「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第104号 肥溜めの恩恵



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第104号     


                    2009. 3. 10   


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  以前どこかで、
  こんな話を、ちょこっと書きました。
  友達の家で出されたトマトが、
  子供の頃食べた、
  昔のおいしい味だったので聞くと、
  有機栽培ものだったという話。
  

  昭和30年代は、化学肥料も普及してきてますので、
  あの当時の野菜に、
  どの程度の有機栽培ものがあったのかはわかりませんが、
  今ほど特別なものではなかったことは確かでしょう。
  有機栽培にすると、
  収穫量は落ちるそうで、
  今はそれも価格を押し上げる原因となってるようですが、
  昔は、普通に庶民価格で売られていたのですから、
  なんとも贅沢な時代でした。
  
  
  当時はまだ、
  有機栽培も普通であった証明として、
  葉っぱに虫食いの跡がある野菜とかも、
  あったりしましたね。


  もっとも、
  跡だけでなく、
  ご本尊の虫様そのものが、
  自らおでましになられて、
  安全性を保証してくださるという、
  ありがた〜い(?)ことも
  たまには、ありましたっけ。
  

  一番覚えているのは、
  枝豆と一緒におでましくださった方ですね。
  昔の枝豆は、
  茎や葉っぱがついたまま束ねて売られていて、
  房を切るのは家庭でやりましたよね。
  ある日、家の前でその作業をしていた母が、
  突然、絶叫と共に飛び上がったのです。
  何事かと見ると、
  束の中から出てきた毛虫様が、
  あわてて、逃げていくところでした。


  こういうこともあるから、
  枝豆を切るのは表でやることが多かったのかな。
  おもしろそうで、やってみたかった枝豆切りでしたが、
  その後は、絶対にやるまいと思ったものです。
     
      
  そしてもう一つ、
  有機栽培がまだ多かった証明が、
  畑の脇に時折見かけた、肥溜めの存在。

   
  都営住宅時代は、
  まわりに畑そのものがなく、
  いなかに行った時しか、
  見ることはなかった肥溜めですが、
  これまでもお話したとおり、
  9歳で引っ越した隣の区は、
  昭和40年代でも東京とは思えない自然が残っており、
  田畑もたくさんあったので、
  身近にみかけるものになりました。


  小学校の裏門から帰る時は、
  元はあぜ道だったであろう細い道を抜けていきましたが、
  その途中の畑にも、
  まだ肥溜めがありました。


  この裏門からの道は、正式な通学路ではなかったのですが、
  車も通らず、国道への近道なので、
  下校時だけはみんなもよく通ってました。
  肥溜めのあるところを過ぎると、
  田舎道の風情の小道から、
  いきなり、大動脈の国道の歩道に出て、
  今度は歩道橋を渡るという、
  バラエティに富んだコース設定もお気に入りでした。
  

  しかし、唯一、この道を通ったことを後悔する時がありました。
  それは、この肥溜めの肥が活用された時です。
  下肥を畑に撒いた後は、
  悲惨でした。
  排泄物のそれではなく、
  下肥独特の香り(?)に仕上がった肥料は
  それはそれで、臭いのなんのって。
  その時ばかりは、
  正式な通学路で帰れば良かったと後悔しながら、
  みんなで鼻を押さえて、
  一気に駆け抜けてましたっけ。
  
  
  でもね、あの臭気のなかで作業するなんて、
  お百姓さんはえらいなあ、
  って思ったものです。
  農家の人の苦労によって、
  おいしいお米や野菜が食べられるということが、
  身をもってわかった気がしましたから。

  
  排泄したものを発酵させて土に還し、
  その土でおいしい農作物を作り、
  それを食べてまた排泄する。
  

  今の感覚だと、げっとなってしまう人もいるでしょうが、
  古くから誰もそんなことを思う人がいなかったのは、
  それが自然に沿った本来の循環の形であることを、
  味が証明していたからかもしれません。
 

  肥溜めという存在がある中で育っていけば、
  そういう自然循環を受け入れる素地も、
  本能的に育っていったのでしょうね。
  とはいえ、決してきれいなものでないことは確か。
  でもそこも、
  教育の中で先生はきちんと説明してくれました。
  肥溜めは、
  糞尿を発酵させて肥料に変える大切な役目を果たしているのだから、
  汚いと言うことなかれと。
  

  また自らでも、
  お百姓さんの苦労とか、
  どんなものでも役に立つのだということなど、
  知らず知らずに感じ取ることもあります。     
  そう考えると、肥溜めの教育効果は、
  実に偉大だったんだなあと思います。
  今の子供が学べないものを、
  私たちは、たくさん学ばせてもらったということでしょう。
    
  
  しかし、ついにそこの畑でも、
  白い粉を撒く姿しか見られなくなっていき、
  肥溜めはいつしか消えていました。
  そして、さらに月日を経た現在、
  そのあたりは、マンションとマクドナルドになってます。
  どちらかが肥溜めのあった場所とかぶってる、
  とひそかに思っております。


  そのあたりは、
  一部の畑はまだ残ってますが、
  当時はあぜ道だった道も、
  広い生活道路に昇格し、
  道筋も変えられて、
  国道へ直接抜けることもできなくなりました。


  昔の面影はまるでなく、 
  もはや、
  「この場所は、
   昔、下肥の臭いに鼻をつまんで駆け抜けたところだよ。」
  なんて言ったら、
  土地の古老級の話になってしまいそうです。
    

  ところで、肥溜めが活躍していた時代、
  日本に来た外人は、その野菜のおいしさにびっくりしたようです。
  もっとも、その理由を知ると、
  さらにびっくりしてしまうんですけど。
 

  食べる気なくす人もいたかもしれません。
  マッカーサーなんかは、
  怒ったそうです。
  負けた腹いせに変なもの食わせやがって、
  と思ったんですかね。
  それとも、
  「特別にたっぷりの下肥を与えて育てました。」
  とでも言われたんですかね。

 
  しかし、
  なんでも自分たちの都合のいいように押し付けるところが、
  ペリー来航時から、現在まで続くアメリカの伝統。
  さっそく、自国の化学肥料を売りつけました。
  利益は得られるし、安心して野菜を食べられるし、
  彼らにとってはいいことづくめ。
  
  
  けれど、このために、
  自然と共にあった、
  日本の循環の輪は壊され、
  おいしい野菜が消えていくばかりか、
  化学肥料の連用で、作物の抵抗力が落ち、
  農薬を多用するようになるという方向へと流れていくのですね。
  
  
  確かに、衛生的に見たら、
  昔の肥料はどうかい、
  って感じです。
  でも、
  ばい菌や寄生虫、その卵などは、
  発酵させる過程で死滅するし、
  しかも、それを水で薄めて使うのですから、
  思ってるほど汚いものでもなかったようです。
  完全に安全とは言いきれないでしょうがね。


  回虫などの卵の心配は、やはりありましたし、
  それを証明するように、
  回虫がいる人も、
  今よりは多かったです。
  でも、それはきちんと洗うことで防げたもの。
  また、明治以後、西洋の文化を真似たことにも、
  原因があるのです。
  
  
  というのも、江戸時代までの日本では、
  野菜は火を通して食べるのが当たり前の習慣で、
  生で食べることはありえなかったそうです。
  強いて言えば、漬物ですが、
  それも、塩分濃度の濃い中で漬けた後に、
  食べるものです。
  

  ちゃんと自然のリサイクルに合った食生活が
  確立していたのです。
  ですから、
  肥料が肥料でも、
  大きな問題もなく、
  おいしい野菜を食べていたわけです。
  つまり原因は、人間の側にあるのであって、
  下肥に責任があるわけではないのです!
  (って、ここまで、下肥かばってる自分ってなに?)
 

  時は過ぎ、有機栽培が再び見直される時代になりました。   
  しかし、人糞を肥料にすることは、
  今は禁止されているようですね。
  肥溜めも、
  あったらおかしいものになったのです。


  今では、
  外人どころか、
  肥溜めを知らない日本人でも、
  下肥で作った野菜には拒否反応を示す人が出るでしょう。

  
  実を言うと、下肥をかばう私でも今は嫌です。
  なんだ、やっぱりひとみさんて、
  口先だけの人なんだ…
  ええ、そうです。


  じゃなくて、
  誤解しないでください!


  私が、今は嫌なのは、
  添加物にまみれた現代人の下肥肥料なんて使われた日には、
  表面についてるだけの回虫の卵以上に怖いと思うからです。
  発酵させてもなくならない物質が、
  どっさりありそうじゃございませんこと?


  保存料を、知らず知らずのうちにたくさん食べている現代人は、
  死んでも、昔より体が腐りにくくなってるそうです。
  そういう体から排出されてできた下肥で育てる、
  添加物を含有した有機野菜なんて、
  恐ろしくて絶対に嫌ですよ〜。
  しかも、循環するたびに含有物が増えていく。
  これでは、魔の循環です。
  今、人糞の肥料が禁止されてるのは、
  衛生面だけでなく、それもあるのでしょうか。

  
  鶏糞や牛糞などは、今でも有機肥料として使われることを思うと、
  人間のそれは動物以下の、
  もはや肥やしとしての価値もないものに成り果てたってことです。
  日本の自然循環の輪は、
  完全に崩壊しつくし、過去のものになりました。
  

  おいしい有機野菜を、
  八百屋の店先で、
  気軽な値段で買えていたあの時代に戻ることは、
  もはやできないのですね。
  



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    あれこれ後記
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  子供の頃にあった田畑は、
  だいぶ消えてしまいましたが、
  それでもまだ、このあたりは、
  農家をやっている家があります。
  近所にも1軒あって、
  母なども、ご近所のよしみで、
  安くわけてもらったり、
  出荷できない野菜を、
  畑で取り放題させてもらうこともあります。
  時には、いなかの親戚にも送って、
  「東京の送ってくれる野菜がおいしいんだよ。」
  と喜んでもらったりしてるようです。


  どっちがいなかなんだか、
  わかりません。
  
  
  妹の同級生でもある息子が、
  サラリーマンをやめ、
  農家を継いで、
  親子で畑をしていますが、
  そこの家のおばさんが怒っていました。
  
  
  というのも…
  
  
  その家の畑の脇に建っていた、
  古い借家群が取り壊されて、
  新しく建売が立ち並びました。
  そしたら、そこに入った住人が、
  畑の土が飛んできて困るって、
  苦情を言ってきたらしいのです。
  
   
  おばさんじゃなくとも、
  「はあ?」です。
  

  畑があるのは、
  最初からわかってること。
  嫌なら買わなきゃいいだけだし、
  住んでみてわかったからって、
  それを農家に苦情を言うってのは、
  筋違いってものですよね。
  
  
  その前に長年建っていた借家群は、
  平屋であったにもかかわらず、
  そんな苦情などありません。
  反対側に建ってるアパートにいたっては、
  ベランダが畑に面してますが、
  苦情どころか、洗濯物も干しているくらいです。
  その農家は、他にも何箇所か畑を持ってますが、
  やはり、どこからもそんな苦情はありません。
    

  言いがかりもいいところですが、
  こんな身勝手な人が出てきた時代の、
  都市部の農家の苦労は、
  肥やしをまいても苦情がなかった時代とは
  比べようもありません。
  
  
  もちろん、おばさん
  うちの畑が後から出来たわけではないって、
  啖呵きったようです。
    
  
  それから数年して、
  おじさんが亡くなり、
  相続が発生した折に、
  その家では、そこの畑を売ってしまいました。


  都市部では、こうして相続のたびに、
  畑が消えていくことが多いわけですが、
  その畑は家から近いところだし、
  他にも何箇所も土地はあるので、
  別にそこである必要はないわけです。
  が、先祖代々のものにケチをつけられたということで、
  売ってしまったようです。
  
  
  その跡地には、
  すぐまた建売が立ち並び、
  もとからあった建売は、
  土は飛んでいかなくなったものの、
  家が建った為に、暗くなりましたとさ。
  めでたし、めでたし(?)
   
  
  と、そっちは自業自得でいいとして、
  気の毒なのは、
  反対側にあったアパート。
  南側の畑のおかげで、一日中燦々と陽が入ってたのに、
  ベランダの前に家が建ったために、
  すっかり陽の当たらないアパートになってしまいました。
  引っ越して行く人もいましたから、
  大家さんも、大変でしょうね。

  
  身勝手な人のおかげで、
  一番迷惑を被ったのは、
  結果的に、ここの人たちかもしれません。


                              (ひとみ) 


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