「いいとき生まれた!昭和30年代」

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 第103号 愛のムチの心



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        いいとき生まれた!昭和30年代  第103号     


                    2009. 2. 12    


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  最近、忙しくて発行頻度が落ちていることに対して、
  読者さんから、喜びの、
  じゃない、激励のメールをいただきます。


  それがですね、
  「大変でしょうが頑張ってください」
   というものよりさらに深いんです。
  「頻度は落ちてもいいから、
   無理せず、長く続けることにこだわってほしい」
  という励ましばかりなんです。
  なんと素晴らしい方ばかりなのかと恐縮しております。
 

  この間も、
  私の母の話が、ご自身のお母様と重なるというキンタさんのメールに、
  こうありました。


  『本年も楽しみにマガ待っていますね。
   いいんです、この位の頻度が!!
   たくさん配信しないでくださいね(大笑)』


  こういう温かい方たちに
  支えられている幸せなメルマガです。(^^ゞゞ
  

お言葉に甘えたわけではございませんが、
  今回も大幅に遅れてしまってところで、
  本題に入りましょう。
  

  子供が少なくなってるにもかかわらず、
  児童養護施設が満杯だそうです。


  原型は孤児院ですから、
  本来は、親のいない子供を育てるのが
  メインのはずですが、
  今は、半数以上が、
  親の虐待や育児放棄で入る子供。
  親がいるのに、一緒に暮らせない子供が増えているとは、
  情けない話だと思いませんか。


  子供の虐待に、
  はらわたが煮えくり返るような怒りを感じるのは、
  私だけではないと思います。


  でも、虐待の問題は、
  数が増加している、
  ということだけではありません。
  体罰過剰反応が起きるようになり、
  虐待も愛のムチも、体罰として、
  一緒くたにされてしまいました。


  しかし、虐待と愛のムチは、
  全くの別物。
  虐待は心と体に傷しか残しません。
  でも、愛のムチは、
  文字通り愛だけを残します。
  一緒にするのは、
  それこそ乱暴な話です。


  ただ、愛のムチが成立するためには、
  互いの心と心が通じ合い、
  信頼と愛情でつながっている土台がなければなりません
   
  
  今の社会で、
  虐待と愛のムチが同じ体罰と見られるようになったことこそ、
  まさにその心が育たず、未熟になって
  希薄な心のつながりしか作れなくなってきている証拠ではないですか。
  
  
  心が貧弱になったせいで、
  愛のムチを使えるだけの力も、
  受け取る力もなくなり、
  愛のムチという難易度の高い技を成立させるだけの力量が
  失われてしまったのではないかと危惧しています。


  私たちが子供期だった、
  昭和30年代〜40年代にも、
  虐待したり、育児放棄する親はいました。
  でも、割合は今より少なかったわけです。
  
  
  けれど体罰を受けた子供の数では、
  私たちのほうがずっと多いですよね。
  さらに、時代が遡れば、
  ますます増えるでしょう。
  でも、恨んでいる人より、
  いい思い出になってる人のほうが多くないですか。
  それが愛のムチだった証拠。
  

  この間も、ちょうどテレビで、
  体罰論争をしてました。
  今回のテーマにもかぶると思って見てましたら、
  おもしろいことに、気がつきました。
  体罰賛成なのは、体罰を受けて育った人、
  反対なのは、体罰を受けないで育った人が多いのです。
  
  
  体罰が本当に悪いものなら、
  体罰を受けて育った人に反対が多くなるはずなのに、
  そうならないのは、
  それが、愛のムチであったことを、
  感じ取れているからですよ。
  

  そこで、ふと思ったのです。
  体罰を受けないで育った人は、
  体罰が愛のムチだとわかる実感、心の機微をも、
  永遠に身をもって知ることはないわけです。


  だから、体罰を現象としてしか捉えられず、
  暴力としてしか受け取れないのではないでしょうか。
  そんな気がしました。
  片方は暴力としての体罰、片方は愛のムチとしての体罰という
  別物を語っているのですから、
  話がかみ合わないのも無理ないと思いました。


  体罰を受けて育ったから反対と思う人もいるでしょうが、
  それは心や体に傷を負ったからです。
  ということは、愛のムチになりえてなかったということ。
  問題は、体罰以前の関係にあると思います。
 
 
  ところで、私が小学校低学年の時のPTAでも既に、
  「体罰をすると文句を言ってくる親がいる」
  という話が出たことがあったそうです。
  

  もちろん当時の親たちの反応は、
  驚き一色。


  そりゃそうです。
  子供の躾は家庭の責任という、
  当たり前のことが浸透していた社会では、
  子供が悪いことして叱られるのは親の責任。
  それを棚にあげて、
  文句を言うなんてことは、
  恥の上塗りでしたから。


  ですから、そんな話が出たとたん、
  「先生、うちの子は悪いことしたら、
   遠慮なく叩いてやってくださいね。
   怪我しない程度ならかまいませんから。」
  とみんなが言ったそうです。
    

  でも、こうなったのも、
  親、子、教師の関係に、
  信頼と愛情があったからではないですか。  
  このどこか一部でも、心が通じきれてない部分があったなら、
  こんなことは言えません。
  つまり、これが今の状況。  
  

  ちなみにその時、先生は笑ってこう言ったそうです。
  「わかりました。
   でも、そう言ってくださる親御さんの子供は、
   それほどその必要がないんですよ。」
  
  
  これって、今でも通じることじゃないですかね。
  
  
  それに、
  子供であった私たちも、
  先生に体罰受けたからといって
  それを親に言いいつける子って、
  少なかったですよね。


  なぜなら、
  自分が悪いことをした結果だから、
  格好悪くて言えなかった。
  つまり、自分が悪いと理解していたということです。
  だから、言ったところで、
  「おまえが悪い」とまた叱られるのは目に見えていたんですね。


  もちろん、体罰も手加減されてたのは今ならわかりますし、
  痛いけど痛すぎない程度の絶妙さも、
  大したものだったと思いません?
  私はいい子だったので、あまり経験ないですが(ー⊥ー)

      
  心がなければ成立しない愛のムチは、
  本当に必要な時しかしないし、
  手加減はするし、
  する人のほうが心がつらいもの。
 
 
  その心があるからこそ、
  子供である私たちも、
  心できちんと受け取れていたのです。
 
         
  躾と虐待の区別がつかない親、
  理解を超えたダメ教師などは、
  この心関係が構築できてないまま、
  愛情ではなく、感情で体罰を行ってしまいます。
  だから、行きすぎの体罰、
  子供の心を傷つけるだけの体罰になってしまうのです。
  こちらは愛の無知。
  

  体罰の有無だけで判断したら、
  子供を溺愛し、過保護にする親は、
  子供をだめにする立派な虐待をしているにもかかわらず、
  優秀な親になってしまいます。
  
  
  そういう意味では、
  私達は、
  愛のムチの心が正常に機能していた時代に育ったことを、
  喜ぶべきではないでしょうか。
  宿題忘れてゴチンとゲンコツくらった時代を、
  懐かしく思い出せるって、財産じゃないですか。
  ほら、思い出したあなたも、
  今、笑顔がこぼれてきてるでしょ?
  今の子は、宿題していかない(忘れた、ではありません)場合でも、
  あまり叱られないようですが、
  それで喜んでいていいのですかね。
  

  さて、愛のムチということでは、
  私達よりさらに厳しかった戦前のほうが、
  わかりやすいので、
  今回は、昨年亡くなった父のことを例にあげます。
 

  父は、子供の頃、かなりきかん坊のガキ大将でした。
  写真を見ても、
  いかにもきかなそうな、
  いたずらっ子っぽい顔してますが、
  6人兄弟で、他はすべて、
  おとなしめ、のんびり系の中、
  ただ一人だけ異色の存在でした。


  父自身からも、
  ずいぶん子供の時のいたずら話は聞きました。
  それを聞いた限りでも、しょーもない悪ガキですが、
  父の兄弟から聞く話になると、
  さらにレベルアップしたものが出てきます。
  
  
  たとえば、伯父からは、
  『毎晩のように、どこかの親が苦情を持ち込んできて、
   夜、「こんばんは」
   と声がすると、
   父の両親である祖父と祖母が、
   「また誰か来たぞ。」と困ったように顔を見合わせていた』
  という話。
  
  
  叔母からは、
  『自分は体が小さかったので、いじめられやすかったが、
  「あいつは兄貴が怖いから、いじめるな。」
   ということになっていた』
  という話。
  まあ、これは役にたっていたようですけど。
  
  
  そんな腕白坊主ですから、
  親からはもちろん叱られどおしですが、
  学校でも、
  水の入ったバケツを持って廊下に立たせられる、
  職員室で正座をさせられる、
  なんてしょっちゅうだったそうです。
  
  
  今は、そんなことをしたら、
  大騒ぎですが、
  昔の日本では当たり前にあった、
  定番の体罰。
  私達の時代でも、
  バケツは登場しなくなったものの、
  廊下に立たされたり、
  正座させられたり、
  体を叩かれたりなんてことは、
  普通にありましたよね。
  
 
  さて、父ですが、
  廊下に立たされても懲りない奴で、
  誰もいない時は、
  バケツを下ろし、
  先生が来ると持ち上げる、
  ということをしていたそうです。


  でも、先生は、
  そこは見抜いていたのではないかと。
  

  昔の愛のムチは、筋金入りに厳しかったわけですが、
  水の入ったバケツを持って立ち続けるなんて、
  大人でもきついことです。
  

  目的は虐待ではなく、
  反省させることにあるのですから、
  こんなつらいことを課せられるほど、
  いけないことをした、
  とわかればそれでいい。
  そのあたりは、
  きちんと理解されていた上で、
  あえて時間を見計らった隙を与えていたのでしょう。
  この子の性格なら、いなけりゃおろすだろうってことも、
  計算されてたんでしょうね。
 

  でも、そのことがすぐわかってしまっては効果がなくなります。
  だから、父も後で気がついたのです。
  このように、愛のムチの難易度は高いのですが、
  昔の人たちは、それを自然にできる心を持っていたのです。

 
  職員室で座らされている時だって、
  他の先生たちが、
  「お、また座ってるのか。」
  なんて声をかけていったと
  楽しそうに話してました。
  
  
  父が、お仕置きを受けたことを、
  こうして楽しい思い出として話せたのも、
  この温かい心が影に存在していたからに他なりません。
    

  でも今、こんなことしたら、
  本来のことではなく、
  バケツをおろさせないことにこだわる教師も、
  子供の悪さは棚にあげて、
  文句を言う親も、
  ズルをして先生を欺いてやったと思うだけの子供も、
  充分考えられる存在ではないですか。
  
  
  だから、今の時代だと、
  危なっかしいんです。 
  今の意識が高まったのではなく、
  心がしょぼくなって、
  愛のムチを成立させる力が消えただけと思うのは、
  そんなわけです。
  体罰をすべて野蛮なものと決めつけてしまうこと自体が、
  すでに心が単純になってることだと思います。
  

  戦前の人たちだって、
  心のない軍隊での体罰となれば、
  思い出したくもない人が多いでしょう。
  でも、愛のムチとして親や教師から受けた体罰なら、
  温かい思い出になってる人が多いのは、
  私たちも同じ。
  ですから、愛のムチを否定することは、
  その人たちの心までをも
  否定するということです。


  ますます心がないがしろにされていきますね。    
  

  そこで今度は、 
  心が優先していた昔らしい話として、
  母の学校の思い出話を一つ。
  
  
  ある日の放課後、
  母が用事があって、
  友人と職員室に行きました。
  するとそれを見かけた担任に、
  買い物を頼まれました。
  近くに、大判焼きみたいのを売ってるお店があったそうですが、
  それを買ってきてくれと。
  
  
  早い話が、パシリですわ。
  しかも先生が生徒を私用で使用。
  だじゃれを言ってる場合じゃありません。
  今ならありえないことです。
  でも、当時は、
  その先生はもちろん、
  他の先生も、言われた母たちも、
  別に誰もなんとも思わないんですね。
 
  
  母たちは言われるままに、
  気安く買ってきました。
  すると、先生は、
  お礼におまえらも食べていけと言って、
  職員室で一緒に食べたそうです。
    
  
  これも今なら、
  贔屓だのなんだのと、
  問題になりそうですが、
  やはりそんなこと言う生徒もいません。
 

  今の基準で見ると、非常識な出来事ですが、
  心という面から見たら、
  昔は、それだけ邪念を気にせずに 
  ずっと素直に、
  人間らしい親しみのある心の交流ができていたということに
  なりませんか。
  

  だからこそ、
  「なんで私用に使われなくちゃいけないの?」
  とはならず、
  先生のために行ってあげるという気持ちになれる。
  「なんであの子達だけもらってるの?」
  ともならず、
  いい先生だもんね、良かったねという気持ちになれる。
  
  
  そういう時代だったのです。
 
  
  どこか温かさとか羨ましさを感じませんか。
  それとも、これも昔のほうが意識が低かっただけと
  切捨てますか。
  でも、こんなことができた学校と、
  できなくなった学校では、
  どちらが人間的な心が育ちやすいかと考えたら
  私は、昔のほうに分があると思いますけど。
  
  
  昔の日本には普通にあった、
  人間としての豊かな心の交流、
  それをなくしてしまったのですから、
  愛のムチがゆがめられてしまったのも、
  無理はありません。
  

  これからはますます、
  愛のムチでもらった温もりを人生の燃料にして、
  深い心を抱いて生きていける人も減っていくのでしょう。


 

  
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    あれこれ後記
  ★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  
   
  
  
  ◇虐待をする人はもちろんですが、
   子供を嫌いという人も、
   昔の方が少なかったと思います。
   女性になるとなおさらです。
  
  
   ですから、そういう女性と初めて出会った時のことは、
   よく覚えています。
  
  
   ある日、自分は知らない人でしたが、
   母親とその女性が、
   立ち話をしていました。
  

   大人の長話につきあう子供の苦労は、
   子供の時、誰でも経験することですが、
   その時の私も長話にあきあきして、
   母親のそばでうろうろしていました。
  
  
   しかし、
   その女性がほざいた、
   いや、おっしゃった一言を、
   聞き逃すわけにはまいりませんでした。
  
  
   「私、子供って嫌いなのよ。」
  
  
   実際にそこに子供がいるのに、
   その親に向かってそんな話をするくらいですから、
   その人は本当に、
   子供嫌いだったのだと思います。
    
    
   しかし、当の子供本人としては、
   聞き捨てなりません。
   怒りで頭の回転が良くなったのか、
   即座に思ったことがありました。
   
  
   「ふん!自分だって子供だったくせに!」
  
  
   我ながら鋭いところをついてたと、
   自画自賛してしまいますが、
   それよりも、さらに賢い選択だっのは、
   その言葉を、
   その人に向かって言わなかったことです。
    
 
   当時は今ほど
   子供が大人を大人と思わないような時代ではありません。
   一応、相手は大人だからと、
   聞こえなかったふりをしてました。
   (私って、子供の頃のほうが、
    大人だったかも。) 


   もし、私が今の子だったら言ってたかもしれませんが、
   言ってたら、その人は、
   ますます子供嫌いになってたことでしょうねえ。 
   
    
   これに対して、母はなんと答えるのか。
   一応、つまらなさそうにうろうろを続けながらも、
   耳ダンボになってると、
   母は、びっくりしたように声を上げました。

  
   「あらー!!」
   
  
   「そうだ、おっかさんよ、
    そこでガツンと言い返すのだ!」
   そう思った私の耳に飛び込んできたのは…。
  
   
   「私だって嫌いよー。」
  
  
   な、なに〜!? 
  

   「自分の子供だから育てられるのよ〜。」


   今は、この法則も通用しなくなってきつつあるようですが、
   まだ通用する時代だったおかげで、
   どうにか責任もって育ててもらえました。
   もちろん、愛のムチつきで。
  
  
  
  ◇大人の立ち話対策ということでは、
   pomekitinnさんの場合は、
   用意周到なお子さんでしたよ。
   前号に取り上げた割烹着、
   これが定番だったお母様と、
   近くのスーパー、と言っても、
   pomekitinnさん曰く、

   『(現在のスーパーではなく、
     ひとつの店舗に魚屋・八百屋・肉屋などが集まっていたものです。)』
  
   だそうですが、
   そこへ買い物についていく時はこうしたそうです。
  
  
   『そして、藤製の買い物カゴを持っていったん外に出ると、
    買い物の時間より近所の人と立ち話が長くて、
    私はいつもロウセキで絵を描いて時間つぶしをしてました。
  
    普段は忘れていることが、このメルマガが届くたびに
    「あぁ そういえば」と思い当たることばかりです。
  
    これからも懐かしい話をよろしくお願いします。』
  
  
   私も、この文を読んで、
   昭和30年代の風景が彷彿としてきましたが、
   ロウセキ持参で出かけるという手があったか、
   と今更ながらに悔やんでおります。


   子供の前で、子供は嫌いと言い放った女性の顔を、
   不細工に書いてやったのに〜。
    (もっとも上手に描いてみろと言われてもできないけど…ひとみ)





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