧れが薄くなると共に、
  「舶来」という言葉も、
  古めかしくなっていく一方。
  完全に死語となるのも、
  時間の問題でしょう。
  
  
  でも、舶来と言う言葉に威力があった時代でも、
  私が舶来物で唯一、
  特別に感じないものがありました。
  
  
  それは、バナナ。
  バナナも昔は高級品で、
  病気のときくらいしか食べられないとか言われますが、
  庶民の子でありながら、
  私にはそういうイメージがないのです。
  
  
  これはきっと、
  バナナの輸入自由化が、
  昭和38年になされたということにあると思います。
  昭和34年生まれの私に、
  バナナが高級品と認識できるくらいの物心がつくのは、
  それより後でしょうから、
  その頃には、庶民にもだいぶ手の届くものになっていたと思われます。
  
  
  でも、バナナ=遠足のイメージはありますよ。
  遠足のお菓子の制限金額に、
  バナナを含めるか質問したなんて話がよく出ることからも、
  これは私だけのことではないと思います。
  
  
  おかげで遠足のリュックには、
  バナナの匂いがしみついてましたわ。
  遠足のリュックを出すたび、
  中を開けると、
  「バナナの匂いがするなー」
  と思ってましたもの。
  リュックの色も黄色だったから、
  よけいそう感じたのかも。
  
  
  このバナナこそ、
  すべて外国から来ているもの。
  しかし、それゆえの悲しい運命もありました。
  遠いところから来るだけに、
  長旅で熟成が進んでしまったり、売れ残れば、
  高級品から一転、
  叩き売られるはめに。
  今でいうわけあり商品ってところですね。
  
  
  叩き売られることがなくなったのは、
  バナナが普通でも安く買えるようになって、
  高級品でなくなったことにあるそうですから、
  皮肉なものです。
  しかし、バナナの叩き売り自体は、
  今や伝統芸の扱いを受けてます。
  当のバナナを差し置いてかなりの出世です。
  お蔭で当時までの人々も、
  伝統芸を見せてもらいながら、
  買い物していたってことになります。
  贅沢ですねえ。
  
  
  そして、もう一つ、
  私の中で
  バナナを高級品のイメージから遠ざけたもの。
  それはサル。
  ほら、バナナといえばサル、
  サルといえばバナナというくらいワンセットでしょ。
  
  
  子供ですから、バナナの価格より、
  道端で腹巻姿のおっちゃんに叩き売られたり、
  サルの好物ということのほうが、
  強烈に頭に入りやすい。
  そして、価格も庶民に手が届く時代になっていたとあらば、
  私の中で
  バナナが高級品とはならないのも無理のない話。
  
  
  でも、一つだけ思います。
  昔、バナナアイスっていうのがありましたね。
  バナナの形をしていた棒アイス。
  味もバナナ味で、おいしかった。
  これが、
  メロンの形の容器に入っていたメロンアイスと共に、
  印象に残っているのは、
  やはり高級フルーツという、
  潜在意識があったからだったのかな、と。
  

  懐かしいこのメロンアイスやホームランバーは、
  生協のカタログで見かけたことがあるけど、
  あの昔のままのバナナアイスは、
  今もあるんだろうか。
  

  
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    あれこれ後記
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  ◇昭和39年の海外渡航者は、
   年間で13万人にも満たない数字です。
   対して現在は、
   このGWだけでも100万人。
   いかに当時の外国が特別なものだったかですよね。
  
  
   ところでこの100万人。
   豚インフルエンザが問題になってる時期だけに、
   すごく印象に残ったこの数字。
   だって、100万人も海外へ行ったら、
   絶対誰かがウイルスを持ちこみそうではないですか。
  
  
   しかも保菌者になってたにしても、
   免疫力が強くてウイルスを死滅させていたとしたら、
   症状も出ませんから、
   まわりはもちろん、当人にもわかりません。
   でも、死滅させる前、
   保菌している間には、
   知らず知らず、
   撒き散らしている可能性があると思いません?
  
  
   渡航歴のない人の発病が拡大している今、
   ますます私の思いは大きくなってます。
   しかも発病した時期が、
   GW頃からの潜伏期間と一致するというのも怪しい。
  
  
   まあ、まだ真相はわかりませんが、
   いや、わかるかどうかもわかりませんけど、
   私の考えすぎ、間違った仮説であってほしいです。
   そうでないと、鎖国でもしない限り、
   いつ発生してもおかしくないことになってしまいますもの。
   いや、どうあっても、もうなってるのか。   
  
  
  
  ◇前号の発行日を見て仰天。
   一ヶ月以上空いてしまっていたんですね。
   別にやる気がなくなったわけではなく、
   4月に入ってから、
   ますます忙しくなってしまったんです。
   合間を見た、細切れ時間で仕上げているので、
   自分では、やる気がないどころか、
   しょっちゅう手をかけてる気がするくらいです。
   ただ、一向に発行までこぎつけないの〜。
    
 
                        (ひとみ)
   
  
  
  
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